阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年5月30日
「成長する信仰」
Tペトロの手紙2章1-2節

 5月最終の日曜日を迎えました。きょうも置かれたところで礼拝をささげましょう。
非常事態宣言は延長されるようです。もうしばらくご自宅でYouTube礼拝をささげましょう。ご家族と共に礼拝してください。
礼拝動画は、教会のホームページ、hanchape.comのトップページに表示されるようになりましたので、すぐに視聴できます。ぜひHPをご覧ください。また、GGCや、求道中の方々にお知らせください。新型コロナウイルス感染者が激変し、非常事態宣言が解除され、感染拡大が終息するよう、教会の礼拝はじめ各集会が再開できるように、祈り続けましょう。
さて、私たちはそれぞれが神の招く声に応えて、キリストを信じる者とされました。私たちの神は人を招かれるお方です。それは、救いと祝福を与えるためです。
私たちは、主イエスのたとえ話で先日も学びました。天のすばらしい宴会に招いて下さるのです。自分の関心がこの世にばかりあって、大切な救いと永遠の招きを拒んではいけません。
主イエスはすべての人が罪から救われて、永遠の命を得るために十字架で死んでくださいました。罪の身代わりの死です。3日目に復活されて、今も生きておられ、私たちの為にとりなしていてくださいます。
今は、この方を信じる者は誰でも救われるすばらしい恵みの時です。
主イエスを信じて救われるのです。救いの為に交換条件はありません。信仰により、恵みによって救われます。
この救いは素晴らしいので、その恵みに応えていくことは大切なことです。
ペトロの手紙T、2章1−2節は、「だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」と教えています。
「悪意」、「偽り」・・・と、記されていますが、これらは主イエスを信じる以前の人の心の状態を表しています。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです(ローマ3:23,24)」という御言葉がありますが、人は皆、心に罪を持ってこの世に生まれます。罪の中心は自己中心です。このペトロの手紙の「悪意」も「偽りも」その他も自己中心から発生するものです。
この頃、ヘイトクライムという言葉をよく聞きます。人種や宗教、肌の色、出身地などによって人を差別し、憎悪して暴力を加えるような事件を聞くようになりました。アメリカではアジア系の人々が対象となって被害を受けています。
人の心にある罪が表面に現れているのです。罪が原因ですから、悔い改めがなければ、いくら警察が動いてもなくなりません。
主イエスを信じた人は、罪を捨て去るようにと勧められています。
ヘブライ人への手紙にも、「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」(ヘブライ12:1)とあります。
罪は巧妙で、悪賢く人を巻き込むのです。また、必要のない重荷も邪魔になります。これらをかなぐり捨て、主イエスを見上げながら走り抜こうと進められています。
主イエスは私たちを罪から解放するために十字架に架られました。
主イエスの血はすべての罪から私たちを清めてくださいます。
主イエスを信じた者は、罪の解決が与えられていることを覚えながら、日々悔い改めて祈ることができます。
乳幼児にとって、乳は生きるための糧です。乳を与えられることで成長することができます。
主イエスを信じる者にとっても、純粋な霊の乳(糧)がなくては信仰の成長はありません。霊的な成長をしていくためには霊の糧が必要なのです。
神の言葉は私たちにどのようなことをしてくださるのでしょうか。
・まず、御言葉は、救いの確信に満たしてくださいます。主イエスが十字架にかかり、救いを成し遂げてくださったのに、救いの確信がなければ信仰はあやふやな状態にとどまります。尊い血潮が流されて救いが成し遂げられたのに、確信を持つことができなければ信仰を築き上げていくことはできません。
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」(ローマ10:9、10)とはっきりと宣言しています。このほかに救われる方法はありません。
・御言葉は、喜びと平和に満たしてくださいます。
喜びと平和のない信仰はあり得ません。もちろん、試練の中にある時、病の時に、あるいは、思わぬ出来事によって心が不安になることはあるでしょう。
しかし、御言葉によって、すでに助けの御手が伸ばされていることを確信することができます。主イエスの平安と喜びが失われることはありません。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Tコリント10:13)力強い幸いな御言葉です。
・御言葉は信仰の戦いに勝利を得させてくださいます。
私たちには力はありません。しかし、主の御言葉は力であり、剣なのです。霊の戦いに打ち勝つことができるのです。不信仰をもたらすサタンに勝利することができるのは御言葉によるのです。
「また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」(エフェソ6:17)とあります。
エフェソ6章は、神の武具を身に着けて世にはびこるサタンと戦うようにとあります。
真理の帯、正義の胸当、平和の履物、信仰の盾、救いの兜、これらを身に着けて信仰の戦いを戦い抜くようにとあります。これらは身を守る防具ですが、御霊の剣、すなわち神の言葉は戦いの武器です。
防具も武器も大切です。御言葉なしに信仰の戦いの勝利はないのです。
御言葉によって勝利があります。
・御言葉は新しい力に満たします。
「疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが 主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:29−31)
主を待ち望む時、常に新しい力を与えられることが約束されています。
御言葉が豊かに与えられていることに感謝します。
さらに私たちの信仰の成長をもたらせてくださるのは、聖霊の働きであることを忘れることはできません。
もちろん主に従うことにおいて、時には身を打ち叩くことが必要かもしれません。努力もいるでしょう。
しかし、自分の力だけで成長はできません。霊の糧を慕い求め、御言葉をしっかりと読みます。そして、それをさらにしっかりと心の内に植え付けるのは、聖霊によるのです。
私たちの内に住まわれる聖霊によって御言葉が生きて働かれます。
御言葉は主イエス・キリストを鮮やかに示してくださり、主イエスを深く知らせてくださいます。
聖霊によって日ごとに主イエスを深く知り、信じ、主の姿に変えられていくことこそ、成長するクリスチャンであることを覚えたいと思います。
罪と世に勝利された主イエスを崇めましょう。主イエスの救いと恵みを賛美し、主の御言葉をますます慕い求めましょう。


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