阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年6月20日
第3聖日父の日礼拝会
「信仰に立つ」
使徒言行録5章27-32節

 今日もご家族と共にYouTubeで礼拝しましょう。非常事態宣言は20日に解除される見込みです。7月4日(日)からの教会での日曜学校、礼拝の再開を祈りましょう。もうしばらくの忍耐です。気を緩めることなく感染防止に努めましょう。

さて、使徒たちは、聖霊に満たされて、主イエスの十字架の救いと復活を力強く宣教しました。建て上げられた教会では、幸いな礼拝と交わりが続けられました。多くの人々がさらに加わって行きました。
「多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」(使徒5:14)とあります。
一方、主イエスを十字架に架けた大祭司やサドカイ派といった人々は、その様子を苦々しく思い、妬みに燃えました。
使徒たちを捕らえて投獄しましたが、夜中に天使が遣わされて、救出されました。
使徒たちは以前でしたら、恐ろしくて震えあがってしまったのではないかと思いますが、ペンテコステの日に聖霊に満たされた使徒たちは、恐れませんでした。天使が伝えた、「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」(使徒5:20)という言葉に応答して、直ちに神殿へ行き教え始めました。
大祭司たちは、最高法院を招集し、そこで使徒たちを裁くつもりでした。牢に人を差し向けると、牢に使徒たちはいませんでした。
牢にはしっかり鍵がかかっていて、番兵がいるのに、牢の中には誰もいなかったのです。
大祭司たちが不思議に思っていると、使徒たちが神殿で人々に教えているという報告がありました。
そこで、また役人たちが使徒たちを引き立ててきました。
使徒たちを議会の中に立たせて、イエスの名によって教えてはならないと命令したのに、エルサレム中に教えを広めて、自分たちにイエスの十字架の血の責任を負わせようとしていると、糾弾しました。
ペトロや使徒たちは「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。私たちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」(使徒5:29)と、答えました。
人を怖れるのではなく神を畏れること、神に従う事を語り、主イエスこそ救い主であり、十字架の死と復活を証言したのです。
大祭司たちはこれを聞き、激しく怒り、使徒たちを死刑にしようと考えましたが、ファリサイ派のガマリエルという議員の助言によって、使徒たちをむち打ち、以後イエスの名によって教えをしてはならないと、命じて釈放しました。
使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどのものとされたことを喜びました。
そして、議会から出て行って、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、イエスこそ救い主であることを告げていきました。
福音を伝えることをやめることはありませんでした。
迫害されても、主イエスにある喜びと力は失われません。
主イエスの十字架により、罪許されて救われた、その救いの喜びは力です。使徒たちは喜びにあふれて福音を伝えました。
主イエスが与えてくださる喜びは、私たちの内から溢れ出る喜びです。普通は、なにか良いことや、嬉しいことがあるから喜ぶと考えますが、主イエスの喜びは条件によるのではありません。
内におられる聖霊の喜びです。使徒たちのように捕らわれて脅(おど)されて、鞭打たれるようなことがあっても、なくならない喜びです。
私たちの信仰の証しは、いつも心に喜びがあふれているということです。
生活の中で、いつも楽しいことばかりはありません。むしろ、苦痛なことや、思い通りにいかないことの方が多いのではないでしょうか。
病気の為に苦しむこともあります。人間関係がうまくいかずに苦しむこともあるでしょう。
一生懸命に伝道するのに、否定されてつらい思いをすることもあります。
そのような時は、私たちが自分自身の信仰を省みる幸いな時なのです。
主イエスの恵み深さを知ることのチャンスです。
静まって祈り、自分の内にある喜びを確認し、新しい信仰の決心と力をいただけるすばらしい時であることを覚えましょう。
ダビデは少年の時に油を注がれ、イスラエルの二代目の王に選ばれました。少年の時に巨人ゴリアテを石投げと石で倒した人です。
勇気があり、神に愛され、人に愛される人でした。
サウル王に仕えるようになっても、戦いに出ると連勝しました。神が共におられたからです。
ダビデが戦いに勝利して帰ると、人々は出迎え、ダビデを誉めそやしました。その様子を見たサウル王は、ダビデを妬みの目で見るようになりました。自分の娘をダビデに娶らせましたが、ダビデの命を狙うようになり、ダビデは逃亡生活を送るようになりました。
常に追ってが迫り、苦しい旅が続きました。
ある時は、気がおかしくなっているような振る舞いまでしなければなりませんでした。
詩編34編は、その苦しみの頂点にあったときに歌った詩編です。
「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。」(詩編34:2−4)「この貧しい人が呼び求める声を主は聞き   苦難から常に救ってくださった。」(詩編34:7)と続けられています。
人生で一番つらくみじめな時、ダビデは主を賛美し、一緒に賛美しようと呼びかけました。また、主が常に共におられて助けてくださると告白しました。一番苦しい時にこのように賛美し、告白できるのは、神が生きておられ、共におられることを信じて、それを喜びとしているからです。信仰によっての歩みだからです。
私たちは、自分の信仰が試され、つらい時、どのようにしているでしょうか。嘆き、心の持ちようがわからなくて苦しむかもしれません。
立ち止まり、静まって主イエスの御声を聞くことです。
生きておられる主は、私たちに語り掛けてくださいます。信仰によって立てと励ましてくださいます。
「あなたの内にある救いの喜びを思い出しなさい。わたしはあなたと共にいて、力と勇気を与えます。どのような試練も挫折も怖れることはありません。私はあなたの神です。わたしはあなたを右の手によって支えます」という御声を聞くことができるのです。
使徒たちは、投獄されても脅かされても、鞭打たれても、迫害を畏れませんでした。牢から不思議な御業で助け出されて、直ちに神殿に向かい、主イエスの救い、福音を伝えました。
主イエス・キリストという土台の上に、自分自身を立て上げることができたからです。
主イエスは、信じる者に喜びと平安を無限にお与えになります。求める者に聖霊を豊かに注いでくださいます。
主イエスを伝えようとするとき、聖霊は先立ち、また共に働いて下さいます。
私たちの為に十字架に架り、蘇られ、今も生きておられる主イエスを信じましょう。主イエスと共に歩ませていただきましょう。聖霊の火を消すことなく、燃え上がらせて、救いの喜びが力となり、賛美となるように祈り求めましょう。
私たちの信仰は、生きておられる主イエスを体験として知る信仰です。苦難や試練の中にあるなら、主イエスをもっとよく知ることのできるチャンスです。主イエスが何をどのようになさるのかを見ることができるからです。
信仰は勝利と喜びです。

今週のみことば
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」
ガラテヤの信徒への手紙5章22-23節


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