阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年4月18日
「道・真理・命」
ヨハネによる福音書14章1-6節

 今日も幸いな礼拝をささげられることを感謝します。
主イエスを救い主として信じ、心に受け入れた者は、神の子であり、永遠の命を持つことができました。
主イエスの十字架の贖いによって、罪は赦されたのです。
この世にありながら、神の国の民として生かされていることを感謝します。
私たちは、この世にある限り、様々な信仰の戦いを覚えますが、イエス・キリストにあって、常に勝利であることを堅く信じます。
 トマスは主イエスによって12弟子に選ばれた人でした。主イエスが復活されて弟子たちの所に来てくださった時に不在で、主イエスが十字架で受けた手にある釘跡と、槍に刺されたわき腹に手を入れなければ信じないと言い切った人です。
8日の後に来てくださった主イエスは、トマスに「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる人は幸いである」と言われました。
そのトマスは、十字架直前の過ぎ越しの食事の席で、主イエスに質問をしました。
主イエスは間もなく逮捕され、十字架への道を歩まれます。
食事の席で、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14:1)と、教えてくださいました。
人は、心に不安や恐れを持ちやすい弱さを持っています。
物事が順調である時には、神を信じる信仰はしっかりしていると思っても、ひとたび問題が起こるとたちまち不安になって、心が揺れ動くような時があります。心に心配があると、たちまち信仰が萎えてしまうようなことさえあります。
主イエスは、「心を騒がせるな」と言われます。心配することはないと言われるのです。
主イエスは間もなく十字架に架られて死なれるけれども、天の御国で信じる者すべてのために住まいを備えてくださる。そして、備えができたら迎えてくださるという、確実な約束があるからです。
主イエスに永遠の住まいに招かれるのだと言われたのです。
主イエスを信じて永遠の命をいただいた者は、世の生き方と、考え方が変化します。
この世では旅人であり、寄留者であるということがわかるのです。
国籍は天にあり、天から世に遣わされ、やがて永遠の御国に帰る。世はそれまでの仮住まいであるということです。
だからといっていい加減に生きるのではなく、主イエスの御心を心とし、福音を伝えることを常に心に留めながらの生活です。
主イエスの前に立つとき、「忠実な僕、よくやった」というおことばをかけていただくことを願うのです。
それでも、日々の生活の中で次々と問題が起こります。信仰の試練もあります。
試練に打ち勝つには主イエスの御言葉が力となり頼りとなるのです。
「心を騒がせるな」(ヨハネ14:1)。また、「静まってわたしこそ神であることを知れ」(詩編46:10口語訳)と、聖書には慰めと励ましが至る箇所に記されています。
恐れたり、慌てる必要はありません。主イエスはすべてをご存じで、救いの手を差し伸べていてくださるのです。
私たちは、苦しみの時こそ信仰を働かせ、御言葉に立つべきです。
私たちは、主イエスが共におられることを知っています。
「神はわれらの避け所、また力である。悩める時のいと近き助けである。」(詩編46:1口語)新共同訳では、「苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」と訳されています。
苦しい時、もう駄目だと思うような時、行き詰る時、必ずその所にいて、助けてくださるのです。
人は、苦しい時、誰を頼るのでしょうか。力のある人間を頼るかもしれません。あるいは財力を頼るかもしれません。それらは限りあるもので、人を完全に救うことはできません。
苦しみの時があるなら、それは神を完全に頼ることの訓練かもしれません。
聖書は、天の父は、完全であり、良いお方であると教えています。
この世を愛し、その独り子さえも惜しまずに賜ったのです。
この方は、私たちを愛し、最善の時に最善をなされる良い父であることを信じなければなりません。
今、私たちは、経験したことのない困難さを覚えています。昨年の春、新型コロナウイルスの感染が広がっているという事態に直面しました。
一度目の非常事態宣言が出て、教会は礼拝を休止しました。そのほかの集会も休止したのです。
教会に集まっての礼拝がささげられない事ほど、苦しいことはありません。
YouTubeで礼拝を続けました。感謝なことに、礼拝を再開することはできたのですが、コロナは治まらず、今年1月14日に二度目の非常事態宣言が出されて、再び礼拝を休止することになりました。3月に解除されましたが、なおも感染は拡大しています。
現在は、兵庫県でもまんえん防止等重点措置なるものが適用されています。いつ感染するかわからないという危機の中に生活していかなければなりません。
このような時だからこそ、一層心を救い主に向けて、これらの災いを最善に変えてくださる神を信じて待ち望みたいと思います。
主イエスは、「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」(ヨハネ14:4)と言われました。
そのように言われても、戸惑うばかりで、トマスが主イエスに質問したのです。
「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(14:5)
あなたがたは知っていると主は言われるのですが、自分たちはわからないのだと伝えました。
すると、主は、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(14:6)と、お答えになりました。
主イエスは、ご自身が天の父に至る道だと、宣言されました。
そして、真理であり、命なのです。ここで主イエスが言われている命は、永遠の命の事です。
天の父の許に行くとは、救われて永遠の命をいただき、天の御国の民とされることです。
真理である主イエスと共に歩み続けることです。
主イエスは道ですから、その御言葉と信仰に歩むことを教えてくださったのです。
主イエスを信じながらも、疑いを持つような時があるかもしれません。不信仰に苦しむことがあるかもしれません。しかし、どのような時も主イエスご自身という道に立ち戻ることができます。
人はだれも明日のことはわかりません。明日何が待ち受けているのかだれも知りません。しかし、恐れる必要はないのです、
主イエスはわたしという道に歩めば、必ず父のもとへ導かれる。必ずすべてが益となり、祝福であることを知るようになると、励ましてくださいます。
すべては主イエスを救い主として信じることから始まるのです。
主イエスはだれもが救いを受けて永遠の命を得るようにと願っています。この世の事だけを考えて生きるのではなく、永遠に心を向けて、真の祝福を得て欲しいと願っておられます。この世と、世のものは、すべて過ぎ去っていきます。
真の命に満たされ、神の豊かな祝福の中に生きる人は幸いです。
私という道を歩めと語られる、主イエスの御声に聞き従いましょう。
信仰の戦いの中にあっても、勝ち得て余りある勝利を喜びましょう。


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