阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年5月23日
第4聖日ペンテコステ礼拝会
「ペンテコステの日の出来事」
使徒言行録2章1-13節

 今日はペンテコステ礼拝です。昨年同様YouTubeでのペンテコステ礼拝になりました。一日も早いコロナウイルス感染拡大終息を祈り続けましょう。
ペンテコステとは一般的に聞きなれない言葉です。世の中にはクリスマスやイースターのようには知られていません。しかし、約束の御霊が降り、教会が誕生した日ですから、主イエスを信じる者にとって、また、教会にとって本当に大切な記念の日なのです。
主イエスは世の罪を贖うために十字架で死なれ、三日目に復活されました。その後弟子たちの所に来てくださり、40日にわたって、神の国についてお教えになりました。
そして、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(使徒1:4)と言われました。聖霊を待ち望むようにと言われたのです。
主イエスがオリブ山から昇天されたのち、弟子たちはイエスの母マリアや主の兄弟たちと心を合わせて熱心に祈りました。
ペンテコステとは、ギリシャ語で、五十番目、五十日という意味です。
これはユダヤの祭りで、「五旬祭」と訳されています。五旬祭は、過越しの祭りの翌日から七週目、つまり、五十日目に行われるので、五旬際です。七週の祭りとも言われます。
五旬祭は麦の収穫を祝う祭りでした。ユダヤでは、「過越」、「仮庵」、「五旬祭」が、大きな大切な祭りとされていました。
主イエスが十字架に架られたのは、過越の祭りの時でした。三日目に甦られ、使徒たちに現れ、昇天されるまでが四十日間でした。
主イエスは昇天の前に弟子たちに、「ヨハネは水で洗礼(バプテスマ)を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼(バプテスマ)を授けられるからである」(使徒1:5)と約束されました。さらに、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)と約束されました。
ペトロを中心として120名ほどが一つになっていました。
五旬祭の日にも弟子たち一同は集まり、一つになって祈っていました。
その日、約束の御霊が降りました。それ以後キリスト教会は、聖霊が降った日のことを、「ペンテコステ」あるいは、「聖霊降臨日」と呼ぶようになりました。
この日、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(使徒2:2)とあります。
そして、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒2:3)のです。
すると、「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」(使徒2:4)。
待ち望み祈る人々に、このようなことが起こりました。
五旬祭のために、他国に住んでいるユダヤ人や、改宗した異国人がエルサレムに来ていました。この人たちが大きな物音を聞いて集まってきたのです。
聖霊を受けた弟子たちが、自分たちの国の言葉で神の偉大な業を語り、賛美しているのを聞いて、驚きました。
本当に多くの国や地域から人々が集まっていました。遠く、ローマからの巡礼者や、クレタ島やアラビアから来た人々もいたのです。
この人たちが聞いた神の偉大な業とは、主イエスの救いの御業です。福音です。主イエスがこの世に来られ、十字架に架って死んでくださいました。すべての人の罪の身代わりとしての死です。
しかし、主イエスは3日目に復活され、信じる者は罪から解放されて永遠の命に生かされるのです。神の業によらなければ人の救いはあり得ません。言葉は違っても、一つの事、神の救いの御業が語られたのです。
しかし、この出来事を見ても、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」といってあざける人々もいました。
その時、ペトロはほかの11人の弟子たちと共に立って、声を張り上げて話し出しました。
ペトロはどのような人だったでしょうか。主イエスに召されて十二使徒にえらばれ、常にそばにいて、直接教えを聞いた人でした。時々大言壮語をして、「私はどのようなことがあっても最後まで従います」と言いました。
ペトロは、主イエスがゲッセマネで逮捕されて大祭司の庭で裁かれていた時、焚火に当たっていて、「あなたもあの人の仲間だ」と指摘されると、大慌てで「絶対知らない、誓って知らない」。と言ってしまいました。
主イエスを三度否定した時、鶏が鳴いたのです。かねて主イエスが、「鶏が鳴く前に三度わたしを拒む」と予告された通りでした。
ペトロは、庭から外に出て激しく泣きました。主イエスを否むなど、取り返しのつかないことをしたと思いました。
しかし、主イエスは復活されたのち、ガリラヤ湖畔でペトロを再び召され、立たせてくださいました。
そのペトロがペンテコステの出来事の後、直ちに大きな声で主イエスを伝えました。この出来事は旧約聖書ヨエル書の成就であり、ナザレのイエスこそ救い主であること、主イエスの十字架の死と復活を力強く語りました。
「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(使徒2:36)
人々はこの言葉を聞いて、心を打たれました。ペトロは、悔い改めること、バプテスマを受けること、罪を赦していただいて聖霊を受けるようにと勧めました。
そして、この救いの約束は限られた人だけではなく、すべての人々に与えられたことを示しました。
「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使徒2:39)と宣言しました。
主イエスの救いは信じる者に与えられるのです。信じる者に罪の赦しと永遠の命が与えられるのです。恵みの時代の到来です。
この日、信じた人々三千人がバプテスマを受けて、信じる者の群れ、教会が誕生しました。
信じた人々は、使徒の教えと、相互の交わり、パンを裂くこと(礼拝と愛さん)、祈ることに熱心でした。
これらがペンテコステに起きた出来事です。
主イエスの約束は今も生きています。
主イエスは求める者に無限に聖霊を賜るお方です。信じる者の腹から命の水が溢れ流れます。御霊の満たしを体験し、力に満たされ、溢れ流れ、主イエスの福音のために用いられます。
聖霊が降った日に教会は誕生し、主イエスの福音が地の果てまで宣べ伝えられました。今もその働きは続いています。
福音が伝えられるのは、聖霊の業です。人の力ではありません。
主イエスを信じた人々は、さらに聖霊に満たされ、魂を刈り取りに遣わされました。迫害にあっても、その働きはとどまりませんでした。
言うまでもなく、今は新型コロナウイルス感染拡大防止のために、教会の働きが抑えられているような思いになりがちです。
しかし、主イエスは昨日も今日もこれからも進まれます。
折が良くても悪くても、御言葉を伝えるというのが、私たちに与えられている主イエスの命令です。
まず、聖霊を求め、満たされるように祈りましょう。聖霊が私たちを満たし、導き、力を与えてくださいます。
信仰を持って主イエスを見上げましょう。主の御心をさらに求めましょう。
今こそ聖霊によって、私たちが遣わされるべきところで主イエスを伝えることができるよう、祈りましょう。主イエスは私たちを聖霊によって用い、すばらしい御業を必ず現してくださいます。

今週のみことば
「わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。
それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。」
Tコリントの信徒への手紙2章12節


 ページのトップへ
  
2021年の礼拝メッセージ
  
他の年の礼拝メッセージへ


トップページへ