阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年5月2日
すべてが恵まれ健やかであるように
Vヨハネの手紙2節

 主イエスを信じた者の特権の一つに、祈りがあります。
人は、心に強い願望があるとき、あるいは不安を覚える時、なにかに願いをかけるのです。
そのなにかは人によって違い、様々であると思います。
ある人は、神社仏閣に詣でて手を合わせ、家では仏壇に向かい、先祖に願うこともかつてはあったでしょう。
しかし、その願いの対象は、命がないので答えることはできません。
聖書は、「偶像」を拝むことを禁じています。偶像崇拝は霊的姦淫とみなされます。偶像にはなんの力もないことを聖書は繰り返し教えます。
「偶像が木にすぎないことも知らずに担ぎ 救う力のない神に祈る者・・・」(イザヤ45:20)
「袋の金を注ぎだし、銀を秤で量る者は 鋳物師を雇って、神を造らせ これにひれ伏して拝む。彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き 据え付ければそれは立つが そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず 悩みから救ってはくれない」(イザヤ6:5−7)とあります。
人の手によって造られた偶像に助けを求めても救いはありません。
私たちは、主イエスを救い主として信じた時から、祈りに答えてくださる、生きておられる唯一の真の神に祈ることができるようになったのです。
すばらしい特権です。父なる神はイエス・キリストを通して、私たちを子として受け入れてくださいました。
祈りは父なる神との会話であり、霊の交わりです。
祈りは呼吸にたとえられます。私たちは呼吸ができなければ命を保つことができません。体の呼吸は無意識でも、眠っているときでもすることができています。祈りの呼吸は意識して呼吸することが必要です。絶えず祈りましょう。
ヨハネの手紙T、U、Vは、12使徒の中でも一番長生きをしたと言われている、ゼベダイの子ヨハネによって記されたものです。ヨハネ第三の手紙は、ガイオという人に宛てた短い手紙です。
この手紙はヨハネがエフェソで90年ころに書いた手紙です。ヨハネはガイオを愛し、ガイオと親しくしている信仰の兄弟たちとも親交があったようです。
信仰の兄弟たちはヨハネの許に来て、ガイオがキリストに従い信仰によって歩んでいることを伝え、ヨハネは大変喜んでいます。
ヨハネは、自分の子どもたちが真理に歩んでいることほど嬉しいことはないと書き送っています。自分がキリストを伝え、育んだ霊の子どもが成長し、用いられていることを大変な喜びとしました。
救い主を信じる者は祈る者です。真の神に祈ります。
御言葉は、「絶えず」祈ること、「信じて」祈ること、「感謝して」祈ること、「忍耐して」祈ることを教えています。
絶えず祈るとは、呼吸が一時も途切れない様に、祈ることですが、これは、心がいつも神に向いているかどうかということです。魂が眠りこけて、心の目が主イエスからそれてしまうと、祈りはできません。いつも魂を目覚めさせておくことを示しています。
どのようなことも信じて祈ることは恵みです。
希望を持って待ち望む祈りです。御心は必ず成就することを信じて祈ります。また、御言葉は感謝して祈ることを教えています。
主イエスを信じると、聖霊によっていつも心に感謝と喜びがわき上がります。信じることも、忍耐することも、感謝することも、喜ぶことも、すべて、内におられる聖霊によることを覚えましょう。
聖霊は、御心の祈りに導いて、私たちの魂を豊かに潤してくださいます。
日頃からの豊かな祈りは、危機の時や、苦難の時の祈りになります。
いつも父なる神との交わりが絶えない魂は、危急の時に祈ることができます。
ネヘミヤは、ペルシャの王アルタクセルクセス王に仕えていました。
捕囚の民であっても、優秀なユダヤ人は王の側近として仕えました。
王の給仕役は、王を害することもできます。そのような役目に付けるのは、大変な信頼が置かれていたのです。
ネヘミヤの許にユダヤから何人かがやって来て、エルサレムの城壁が荒れ果てて、城門は焼け落ちたままであると伝えました。
このニュースを聞いたとき、ネヘミヤは泣きながら断食して祈りをささげました。
その祈りは、イスラエルの不従順を悔い改め、とりなす祈りでした。
ネヘミヤが王の給仕役として王に仕えていた時、王はネヘミヤの表情がさえないことに気づきました。
王はそのわけを尋ねました。ネヘミヤは王にエルサレムの荒廃を語りました。王は、「何を望むのか」と尋ねました。
その時、ネヘミヤはとっさに神に祈りました。日頃の真剣な祈りの積み重ねはとっさの祈りに繋がります。
そして、必要なことをすべて王に語ることができました。エルサレム城壁の修復のための帰還すること、木材、材料の調達、エルサレムまでの通行の保証、などを願いました。
神はネヘミヤの祈りに答えてくださり、王はネヘミヤの願いをかなえました。
ネヘミヤはエルサレムへ帰還して城壁の有様をしっかりと見回り、工事に取り掛かることにしました。
ネヘミヤがエルサレムの人々に、神の御手が恵み深く守り、王が支えられたことを告げると、彼らは奮い立ったのです。
この工事に反対する勢力がありました。しかし、ネヘミヤは「天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する。」と告げて工事にかかりました。
人々は工事の個所を分担し、自分が受け持つ場所をしっかりと補強しました。反対勢力は、あざけりの言葉をかけ、エルサレムに攻め上る勢いでしたが、神に祈り、警備を強固にして工事は進められました。困難な中にも、祈りと信仰によって52日間で工事は終わったのです。
「神の助けによって工事がなされた」ということを周辺の民も、敵も認めざるを得ませんでした。イスラエルの神は生きておられることを表すことができました。
祈りは不可能と思えることを可能にします。祈りは勇気をもたらします。
ヨハネの手紙三、2節には、「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています」とあります。
私たちの魂はどのような状態でしょうか。いつも恵まれているでしょうか。イエス・キリストに繋がる者は、いつも恵まれています。主イエスの命に繋がる者だからです。まことのぶどうの木である主イエスに繋がる枝は豊かな祝福の実を実らせます。
魂の恵みにあずかっているように、すべての点で恵まれるように、また、健康が恵まれるようにと祈りがなされます。
天の父は、ありとあらゆる恵みに満たして下さるお方です。
「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」(Uコリント9:8)とあります。
天の父はこれほどの恵みを備えていてくださるのです。信仰と祈りによって、神に近づきましょう。
御言葉のように、恵みに満ち溢れて、魂と体とあらゆることにおいてすばらしい恵みにあずかる毎日であることを感謝しましょう。
コロナ禍にありますが、主イエスはともにいて、私たちの為に祈り、励ましてくださいます。
信仰による兄姉が御言葉の通りすべての恵みに満ち溢れ、神の栄光があがめられるよう、祈りの手を上げ続けましょう。

今週のみことば
「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるように祈っています。」
Vヨハネ2節


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