阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年11月7日
「豊かに蒔く者」
Uコリントの信徒への手紙9章6-11節

 今朝も私たちの天の父を賛美し、礼拝をささげることのできる恵みを感謝し、心を合わせて礼拝しましょう。
言うまでもなく、礼拝は奉仕です。礼拝の為に私たちはさまざまな奉仕をします。前日までに会堂や各部屋を整え、準備します。美しい花も講壇に備えます。
礼拝の時には司会や奏楽といった奉仕があります。
そのような具体的な奉仕に当たっていなければ、きょうは奉仕がないと考えるのは間違いです。具体的なさまざまな奉仕は、すべて礼拝が整えられて、ささげられるためのものです。
最も大切な奉仕は、心を合わせ、一つとなって礼拝をささげることであることを忘れてはいけません。
礼拝は、自分を神に喜ばれる生きた聖なる供え物としてささげることです。献身です。集会ごとに献金をささげますが、これは礼拝と献身の心のあらわれです。
コリントの教会は、パウロが苦労しながら宣教した後、建て上げられました。使徒18章によると、この地のユダヤ人はパウロの宣教に反対し、口汚くののしったとあります。パウロはコリントでユダヤ人宣教から異邦人宣教に導かれたことを確信しました。
パウロは一年半コリントで宣教に励みました。
神はパウロに、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(使徒18:9,10)と語ってくださり、励ましてくださいました。
コリントの教会が建て上げられたのち、教会には様々な問題が起こりました。教会の中で分裂や、不品行、偶像に備えらえた肉についての問題や、礼拝、聖餐の混乱などの問題があり、また、特に復活はないという教えに、パウロは手紙で回答しました。
もし、キリストの復活がなかったら、私たちはいい加減なことを宣教し、この世でもっともみじめな者だと教えました。
キリストの復活こそが栄光の望みであると教えました。第一の手紙です。
その後、一度コリントの教会を訪問しましたが、パウロを受け入れない人も多く、パウロとの関係はあまり良くありませんでした。
パウロが貧しく、弁もたたず、たいしたことがない人と思われたのです。裕福でさっそうとした教師を支持する人が多かったのです。
パウロはキリストの僕として自分自身を宣べ伝えるのではなく、キリストを宣べ伝えるとしっかりと記しました。
コリントの教会は悔い改め、そのことをパウロは喜んでいます。
テトスを通して、コリントの教会がパウロを慕い、パウロの為に嘆き、パウロに対して熱心なことを聞き、大変喜ぶことができました。
パウロはコリント教会に対して信頼を置きました。
「わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。」(Uコリント7:16)
パウロはマケドニアの諸教会が、自分たちも困難の中にあるのに、宣教やそれに携わる聖徒達のために、進んで慈善の業に加わっていることを証ししました。
そして、コリントの教会にもその業をやり遂げるようにと勧めました。
「わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです」(Uコリント8:8)とあります。
さらに、困窮の中にあるエルサレム教会の為に、ささげものを用意しておくようにとも頼んでいます。
パウロは、御心に適った良い業について、「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は刈り入れも豊かなのです。」(Uコリント9:6)と、自然の原則を用いて説明しています。
種を惜しんで少ししか蒔かなければ、当然収穫も少なくなります。
種を惜しまないで気前よく蒔く者は豊かに収穫するとあるのです。
豊かに蒔くとは、刈り入れの実が誰かの祝福となる様にと願いながら蒔くという意味です。
自分のためだけではなく、他の誰かの祝福のために豊かに種を蒔く人は幸いです。
7節の、「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」(Uコリント9:7)という御言葉は、常に心に留めて、主イエスに対する自分の信仰の姿勢と、生活の中心に据えておく御言葉ではないでしょうか。自発の姿勢を神は愛されるのです。
主イエスを信じた者は、生活が変化します。自分中心から、キリスト中心へと変えられます。
この世のさまざまなものが大切だと思っていたのに、この世のものはいつしか失われていくものにすぎないということに気が付きます。
「金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。」(口語訳伝道5:10)
この世の何をもっても、心が本当に満たされることはありません。
たとえ、この世の富をすべて得ようとも、永遠の命に代えることはできなせん。
主イエスを信じた時から、この世の必要はすべて満たされるという体験をするようになります。
もちろん金銭は大切です。報酬を得るためにしっかりと働くことは人として大切なことです。その働きが社会に必要であり、神と人に仕えることに繋がります。社会的な信用を得ることも証しになります。
クリスチャンは、働くことも生活も、その目的は、神の栄光を表すためであると知っています。
喜んで与える人を神は愛し、祝福してくださいます。
私たちは天の父をよく知っているでしょうか。天の父がどのようなお方なのか毎日体験しているでしょうか。
「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」(Uコリント9:8)
これ以上ないほどの祝福に満ちた御言葉です。私たちは毎日この御言葉のように祝福に満ち溢れた生涯を送ることが約束されています。
このような祝福は何のために備えられているのでしょうか。
私たちが種を蒔くためであり、また、惜しまずに主のために用いるためだと、御言葉は続けられています。
「あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。」(Uコリント9:11)
種を蒔こうとしたら、種がないということはありません。神は種を蒔く者に種を与えてくださるのです。種を与えて増やし、慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
そして、それが神に対する感謝になり、神がほめたたえられるにいたるのです。
種には命があります。永遠の命の実を結び、成長するのです。
私たちが救われて永遠の命を与えられたのは、自分の為だけではありません。この救いの種を蒔き続け、永遠の命に至る実を刈り取るためです。
キリストの十字架によって救われた者は、キリストを愛し、その御言葉によって生かされます。
天の父がいかに素晴らしいお方であるかを御言葉によって知り、感謝することができます。
これからも、私たちを救い、考えられないほどの恵みに満たし続け、命に輝かせてくださる方の栄光を表す者として、立たせていただきましょう恵みの種、命の種、救いの種を蒔き続け、豊かな実りと刈り取りに喜びの声をあげましょう。
「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。」
(詩編125:5)

今週のみことば
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
 あなたがたに種を与えて、それを増やし、
 あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
 Uコリントの信徒への手紙9章10節


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