阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年2月21日
「しかし、お言葉ですから」
ルカによる福音書5章1-6節

 YouTubeの礼拝が続いていますが、今日も心を一つにして、礼拝をささげましょう。兵庫県や尼崎では確実にコロナウイルス感染者が少なくなってきています。しかし、亡くなる方の報告もされています。
その中で、医療関係者にワクチン接種が始まり、私たちも数か月後には、接種の機会が与えられると思います。日常が戻るように、教会に何の心配もなく集まれるよう、祈り続けましょう。
主イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、「神の言葉」を聞こうとして群衆が集まってきました。ゲネサレト湖とは、ガリラヤ湖の別名です。
人々は主イエスが語ってくださる、神の言葉を聞こうとしてやってきたのです。人々が押し寄せてきたので、主イエスは二艘の舟が岸にあるのをご覧になり、ペトロの持ち舟に乗られて、岸から少し漕ぎ出すように頼まれました。
漁師たちは舟から上がって網を洗っていました。
主イエスは、舟の上から人々にお語りになりました。舟を出したのはペトロです。ペトロは主イエスの近くで御言葉を聞くこととなりました。ペトロは、すでに主イエスを知っていました。
主イエスはペトロの家に入られて、ペトロのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたのを癒されたのです。また、多くの人々を癒されました。
ペトロの家はカファルナウムにあります。人々は主にとどまってほしいと願いましたが、主は、ほかの町にも神の国を伝えなければならないと、ユダヤ各地の会堂で教えられました。
その出来事の後、主イエスはゲネサレト湖で、ペトロの舟に乗りこまれて教えをされたのです。群衆が押し寄せてきたので、舟に乗って、湖からお教えになりました。
ペトロは、主イエスがお話を終えられたら、家に帰ろうと思っていたかもしれません。何しろ夜通し漁に出ていたのですから、休みたかったのではないかと思います。
しかし、主イエスは、お話が終わると、ペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5:4)と言われました。
夜通し働き、何も収穫はありませんでした。網も洗って仕事は終わったはずでした。
ペトロは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、おことばですから、網を降ろしてみましょう」(ルカ5:5)と答えました。
ペトロ達はガリラヤ湖を知り尽くしているベテランの漁師です。何度も魚が捕れないことは経験しているでしょう。そのような時にはどうしようもないので、次の機会を待つのではないでしょうか。
ペトロは夜通しの漁で疲れているし、何も捕れなかったことの落胆もあって、「私たちは夜通し苦労しましたが・・・」と語ったのでしょう。
しかし、主イエスがお語りになっているすぐそばにいたペトロは、そのお言葉に何か心を打たれる思いがあったようです。
ですから、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と応答しました。その結果はどうだったでしょうか。
おびただしい数の魚が捕れました。網が破れそうになりました。
もう一艘の舟に合図をして近くに来てもらい、一緒に魚を引き上げたのですが、舟は魚でいっぱいになり、舟は沈みそうになりました。
主イエスはペトロ達に、何を教えようとされたのでしょうか。どうしたら魚を大量に捕れるか教えようとされたのでしょうか。
主イエスは、漁の技術を教えようとされたのではありません。
神の言葉に聞き従うということを教えておられるのです。
自分の思いや、経験に頼るのではなく、神の言葉に聞き従うとき、溢れる程の神の祝福にあずかることができることを、お教えになったのです。
この時、ペトロはどうしたでしょうか。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言って。主イエスの足元にひれ伏しました。
ペトロは大漁を喜んだのではなく、主イエスの足元にひれ伏して、罪の悔い改めに導かれました。これは、一緒にいたゼベダイの子ヤコブ、ヨセフも同様であったとあります。
ヤコブ、ヨセフも主イエスに弟子として召され、「人間をとる漁師」とされるのです。「人間を捕る漁師」と訳されている言葉は、「人間の漁師」というのですが、よく意味が分かるように訳されています。
主イエスは恐れおののくペトロに、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5:10)とお言葉を与えました。
「彼らは、舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」(ルカ5:11)のです。
舟を陸に上げて、これからの人生をすべて主イエスにお任せすることを決心しました。
自分がなにか仕事や用事をしているとき、他のことで手を止められるのは、迷惑なことではないでしょうか。今忙しいのに、手を止めさせないでほしいと思います。
ペトロ達は一晩中湖に出て働き、しかも何も収穫がなかったので、疲れて舟を上げて、網を洗っていました。早く終わらせて休息しようと思ったでしょう。
ところが、主イエスは、そのような時に舟を漕ぎだすよう頼んだのです。
ペトロはその手を止めなくてはなりませんでした。
ペトロは主イエスを依頼に応えて、舟を漕ぎ出しました。
主イエスのすぐそばで、御言葉を聞くことができました。
そして、主の御言葉に従ったのです。
ここに、すばらしい主の祝福に預かることができる、信仰について学ぶことができます。
自分は今忙しい、早くこの仕事を終わらせたいなど、それだけを考えていると、主イエスの御声が届かないことがあります。
主イエスの語り掛けを聞く、よく聞こえる耳を持ちたいと思います。
そして、それが自分の思いと違う事であっても、手を止めてよく聞き、聞き従うときに、思いもよらない主の祝福の御業にあずかれるのです。
ペトロや、アンデレ、ゼベダイの子たちは、主イエスの弟子として主に従いました。
主の言葉に従うとき、人の思いをはるかに超えた祝福を体験します。それは、私たちが信じている方は生きておられるということです。真の神、全知全能の神であることがわかるのです。
旧約の預言者エリヤは、サレプタに住む、貧しいやもめのもとへ遣わされました。エリヤはやもめに会うと、水とパンを求めました。
やもめは、最後に残った一握りの粉と、最後の油でパンを作り、それを息子と食べて、死を待つつもりだと答えました。干ばつによる飢饉で食物が何もなかったのです。飢えて死ぬのを待つばかりでした。エリヤは、まず私の為にパンを作ってくれるよう頼みました。そして、「主が地の面に雨を降らせる日まで壺の粉は尽きることなく瓶の油はなくならない」(列王上17:14)と語りました。
やもめはその言葉に従いました。エリヤを通して語られた神の言葉はその通りになったのです。粉も油も絶えることなく満たされたのです。
私たちは、まず神の言葉を聞かなければなりません。そのためには、心の耳をいつも神に向けていることです。他のことに心を奪われていると、その御声は聞こえません。恐ろしいことですが、御声に応答しないなどということがあってはならないのです。
主イエスは、大きな祝福を用意して、私たちが応答さえすればお与えになる方です。
霊的な大きな祝福、天の祝福が備えられています。また、地上で必要なものもすべて備えられています。
私たちは今のコロナ禍の中で、毎日どのように生きているでしょうか。すぐそばにおられる主イエスが、御言葉をもって導き、大きな祝福を下さるのです。
私たちの経験、知恵、知識をはるかに超える、素晴らしい主イエス
ご自身を体験する毎日であるように、いつでも、手を止めて主イエスに応答できる日々であるように、願い祈りましょう」。


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