阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年12月27日
「祈り、祈られる」
テサロニケの信徒への手紙U3章1-5節

 2020年最後の礼拝になりました。今年はコロナウイルス感染拡大のために、今まで体験したことのない年になりました。
仕事がリモートになったり、学校がオンライン授業になるということや、教会も初めて日曜日の礼拝に集まらないでYouTubeでの礼拝をささげるということにもなりました。クリスマスイブのキャンドルサービスもYouTubeでささげました。
現在、日曜朝のSSと礼拝以外の諸集会は休止中です。未曽有のことです。
来年は一体どのような年になるのだろうかと思います。
行動や計画が制限されて、暗い思いを持つこともありますが、生きておられる神が私たちと共におられ、御言葉によって励ましと力が与えられていることを感謝します。
心が打ちひしがれる時も御言葉によって力が与えられます。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも。」(詩編46:2)
この御言葉のように、これ以上ないと思うような苦難の時にも共におられて、必ず助けてくださるという約束をいただいているのです。
テサロニケの教会にあてた2通の手紙は使徒パウロが記しました。
パウロは、テサロニケ教会に、迫害と困難のなかにあって、愛と信仰が豊かになり、忍耐と信仰を示していることを誇りとしていると、書き送りました。そして、主イエスの御名が崇められ。テサロニケの信徒たちも主の誉を受けるようにと、祈りました。
パウロは、「いつもあなたがたのために祈っています」(1:11)と記しました。
テサロニケ教会のために祈り続けたパウロは、「終わりに、兄弟たち、私たちのために祈ってください」(Uテサロニケ3:1)と願いました。
パウロは祈る人でしたが、私たちのために祈ってほしいと訴えたのです。私たちとは手紙の表題にある、パウロ、シルワノ、テモテのためにと考えられます。パウロを中心にこの3人は福音を伝え巡り歩きました。
テモテは良く知られている弟子ですが、シルワノとは、シラスのラテン語表示で、シラスのことと考えられます。
シラスは、パウロの第二回伝道旅行に同行して、フィリピでパウロと共に捕らえられ、獄中で賛美していた人物です。その夜、大地震がおこって、牢屋番と家族の救いにつながりました。
「救われるためにどうすべきでしょうか」と尋ねる牢屋番に、二人は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(フィリピ16:31)と、教えました。牢屋番と家族は主イエスを信じて、その夜の内にバプテスマを受け、救いの喜びに溢れました。ヨーロッパに最初に福音が伝えられたフィリピでの、有名な出来事でした。
パウロは、自分たちのために祈ってくださいと、願いました。
テサロニケで福音が速やかに宣べ伝えられたように、福音が拡大するように、また、福音を妨害するような人々から守られるように祈ってほしいということです。迫害は常にありました。
パウロは、主は真実な方ですと告白しています。パウロや教会は、「道に外れた悪人たち」に迫害や妨害をされて苦しむこともありました。しかし、神は真実であると告白しています。
聖書は神が真実な方であることを何度も教えています。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。なたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練とともに、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Tコリント10:13)とあり、
また、「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである」
(Uテモテ2:13)とも、教えています。
真実な方とは、決して約束を破ることはないお方と言う意味です。
私たちは誠実であろうと努力をしても、心ならずも不誠実な結果になるようなこともあります。約束をしても守れないことがあります。弱く頼りないのです。努力だけでは実現できないような者です。
しかし、主はそうではありません。お語りになったことは必ず成就します。
アブラハムに、約束の子が与えられると語られた神は真実の神です。人間の考えでは、どうして100歳になった者に子供が生まれるであろうかと考えます。しかし、やがて約束の子イサクが誕生しました。
試練の時には、試練とともに、耐えられるように逃れの道が備えられているのです。神の真実の約束です。
主はご自分の真実を否定することはお出来になりません。
主イエスは、神の子でありながらこの世にお生まれ下さり、すべての人の罪の贖いのために十字架にかかってくださいました。
ゲッセマネの園で汗を血のしたたりのように流され、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください、しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と祈られたのです。
世のすべての人の罪を取り除く神の小羊として、十字架の贖いを完成され、三日目に復活されました。今、生きておられて私たちと共にいるという約束を守り通されています。真実なお方です。
「主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます」(Uテサロニケ3:3)
福音を伝えようとすると、妨げようとする世の力が働きます。御言葉は、真実の主が守ってくださるとあります。この約束が破られることはありません。
2020年が終わろうとしています。今年は新型コロナウイルスの感染拡大が続き、クラスターが次々起こっています。
私たちも感染の危機を覚えます。一層主イエスという堅固な土台の上に信仰を立て上げ、御言葉の真実を知る者でありたいと思います。
パウロが願い、命令したこととはどのようなことであるかを探る時、主イエスの御心を求め続け、生きるということです。
自分の内に、主の思いを持つことです。新共同訳聖書では、「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピ2:3,4)とありますが、文語訳の聖書は、「キリストの心を心とせよ」と訳しています。イエス様の御心を自分の心として生きるという勧めです。わかりやすい訳です。主イエスの御心は、謙遜と祈りによって、また御言葉により私たちの心の深みにわき上がります。御心を生きることは、困難な時代だからこそ、大切です。
今年は、「すべての人のために祈る」という目標が与えられました。
「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」(Tテモテ2:1、2)という御言葉が与えられました。
今日(こんにち)、指導的な立場にある人のために、さらに祈らなければと思います。国の政治が混乱すると、まず困るのは弱い立場の人だからです。
すべての人のために祈ることは、御心です。来年はもう必要ないということではありません。継続して祈るべき大切な祈りです。
私たちは、どのようにして今日まで歩んできたのでしょうか。誰かが蔭で祈っていてくれているからではないでしょうか。私のために、私たちの教会のために、誰かが祈っているから、歩んでくることができました。
そして、私たちは、パウロが「私たちのために祈ってください」と記したように、「祈ってください」と声を上げることができます。何という幸いでしょう。祈り、祈られて進むことができるのです。祈りは信仰の勝利をもたらし、主イエスが生きておられる証しとなります。
困難は続くかもしれません。しかし祈りにより勝利し、動きにくい昨今であっても、主イエスに知恵をいただきながら福音宣教のために用いられるように、救われる魂を求めて進んでいきましょう。


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