阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年12月6日
「インマヌエル」
マタイによる福音書1章23節

 アドベント第二週の聖日礼拝をおささげします。
今年もクリスマスが近づいてきました。主のご降誕を心から待ち望みたいと思います。
マタイによる福音書は、主イエスの父として選ばれたヨセフについて記しています。
ヨセフはダビデ家の末裔であり、正しい人であったとあります。
メシアがダビデの末から生まれることは、数々の預言として知られています。
預言者ナタンを通して、「あなたの子孫、あなたの子の一人に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしのために家を建て、わたしは彼の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしはあなたに先立つ者から取り去ったように、彼から慈しみを取り去りはしない。わたしは彼をとこしえにわたしの家とわたしの王国の中に立てる。彼の王座はとこしえに堅く据えられる」(歴代T17:11−14)。
神はこのようにダビデに約束されました。地上の王国はBC586年バビロンによって滅ばされてしまいますが、救い主が永遠の王座に就かれることは変わらない約束です。
マタイによる福音書は、イエス・キリストの系図から始まっています。
マタイ1:17節には、「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代」とあります。この系図は、キリストがダビデの末裔から誕生するということを確認するために記されていると考えることができます。
 ヨセフの時代には、輝かしいダビデ王朝の栄華の影も残っていませんでした。ガリラヤのナザレで大工として生活していたのです。
しかし、神の約束は成就しました。
 ヨセフの婚約者マリアは、天使ガブリエルから救い主誕生を告知されていました。
ユダヤの婚約とは、実際に結婚するまでは一緒に生活することはありませんでしたが、結婚したと認められていました。「婚約している妻」という、少しわかりにくい結婚制度でした。
 ヨセフとマリアは婚約していましたが、マリアは聖霊によって身重になりました。ヨセフはマリアのことが表ざたにならないうちに離縁しようと考えました。なぜなら、姦淫と断罪されると石打の刑に処されたからです。
ヨセフが悩んでいた時、ヨセフは夢で天使のお告げを受けました。
御使いは、「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:20−23)と告げたのです。
夢から覚めたヨセフはマリアを妻として迎えました。
マリアから産まれる男の子は、はるか昔から預言されていたメシアであり、ヨセフはあらためて自分がダビデの家系であることを覚えたのです。
メシアは、「ご自分の民を罪から救う」お方です。ローマの信徒への手紙5章12節には、「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのですすべての人が罪を犯したからです」とあります。
アダムとエバが神に背いたときから罪と死が入り込み、罪の解決はありませんでした。
神との関係が断たれ、人は罪のために滅びの道を歩むようになったのです。罪の贖いのために動物がささげられても完全なものではありませんでした。
罪からの解放のために、救い主はこの世に生まれ、十字架の贖いにより信じる者を救って下さいました。その御業は続けられています。「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです」(ローマ5:17−19)   この御言葉の中に主イエスの誕生の目的と十字架の贖いの完全さが教えられています。罪からの解放と永遠の命です。
ヨセフに現れた御使いは、預言者イザヤの言葉を語りました。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ1:23)
イザヤはダビデから300年後に働いた預言者です。ダビデに与えられている約束をイザヤも伝えました。
「その名はインマヌエル、メシアは我々と共におられるお方」だと語ったのです。
救い主は私たちと共におられるお方です。「わたしはあなたと共にいる」と、いつも約束してくださいます。
主は、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と、語り掛けています。
「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ41:10)
救い主は、常に私たちと共におられて、その右の御手で支えてくださるのです。
人は、恐れやすいという心を持っています。孤独という恐れがあります。健康問題や、仕事、生活面の悩みがあります。将来に向けての心配もあるでしょう。死についての恐れもあるかもしれません。
アブラハムの息子、イサクの息子ヤコブは兄エソウを出し抜いて、長子の特権を自分のものにしました。
父を欺いてもどうしても特権が欲しかったのです。長男が受け継ぐことができる、霊的祝福、具体的な将来にわたるすべての祝福が欲しかったのです。祝福を受け継ぐ権利を持っていた双子の兄エソウは、奪われたことがわかると当然怒りました。もっともエソウは祝福をないがしろにしていたところがあるのですが、弟が受けてしまったことがわかると泣いて求めましたが、かなうことではありませんでした。母リベカは心配して、ヤコブを自分の実家に旅立たせました。ヤコブは両親と、住み慣れた我が家を離れて一人で見知らぬところへ旅立ちました。
ある所で日が沈み眠りましたが、夢で神の声を聞き、大いなる祝福の約束をいただきました。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15)ヤコブは眠りから覚めて、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」(創世記28:16)と言って、枕にしていた石を立て、(ベテル)とその場所に名をつけて記念としました。
ヤコブは、逆境と孤独の中に、主が共におられることを知りました。
いつ、どこでも、どのような状況の中にあっても、「わたしはあなたと共にいる」と、私たちにも語り続けておられる方の声を聞き、信じることは何と幸いなことでしょうか。
私たちと共におられる主、インマヌエルの主がどのような状況の中にも共にいて下さることを覚えたいと思います。
私たちを救い、その手をとって永遠の祝福の中を歩ませてくださる主イエスを仰ぎ、「恐れる必要はない」と力強く語って下さる御言葉に信頼したいと思います。
今のこの困難な状況の中にも、主イエスは先頭に立って過去、現在、将来にわたって進んでいかれることを覚えたいと思います。
インマヌエルの主、素晴らしい主を賛美し、ご降誕をお祝いしましょう。


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