阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年6月27日
「隠れたことを見ておられる父」
マタイによる福音書6章5-8節

6月最終の日曜日を迎えました。私たちの教会は5月2日からYouTube礼拝を続けてきましたが、7月4日から、教会での礼拝を再開致します。2か月もの間、集まることができませんでしたが、その中にもお一人一人が自分自身の信仰と向き合う、幸いな時を持つことができたのではないでしょうか。
非常事態宣言は解除されましたが、コロナ感染が終息したわけではありません。まんえん防止等特別措置が発令されています。
 教会ではマスク着用、手指の消毒などに努めましょう。発熱などで体調の悪い時はお休みしてください。SS以外の集会、行事はもうしばらく休止を致します。
7月からの礼拝YouTubeは、礼拝時に録画し、日曜夜か、月曜朝には視聴できますので、YouTubeを伝道にお使いください。
さて、主イエスを救い主として信じて受け入れた者は、祈ることができるようになりました。祈りとは、独り言ではありません。生きていて祈りを聞いて下さる方との会話です。私たちは父なる神に語り掛け、神は私たちに語ってくださいます。天地を造られた父なる神と交わり、会話ができることは、これ以上ないほどの特権です。
私たちが、天の神を父とお呼びし、祈ることができるのは一体なぜなのでしょうか。
主イエスはこの教えの中で、「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6:6)と、「あなたの父」と2回も言っておられるのです。
8節でも、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」(マタイ6:8)と、「あなたがたの父」と教えておられます。
私たちは、もう一度、全能の神と自分の関係を思い返したいと思います。
人はだれでも罪をもって生まれてきます。罪の為に真の神との関係が断たれています。真の神を知らず、罪もわからず、滅びの道を歩み続けます。神との断絶です。
しかし、「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマ6:23)とあるように、イエス・キリストを信じて、神との正しい関係を持つことができました。永遠の命を受けたのです。この時、神の子とされました。
神の賜物です。無代価で与えられる恵みです。
人はイエス・キリストを信じて、初めて自分の姿を見出すことができます。イエス・キリストを救い主として心に受け入れると、聖霊が心にお入りになり、霊の目が開かれます。
神の御言葉が聖霊によって心に植え付けられ、罪の悔い改めに導かれます。それまでは罪とも思わなかったことが、罪であることがわかるようになります
神がお喜びになることを、自分の喜びとするように変えられていくのです。
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」(ガラテ3:26)と、約束されています。
私たちは恵みにより、信仰により救われて神の子とされたことをしっかりと覚えたいと思います。
「あなたがたが子であることは、神が『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実からわかります」。(ガラテヤ4:6)私たちは一人一人がこの証しを持っています。
神が主イエスをこの世に遣わされて十字架に架けられたのは、罪の中にある者を贖いだして、神の子とするためであることを、心にしっかりと受け入れたいと思います。
誰も交えず、天の父と交わり、「アッバ、父」と叫ぶことができる特権を喜びましょう。
主イエスは、十字架の直前、ゲッセマネでもだえ苦しまれて祈りました。その時、「アッバ、父よ」と祈られました。私たちも「アッバ、父」と叫ぶことができるのは、何と幸いなことでしょう。
人は、偽善に陥りやすい心を持っています。弱さです。主イエスはファリサイ派の人々を偽善者と呼ばれました。
彼らのようにしてはならないと教えました。偽善者とは、常に自分を素晴らしい者として誇る者たちのことです。
行動の動機は自分を誇ることにありました。主イエスは、彼らは人に称賛されるために、自分を宣伝する人たちだと教えておられます。
彼らは称賛を受けるということで、その報いを受けてしまいました。
私たちは神の子とされたことを感謝しながら、さらに父をよく知る者でありたいのです。父はどのようなお方でしょうか。
父なる神は、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)お方です。
父はどのような者に対しても、恵みを注がれ、悔い改めを待ってくださる愛の父なのです。
天の父は隠れたことを見てくださり、報いてくださる父です。ファリサイ派の人たちは、人の目に付くように、大仰(おおぎょう)に祈り、施しをしました。また、敬虔な者として断食していることが人にわかるように、苦しそうな悲痛な顔をしたのですが、それは御心とは言えませんでした。
人々の称賛を得ることで、この世の報いを受けたのです。
天の父は隠れたことをご覧になる方です。人の目に留まるとか、人の評価を得るためだけに行動するなら、それは空しいことです。
私たちの心はどなたに向いているでしょうか。父なる神を心の中心にお迎えしているでしょうか。
御心のように歩むなら、たとえだれの目に触れなくても、誰にも評価されなくても、父なる神はそれをご覧になり、豊かに報いてくださるのです。
父なる神は、願う前から私たちに必要なものをご存じです。
主イエスを信じて神の子とされた者であっても、この世の歩みの中で、様々なことを思い煩い、欠乏を覚えて苦しむことがあります。将来を心配することもあります。
もしそのような思いを持ち続けて抜け出せないとしたら、本当に主イエスに申し訳ないことです。
父は私たちを愛し、願う前から必要をご存じなのです。
私たちがこの世に生きるためには、様々な必要があることを父は知っておられます。ですから、信仰のない異邦人のように、くどくどと述べる必要はありません。
御言葉は、それらの事で心を悩ますなと教えています。
明日の心配はいりません。父は明日を知っておられて、必要はすべて備えてくださるからです。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日(あす)のことまで思い悩むな。明日(あす)のことは明日(あす)自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:33,34)と教えてくださいます。
私たちの天の父がこのようなお方であることを知ると、私たちの祈りは変わります。主イエスがゲッセマネで、私の願いではなく、御心がなります様にと、すべてを父に委ねたように、すべてを最善になさるお方にすべてを委ね、「御心がなりますように」と祈る者となるのです。
天の父は、私たち一人一人を愛する子として受け入れ、すべてを最善へと導き、慰めを与えてくださいます。
そして、天の資産を受け継ぐ者として、永遠の喜びの中にいつも導かれるお方です。
誰も気がつかないような奉仕があるかもしれません。だれも誉めないような働きもあるでしょう。あるいは気づいてもらえないこともあります。
しかし、天の父は隠れた所で見ておられるのです。そして、慰めと励まし、力と豊かな祝福を備えてくださいます。
天の父をほめたたえましょう。父なる神の子とされたことを喜び、心からの賛美をささげましょう。

  今週のみことば
  「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて
  神の子なのです。」ガラテヤの信徒への手紙3章26節



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