阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年9月5日
「たゆまず祈る」
コロサイの信徒への手紙4章2節

 YouTubeでの礼拝の2回目になります。今日も心を合わせて主を見上げ、霊と真をもって礼拝しましょう。先週一週間も守られたことを感謝します。
「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」(コロサイ4:2)。
今朝はこの御言葉をいただき、私たちにとって大切なことを確認していきたいと思います。
 主イエスを信じてクリスチャンにしていただいたときから、私たちは本当の祈りをささげる者になりました。
祈らないクリスチャンはいません。しかし、どのように祈っているのか改めて考えてみたいのです。
祈りは言うまでもなく霊の呼吸です。現在、新型コロナウイルス感染拡大が進み、誰しもが感染危機を覚えながら生活しています。ウイルスは人から人へと感染するので、人の行き来を遮断しなければ感染は治まりません。
私たちは、コロナウイルスが流行してから、今まで使ったことがないような言葉を覚えました。「クラスター」、「ブレイクスルー感染」など、今まで使わなかった言葉です。なぜ、集団感染のことをクラスターという言葉で言い表すのかわかりません。また、ワクチン接種後でも感染してしまうことを「突破する」という意味でブレイクスルーと言うのだろうと思います。
酸素飽和度のことをSpO2と言い、それを指に挟んで測る小さな用具をパルスオキシメーターというのも初めて知ったのではないでしょうか。これらの言葉は、コロナウイルス感染拡大によって普通に使われてきています。SpO2が90以下になると、急いで救急車を呼ばなくてはというくらいの状態です。しかし、搬送先が見つからずに亡くなる人もあります。酸素を体に取り込めないと生きることができません。
体に呼吸が不可欠であるように、霊の呼吸をしないと、霊的な命が保たれません。
祈りは、クリスチャンの命です。ですから、御言葉は「絶えず祈りなさい」「たゆまず祈りなさい」と、繰り返し教えているのです。
当たり前のことですが、祈りは、祈りを聞いて下さる方に祈ります。
私たちは、どなたに祈るのか知っています。
主イエスは、祈りを教えられた時、「だからこう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ・・・』」と示されました。
祈りは天の父に祈るのです。
私たちは、なぜ真の神を父とお呼びすることができるのでしょうか。それは、神がこの世を愛し、その独り子を世に遣わされ、十字架にかけてくださいました。十字架により信じる者の罪を赦し、神の子としてくださったことによります。
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」
(ローマ8:14,15)とあるように、父なる神を「アッバ」とお呼びして祈る者とされました。御霊は私たちが神の子であることを証しされます。
父なる神と絶えず交わり、対話をする。これが祈りです。祈りは神との交わり、対話であることを改めて心に留めましょう。
使徒言行録9章に、アナニアという人が登場します。他の聖書個所には記されていない人ですが、その後の宣教に重要な役割を果たしました。
その当時、まだサウロと呼ばれていたパウロは、厳格なファリサイ人で、主イエスを信じる者たちを迫害することが神の御心であると固く信じていました。家々へ押し入り、教会を荒らして弟子たちを牢屋に送り込んでいました。
さらに主の弟子たちを捕らえ、殉教させるようとするほどの勢いでダマスコへ向かいました。サウロは、ダマスコ途上で、主イエスとお会いしました。突然天からの光がパウロの周りを照らし、パウロは地に倒れました。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。」という声に、「あなたはどなたですか」と問うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」というお答えが返ってきました。
さらに、ダマスコに行くように、そこであなたのなすべきことが知らされるという御言葉がありました。
パウロは地から起き上がりましたが、何も見えず人々に手を引かれてダマスコへ入りました。パウロは三日間断食し、祈りました。
ダマスコには、アナニアという主の弟子がいました。主が「アナニアよ」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」とお答えしました。
すると、主は「直線通りのユダの家にいるサウロを尋ねよ」と使命を伝えました。パウロは祈りの中に、アナニアという人がやって来て自分に手を置き、目が見えるようにしてくれることを幻で知ったと、お告げになりました。
アナニアは、パウロが今までどんなにひどいことをしてきたか知っていたので、「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。」(使徒9:13)と語り、パウロはダマスコでも弟子たちを捕らえるために、祭司長から捕縛の権限を受けていると重ねて言いました。すると、主は「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(使徒9:15,16)とアナニアに語られました。
そこでアナニアは行って、パウロの上に手を置いて祈りました。
「兄弟サウル、あなたがここに来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」(使徒9:17)
自分たちを迫害してきたパウロに対して、兄弟と呼びかけて、主の召命を告げました」。
パウロは目が開き、バプテスマを受けて、直ちにイエスがキリストであることを宣べ伝え始めました。
主がアナニアに語りかけ、アナニアが「わたしはここにおります」とお答えし、主が御自分のみ旨を語り、アナニアがそれに対して自分の思いを語り、また主がさらに御心を語られる。アナニアは応答して従う。このようなすばらしい主との会話、交わりが祈りです。
私たちは、本当に祈っているだろうかと省みたいと思います。
自分の必要だけを願って祈っているつもりになっていることはないだろうか。本当に静まって、まず主の語りかけを待っているだろうか。           主イエスは、密室の祈りを教えてくださいました。だれも交えず祈ることを教えてくださいました。
天の父を信じ切って、交わりの時を持つことが教えられています。
天の父は、どのようなお方でしょうか。「隠れた所におられる方」、「隠れたことを見ておられる父」です。
私たち一人一人の、人が見ていない隠された姿を見ておられる方です。
私たちの隠された心を見ておられる父です。私たちの弱さを知っておられる父です。
私たちを愛し、その独り子を遣わされ、十字架に架けて贖いを完成されたお方です。
私たちを子として受け入れてくださり、私たちが「アッバ、父」とお呼びして、近づくことを喜んでくださり、答えてくださるお方です。
たとえ、世の中に受け入れられないとしても、父は私たちを愛し、子として受け入れ、私たちが祈りによって交わることを待ち、喜んでくださるのです。
目を覚ましているとは、霊的に目が覚めている、神との交わりが生き生きと続いている状態です。主イエスに繋がり、御言葉によって生かされ、神ご自身を喜びながら生きることです。
祈りの中に御心を知り、信じて感謝し、御心を生きることです。
アナニアは常に目を覚まして祈る人だったでしょう。いつも父と交わり、語り合う人でした。私たちももう一度、自分自身を省み、感謝し、たゆまず、ひたすら祈る信仰に生かされましょう。

今週のみことば
「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」
コロサイの信徒への手紙4章2節



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