阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年8月15日
「だれの名によるのか」
使徒言行録4章5-14節

 8月第3週の礼拝をささげることができました。心から感謝します。
猛暑日が続いたり、雨の日が続いたりで、体調を崩しやすいですが、
主の守りがあることを感謝します。
コロナウイルス感染は広がっています。生活を省みながら、感染防止に努めましょう。
ペトロとヨハネは、美しい門に置かれていた、生まれながらに足の不自由な男の人をイエスの名により癒しました。癒された人は40歳を過ぎていたとありますので(使徒4:22)、40年以上一度も立って歩いたことがなかったのです。毎日誰かに運ばれてきて、美しい門に置かれて物乞いを続けるほかありませんでした。
ところが、ペトロとヨハネを通して、一瞬にして主イエスにより癒されました。彼はくるぶしや足がしっかりとし、踊りあがって神を賛美し、ペトロ達と神殿に入って行きました。人々はそれを見て、気絶するほど驚きました。
ペトロ達は、神殿のソロモンの廊にいたのですが、驚いた人々が集まってきました。
ペトロはこの人々に、主イエスの十字架の死と復活を語りました。
そして、自分たちは、キリストの復活の証人であると証ししました。
「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です」(使徒3:15)。このように語り、罪を悔い改めるように勧めました。
ペトロとヨハネが人々に主イエスを伝えていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々がやってきました。
ペトロ達がイエスの十字架の死と復活を宣べ伝えていたので、いらだち、ペトロ達を捕らえて翌日まで牢に入れました。夕方になり、一日が終わろうとしていたからです。
しかし、この日悔い改めて主イエスを信じた人たちが男の人だけで5千人いたとあります。
翌日、ペトロ達は議会に引き出され、当時の宗教指導者、議員たちから尋問を受けました。
主イエスを裁いたカイヤファ、大祭司アンナス、そのほか大祭司の一族が集まり、ペトロとヨハネを議会の、真ん中に立たせました。使徒たちに、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」(使徒4:7)と、足の不自由な男の人を癒したことについて、何度も尋問しました。
この時、ペトロは聖霊に満たされて、イエス・キリストの権威、イエス・キリストの名によって癒しがなされたと証言しました。
「この人が良くなって皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」(使徒4:10)と、イエス・キリストの十字架の死と、復活、その名の権威を語ったのです。
そして、「この方こそ、あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」(使徒4:11)だと、続けました。
これは、詩編118編22節の、「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった」という御言葉の引用です。この詩編の御言葉は主イエスが引用された御言葉です。
ある時、主イエスが神殿で人々に福音を語っておられると、祭司長や律法学者がやって来て、「何の権威によってこのようなことをしているのか。その権威を与えているのは誰か」と質問しました。
主イエスは、バプテスマのヨハネの権威について逆に質問をしました。ヨハネのバプテスマは天からのものか、人からのものだったのかという質問です「天からのものだ。」と言えば、「なぜ、ヨハネを信じなかったのか」と言うだろうし、「人からのものだ」と言えば、人々はヨハネを預言者と信じているので、冒涜したことで我々を石打にするだろうと考え、「どこからの権威かわからない」と答えました。すると主イエスは、「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」
(ルカ20:8)とお答えになりました。
そして、ぶどう園と農夫のたとえを人々にお話になりました。
ぶどう園を農夫たちに貸して、長い旅に出た主人の話です。ぶどうの収穫の時期には、ぶどう酒を造って、それを主人に納めることになっていたのです。
主人は、収穫を納めさせるためにしもべを送りました。すると、農夫たちは、このしもべに暴力をふるい、侮辱して何も渡さずに追い返しました。主人は別のしもべをおくりましたが、またおなじようにされてしまいました。さらに三人目のしもべを送っても、けがをさせて放り出したのです。
そこで、主人は自分の愛する息子なら、たぶん敬ってくれるだろうと、息子を送りました。すると農夫たちは、「これはあととりだ。殺してしまおう。そうすれば相続財産は自分たちのものになる」と言って、息子をぶどう園の外に放り出し、殺してしまいました。
主イエスは、「さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」(ルカ20:15,16)とお話しになりました。
聞いていた人々は、「そんなことがあってはなりません」と言いました。これは、ぶどう園という働く場を用意して農夫たちを雇い入れて、生活が成り立つようにしてくれた主人に、恩をあだで返すようなひどいことをしてはいけないという意味です。このようなことをすれば当然滅ぼされてしまうと考えました。そして、主イエスは詩編の御言葉を語られたのです。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」
(ルカ20:17)その時、律法学者や、祭司長たちは、自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気が付いて、イエスに手を下さそうとしましたが、民衆を怖れてこの時は何もできませんでした。
石を積んで家を建てる者が、石を選び、本当は大切な親石となる石を捨ててしまう。親石とは、石で建物を積み上げていく時にかなめとなって、建物全体を支える、なくてならない大切な石です。
主イエスは、祭司長たちに、父なる神がその愛する独り子を世に遣わされたのに、信じることもせず、侮辱し、十字架に架けてしまうということを、たとえで示されたのです。
ペトロとヨハネも主イエスのたとえを聞いていたでしょう。それを思い起こしながら、主イエスこそ、あなたたちが捨てた隅の親石であると、議会で証言しました。
「ほかのだれによっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12)と、語りました。
大祭司や議員たちは、立派な装いで威儀を正し、権力者としてペトロ達を囲んでいました。ペトロ達は、美しい門で、「金や銀はない」と言ったように、貧しく、ガリラヤ湖の漁師の出身でした。彼らは無学なただの人であるのに、議会で宗教指導者に囲まれて大胆に話すので、議会の人々は驚きました。そして、十字架に架った主イエスと共にいた者たちであることも分かっていました。足を癒された男の人がそばに立っているので、何も言い返すことができませんでした
結論として、ペトロ達には、今後イエスの名によってだれにも話さない様にと脅しておくことに決め、ペトロとヨハネに決してイエスの名によって話したり、教えたりしない様にと命令しました。ペトロ達は、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒4:19,20)と言い返しました。
更に脅されてから釈放されたペトロたちは、仲間たちの所へ行って、祭司長たちが言ったことを残らず報告しました。彼らは心を一つにし、思い切って大胆に御言葉を語ることができるように祈りました。聖なるイエスの名によって、いやしと不思議がなされるようにと祈りました。祈り終わると聖霊に満たされて大胆に神の言葉を語りだしたのです。脅されてもくじけず、ひたすら生きておられる主イエスを伝え続けました。私たちも、聖霊に満たされて、主イエスの名により大胆に福音を語れる証人なのです。

今週のみことば
「この主のもとに来なさい。
 主は、人々からは見捨てられたのですが、
 神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。」
Tペトロの手紙2章4節


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