阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年1月17日
「愛に根差す」
エフェソの信徒への手紙3章14-19節

 昨年から世界中で新型コロナウイルス感染拡大が続き、日本でも2回目の緊急事態宣言が発令されました。
東京をはじめ関東の3県、兵庫県を含めて7府県も13日から2月7日までの予定で宣言が出されました。
コロナウイルスは、人から人へと感染する強力なウイルスなので、人の行き来を遮断しなければ終息は望めないのでしょう。
無症状の人も多いのですが、感染後急に重症化して亡くなる方も多いのです。尼崎でも様々な施設でクラスターが発生しています。市内では45名の方々が亡くなっています。
阪神チャペルセンターでは当面の間、聖日礼拝をはじめ、すべての集会を休止しています。大変残念です。
礼拝は、YouTubeで日曜日朝、配信しますので、10時30分からご家庭で家族と共に礼拝しましょう。YouTubをご覧になれない方は、あらかじめお渡ししてある紙面のメッセージをご覧ください。
礼拝メッセージのDVDの用意があります。すでにお申し出のある方には郵送いたします。さらに必要のある方は教会までお知らせください。
さて、エフェソ3章14節以下にはすばらしい祈りの言葉が記されています。
このところでは、まず御父の前で、「ひざまずいて祈る」とあります。祈る時の体の姿勢というより、心の姿勢をあらわします。
神様の前にひざまずく心とは、あなたこそ真の神、祈りを聞いて下さる、生きておられるお方という信仰の告白です。神は、目に見える形の姿勢ではなく、信仰の祈りの姿勢をご覧になります。
次には、「御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。」(エフェソ3:15)とあります。
私たちにはそれぞれ名前があります。名前があるのは、存在していることです。
神様は私たちを造られ、存在させてくださる。名前を呼んでくださるのです。
さらに、「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなた方の内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてくださるように」(エフェソ3:16−17)と続けられています。
神の力と霊によって内なる人を強め、心にキリストを住まわせ、愛に根ざし、愛によって立つようにと祈りました。
「内なる人」、「外なる人」という言葉が聖書には使われています。
「外なる人」とは、つまり、生まれながらのそのままの人間です。「内なる人」とは、生まれながらの人間が、主イエス・キリストを信じて悔い改め、永遠の命を持つ者となり、生まれ変わった霊的な新しい命です。
Uコリント4章16節には、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」(Uコリント4:16)とあります。素晴らしい御言葉で希望が与えられます。老いも若きも内なる人は日々新たにされていくのです。
さらに、主イエス、キリストを心の内に住まわせるとあります。主イエスを、心の王座にお迎えし、いつも住んでいただきなさいという意味です。主イエスは無理やり心の内にお住まいにはなりません。
心の戸が開かれるよう、ドアをたたかれる方です。心がどこかに、あるいは何かにとらわれてしまい、主イエスを締め出すようなことはないでしょうか。主イエス不在の信仰はありえません。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙示3:20)
主イエスを心にお迎えすると、主イエスは共に食事をしてくださる、これ以上ないほどの親しい交わりを持ち続けることができるのです。
何と幸いなことではありませんか。
主イエスを心の中にお迎えした者は、主イエスの品性に与る者となります。
「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(エフェソ4:13)とあるように、内なる人が主イエスのように変えられていきます。
それは、キリストに根差すからです。主イエスが土台です。キリストの命と愛に根ざすのです。
私たちは、神の愛を知っているでしょうか。私たちが真の神を知らず、罪も分からず、空しさの中にいた時、すでに神の愛の手は差し出されていました。
「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(Tヨハネ4:9、10)。
私たちは、十字架によって罪が贖われ、永遠の命を生きる者とされたのです。神の愛の救いです。
神の愛にしっかりと立ち、このすばらしい愛と救いを語り続けたいと思います。
キリストの心を持ち、その愛に根差す者は、愛に満たされ続けます。
聖霊の満たしです。御心を求め、愛を受けるだけではなく神の愛を現したいと願います。
神の愛にどのようにして応答していこうかと考えます。
どのようにして神に喜んでいただこうかと考えながら生きます。
神がお喜びになるのは、信仰によって生きることです。信仰がなくては神に喜ばれることできません」(ヘブライ11:6)という御言葉があります。逆に言えば、神は「信仰をお喜びになる」ということです。信仰によってしっかりと歩みなさいということです。
信仰とは御言葉を信じぬくことです。現実の生活、それはあまりにも厳しいので、ついそこに目が行き、心をつかわないにはいきません。
しっかりと考えながら、しかし、信仰によってすべてを主に委ねることができるのです。神にはおできなる。神は解決してくださる。神は最善を用意されるお方。すべてを信じ委ねることができます。
「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。」(詩編37:5,6口語)とあります。あなたが歩む道、それは人生と考えることができます。主に信頼を置き、主に委ねることは何より幸いなことです。
この御言葉の前には、「信仰を糧とせよ」(37:3)とあります。
信仰を日々の糧として主に信頼して歩むこと、それは愛に根ざして歩むことに繋がります。
キリストに根差し、愛に根差し、信仰によって歩む者は、救いのすばらしさを語ります。自分の持っている永遠の命について、主に委ねて歩む幸いについて、黙っていることはできません。
内なる人は喜びと平安に満たされていて、それはどうしても抑えておくことができないものではないでしょうか。言葉と生活が証しと伝道になります。
神の愛は広く、長く、高く、深く、はかり知れません。
人の知識をはるかに超える神の愛を日々体験として知る者であり、さらに満ち溢れるようにと、祈りは続いています。
主イエスは、私たちのためにとりなしてくださいます。今日も、明日、も祈られるのです。
わたしたちも、ひざまずき、愛に根差し、多くの人がこのコロナ禍の中でも祝福され、神の愛を知り、キリストを信じて生きることができるようにと祈り続けていきましょう。
どのような時も、すばらしい主の豊かさに満ち溢れる者でありましょう。


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