阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年5月9日
「神の家族」
マルコによる福音書3章31-35節

 母の日礼拝が昨年に続き、今年もYouTube礼拝となりました
兵庫県にも新型コロナウイルス拡大防止のために、非常事態宣言が出されています。
教会は当面すべての集会を休会しています。感染拡大が終わり、非常事態宣言が一日も早く解除されるよう祈りましょう。
母の日は、1907年、アンナ・ジャービスという婦人が、母が所属していた教会で、2年前に召された母の記念会を行い、参列者に母の信仰と献身の記念として、白いカーネーションを渡したことから始まりました。その後、アメリカ全国に広がり、1914年に、5月第二週を母の日とする法律が施行されました。     
日本では、戦後、お母さんが存命の人は赤いカーネーション、召されている人は白いカーネーションをささげて、お母さんに感謝するということが広まりました。
日頃のお母さんのご苦労を思い、感謝したいと思います。
お母さんが、神の祝福の内に歩まれるよう、お祈りしましょう。まだ信仰をお持ちでなければ、救いを信じて、これからも祈ってまいりましょう。
主イエスは、カファルナウムを中心に、ガリラヤや周囲の町々村々で福音を伝えて行きました、おびただしい人々が主イエスの許に来て、御言葉を聞き、病気を癒していただきました。
マルコ3章20節には、イエスがお働きの後、家に帰られたことが記されています。ナザレの家ではなく、伝道の拠点としていた家であると思われます。
ここにも多くの人々が押し寄せてきて、食事をすることもできないほどでした。
ナザレで主イエスは歓迎されませんでした。大工ヨセフの子ではないかと言われて、受け入れられませんでした。
主イエスは、恵みによって救われる、新しい時代が到来したことを、ナザレの会堂で宣言なさいました。
「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4:18−19)。
イザヤ書のこの預言は、「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と告げられたのです。罪からの解放、救いの到来です。
ところが、ナザレの人々は、主イエスを信じようとはせず、かえって主イエスを町の外の崖に連れて行き、突き落とそうとまでしたのです。
そして、主イエスの身内の者が「取り押さえに来た」(マルコ3:21)とあります。主イエスは気が変になっていると言う人々がいたからです。
エルサレムからやってきた律法学者たちは、主イエスはベルゼブル(悪霊)に取りつかれているとまで言ったのです。
主イエスは、彼らに、「どうしてサタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう」(マルコ3:23−25)と諭されました。
そのような中にあっても、主イエスの教えを聞く人々は大勢いました。
主イエスの母と、兄弟たちがやってきました。家の中には大勢の人々が集まっていたので、人に主イエスを呼んでもらうことにしました。
「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを探しておられます。」(マルコ3:32)と知らされると、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」(マルコ3:33)とお答えになりました。
周りの人々を見回されて、「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹また母なのだ」(マルコ3:34,35)と言われたのです。
わざわざお母さんが来られたのだから、お話を中断して母の所に行っても良さそうなのに、とも思われます。
主イエスは家族をないがしろにしたのではなく、「神の言葉を聞いて行う」ということの大切さを教えておられるのです。
更に、「神の家族」となるという恵みについて教えてくださいました。
主イエスがこの世に来てくださったのは、世の罪の贖いのためです。人は罪の為に真の神との関係が断絶し、滅びの道を歩むほかありませんでした。
主イエスはすべて人の罪を贖うために、十字架へ向かって歩まれます。
主イエスの十字架の死と、復活を信じる者は誰でも救われる恵みの時代が到来したのです。
罪許された者は神との和解が成り立ちました。神の子とされたのです。
真の神を父とお呼びし、近づき、主イエスの名により祈ることができるのです。
神の家族とされました。エフェソ2章19節には、「あなたがたはもはや、外国人」でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり・・・」とあって、キリストの贖いによって神の子、神の家族になったことが教えられています。
ヨハネによる福音書にも、「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」(ヨハネ1:12、13)とあって、
血筋によるのではなく、人によるのでもなく、主イエスを信じ、受け入れた者は、神の子とされることが約束されたのです。
主イエスの地上での家族も、やがて血筋によるだけの家族から、神の家族へと変えられていきます。
主イエスの兄弟ヤコブの信仰の働きはあまりにも有名です。
エルサレム教会の長老として働き、祈りの人として知られるようになりました。92年頃殉教するまで、福音のために忠実に働きました。
初代教会時代には、このように主の兄弟たちが用いられていたと考えることができます。母マリアは、主の十字架の時にはそこにいて、ペンテコステの時にも信じる者たちと共に熱心に祈りました。
血筋による家族は、メシアであるイエスを信じて受け入れ、神の家族になって用いられたのです。
主イエスは、神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3:31)と言われました。ルカによる福音書では、「神の言葉を聞いて行う人々」とあります。
私たちは、主イエスを信じて救われました。毎日主の御言葉を聞きながら生かされています。御言葉は魂の糧です。祈りが呼吸であるように、御言葉は糧です。御言葉なしには生きることはできません。
主イエスは、周りに座っている人々を見回して、「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」(マルコ3:34)と言われたことを覚えたいと思います。まだ御言葉をよく知らない人もそこに座っていたと思います。主イエスはそのような人々にも、ここにわたしの家族がいると言っておられるのです。
主は、主イエスを救い主として心に受け入れ、その跡に従い続けようとする者を受け入れてくださるのです。
たとえ、私たちが弱く、迷いやすい者であろうとも、主イエスに従い続けたいと願い続けるなら、受け入れ導いて下さいます。
「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストはご自身を否むことができないからである」(Uテモテ2:13)とあります。
私たちは誠実でありたいと願います。しかし、たとえそうでなくても、主イエスは限りなく真実なお方です。
私たちがこの方に繋がっている限り、その手を離されることはありません。
私たちが、父母を愛し、従うことは御心です。父の為に、母の為に救いと導きを祈ることは御心です。
祝福を祈り、救いを祈り、家族が神の家族であるように、祈りましょう。家族が皆救われて、共に賛美の声を上げられるよう、祈りましょう。
それは必ず聞き届けられる祈りであることを感謝します。
主イエスが、「わたしの母、わたしの兄弟、わたしの姉妹」として、受け入れてくださることを感謝しましょう。


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