阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年1月3日
「神の愛を信じて」
ローマの信徒への手紙8章28節

 2021年、新しい年を迎えました。新年初めの主の日に集まって、兄姉と共に礼拝をささげられることを心より感謝します。
今年はコロナウイルス感染防止のために、元旦礼拝はYouTubeでささげました。このまま感染が広がっていくと、昨年のように聖日礼拝をYouTubeでささげるということにもなりかねません。
感染しない、感染させないことを考えながら生活していくことは大切だと思います。
私たちの教会では、日曜日のSSと礼拝は集まることができていますが、他の諸集会は残念ながらもうしばらく休止となります。コロナ終息のために祈りましょう。教会でもマスクを着用し、なるべく密をさけ、礼拝後は連絡事項など簡潔に、短時間で行いましょう。
主イエスは私たちに御言葉を語り掛けて、導いて下さいます。御言葉は私たちの足のともしび、道の光です。御言葉によって導かれて行きます。
私たちは、御言葉によって計り知れない神の愛を悟ることができます。
神の愛は、主イエスの十字架によってあらわされました。
私たちは、自分の一番大切な存在を、敵対する者のために投げ捨てることができるでしょうか。それは大変難しいと思います。
主イエスはどうでしょうか。不信心で罪深い者のために、十字架で命を捨ててくださいました。「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。」(ローマ5:6)。主イエスは、どうしようもない、不敬虔な者のために命を捨ててくださいました。
価値のある者のためだったら、あるいは命を捨てることがあるかもしれません。しかし、神はわたしたちが罪人であったときにキリストの十字架により、その愛をあらわしてくださいました。
人は誰でも心に罪を持っています。神が問われるのは心の罪です。
主イエスは、「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」(マタイ5:22)と教えておられます。また、「兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」(マタイ5:22)とも言われました。
恵みの御言葉は聞きやすいのですが、このような厳しい御言葉を私たちはどのように聞いているでしょうか。
「腹を立てる」とは、瞬間的に怒るだけではなく、怒りを持ち続けて恨むという意味があります。また、軽蔑と、侮辱の言葉を語る者は、最高議会に引き渡されるとあります。また、「愚かな者」と言う者は火の地獄に投げ込まれるという、すさまじい裁きがあると記されています。
主イエスは兄弟、すなわち他者に対して軽蔑や憎しみの心がある限り、重い裁きがあると言われたのです。
自分の心の中は、人に見せないこともあります。苦々しい思いがあっても表には出さないこともあるでしょう。心の中に軽蔑や憎しみがあっても、他の人にはわかりません。しかし、神は心をご覧になる神ですから、知っておられます。罪のために必ずその報いを受けなければなりません。そのようなことは知らなかったと、言い訳はできません。
神は人を神の形に創造されたのですから、信仰があるなしにかかわらず、心の中に神の御思いは感じているはずだからです。このまま人を憎み続けていてはいけないと思っても、実際には自分の心を治めることができません。罪を罪と認識することもできず、しかし罪に縛られて心に葛藤を覚えて生きていくという苦しみを持ちます。ちょうどくぐり抜けることのできない暗闇を歩むようなものです。
父なる神は、素晴らしい光を与えてくださいました。イエス・キリストという救い主を賜ったのです。この方を信じる者、主イエスの十字架の贖いを信じ、受け入れた者は「神の子」とされます。条件なしで神の子とされるのです。
「言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:12)とあります。
言(ことば)、すなわち主イエスを信じる者は、神の子とされるという素晴らしい救いです。罪は主イエスがすべて身代わりとなって十字架で贖ってくださいました。十字架により解決するすべのなかった罪から完全に開放されたのです。救いです。信じる者すべてに、神の愛による完全な救いがなされました。
主イエスを信じた者、神の子とされた者の特権は、神を「父」と呼ぶことができることです。
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです」。(ローマ8:14、15)とあります。
「アッパ」とは、アラム語で乳児の言葉です。「おとうちゃん」という意味です。天地を造られた全能の神に向かって、「おとうちゃん」と呼ぶことができるのです。すばらしい特権です。ガラテヤの信徒への手紙4章6、7節には、「あなたが子であることは、神が『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実からわかります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。」と記されています。まちがいなく、罪の奴隷であった者を神の子にしてくださったのです。
神の子は、アッバに祈ることができます。聖霊が心に満ち溢れ、どのように祈ったらよいかわからないときも、聖霊が切なる呻き(うめき)をもってとりなされます。祈りは、父(アッパ)に、聖霊により、イエスの御名によって祈ります。祈りは聞かれます。叫びは届きます。父は子の声に耳を傾けてくださいます。御心でないことを祈っていても、父との交わりの中に聖霊は穏やかに祈りを御心に導いて下さいます。
父なる神の前に静まり、贖いの感謝と共に、祈ることができる恵みをもっともっと知る者となりましょう。
神の子は、人にとって最大とも考えられる、命と死に対する解決を持つ者です。罪の中にいたときは、体は生きていましたが、魂は死んでいました。キリストを受け入れた時、魂も体も生きる者としていただきました。永遠の命です。
救われて初めて、「この世では旅人、寄留者。神の子、天に国籍を持つ者」として、世にある限り、神の栄光のために生きようという、人生の大切な目的を見出します。
この世にあっても天国の民であり、地上の歩みが終わってからも天国の民であり、永遠の命に生かされています。地上の歩みが終われば、本当に自分のおるべきところに帰ることができるのです。
神の子は、「自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」(ヘブライ11:13)とあるように、生きていきます。地上での現実の生活を送る中にも、天国の民であることが信仰の中心です。
2021年、私たちには、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)という御言葉が与えられました。「私たちは知っています」が文章の最初の言葉です。
私たちは御父の愛を知っています。神の子であることと、救いの特権を知っています。永遠の命の中に生かされていること、限りない霊的祝福の中を歩んでいることを知っています。
コロナウイルス感染は一体いつ終息するのか、医療崩壊はどうなるのか、他の病気で緊急入院しても、治療をしてもらえるのか、生活はどうなるのかわかりません。コロナだけではなく、山積している問題を抱えている方たちも多いのです。
神の子はどのような状況の中にも御父に祈り、その愛を確信し、万事が益となることを知っています。信仰の勝利です。
今は信仰の歩みの途上にありますが、イエス・キリストと共に歩み、体験することすべてが益とされると信じます。
神が生きておられること、私たち一人一人が、かけがえのない神の子として愛されていること、困難な中にあっても、信仰と主の導きを信じて、一歩一歩歩みを進めていきましょう。救いに導いて下さり、万事を益とされる御父をほめたたえましょう。


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