阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年1月23日
ローマの信徒への手紙5章1−5節
「希望は欺かない」

 コロナ感染が急激に拡大しています。オミクロン株は非常に感染力が強く、今までにない感染危機を覚えます。
急ではありますが、本日からしばらくの間、礼拝ほかすべての集会を休止し、礼拝は YouTube でささげましょう。YouTubeの環境のない方には DVD をお届けいたします。祈り会は紙面、LINE、Mail などで、テキストをお送りします。日曜日の朝10時30分からご家族そろって礼拝しましょう。ご家族や周囲の方が感染された場合は、教会にもお知らせください。
一日も早い感染終息を祈りましょう。二年以上にもわたるコロナ禍の為に、自粛が続き、生活に不自由を覚え、仕事にも大きな影響が及んでいます。
しかし、今日まで守られてきたことを、まず感謝します。

主イエスと、その御言葉に導かれてきたことを感謝します。
人は、良いと思えることだけがあるわけではなく、苦しく、避けて通りたい道を歩むことも多くあります。
主イエスを信じて救われた者の歩みも、良いことばかりではないと思います。自分の思うように物事が進んでいかないことや、失敗や行き詰ることがあります。
しかし、主を信じる者には逃れる道が用意されています。それは生ける神の言葉です。
その御言葉は、希望を与え、励ましを与え、新しい力に満たす御言葉です。
信仰を持っていない人も聖書を読みます。しかし、単に読むだけでは参考書の域をでません。主イエスを信じた者は、この御言葉が生きて働く力であることを知るのです。
私たちは主イエスを信じて義とされました。罪の中にあった者がキリストの十字架の贖いによって罪のない者、義と認められたのです。
神と断絶していた者が、神との関係が正しい者とされました。これが神と平和を得たということです。この事実を私たちはまずしっかりと握りしめて歩みましょう。
ローマの信徒への手紙5章2節には、「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」とあります。
この御言葉は、1節の御言葉と同じ意味にとらえることができます。
キリストの十字架の贖いにより、神との平和が得られ、神の栄光にあずかる希望を喜んでいる者とされたのです。
神の栄光にあずかるとは、神の前に何もはばかることなく、恐れることもなく、安心して出ることができるようにされたということです。
救われた者の喜びです。これは繰り返しになりますが、キリストのお陰です。そのように、義とされた者は、苦難をも誇りとするのです。誇りとするという言葉は、喜ぶという言葉が使われています。ですから苦難をも喜ぼうと勧めがされています。
苦難を喜べる理由は、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」知っているからなのです。
練達とは、試されて本物と認められるという意味があります。苦難、忍耐は、あなたの信仰は本物ですという証明を与えるのです。
ローマ書を記したのはパウロですが、ペトロもその手紙で生き生きとした希望を記しています。
私たちを新しく生まれさせ、キリストの復活によって生き生きとした希望を与え、天の朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者とされたと、教えています。
そして、「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉とをもたらすのです」。
(Tペトロ1;6,7)試練は信仰を本物と証明し、キリストの日にこれ以上ないほどの、栄光、誉を受けると約束しています。
キリストを信じ、神の子とされた者にとって、苦難や忍耐とは苦しいものではなく、永遠の希望をもたらすものです。
神との平和を得た者は、苦難を通して、神に近づくことができます。
アバ、父と呼びかけ、祈ることができます。
私たちは、天の父にどのような祈りをささげているでしょうか。
神を崇め賛美し、その臨在の中に祈る時、信仰の確信をいただくことができます。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けて下さる」(詩編46:2)と確信し、賛美するのです。
「万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」(詩編46:8)と賛美します。
希望はわたしたちを欺くことはありません。この希望は決して私たちを失望させません。
それは、神の愛が聖霊によってわたしたちの心に注がれているからです。
キリストを信じて義とされた者、神との和解を得た者には、聖霊が与えられました。聖霊がお住まいくださっています。罪ある者をキリストはその血をもって聖め、聖霊の宮とされたのです。
神の愛が注がれていること、これが失望に終わらない希望が与えられている理由です。
ローマ書4章には、希望を失わなかった人、アブラハムの姿が記されています。神はアブラハムに、約束の子が与えられて、多くの国民の父となると約束されました。しかしなかなかそれはかないませんでした。
しかし自分は100歳、妻のサラは90歳になっても、信仰は弱まりませんでした。神は無から有を生み出す方と信じ、望み得ないのに、なお望みつつ信じたのです。
人間の考えではありえない事を、信仰によって待ち望み、必ず成就することを信じたのです。アブラハムは信仰によって義とされました。
私たちもイエス・キリストを信じる信仰によって義とさたのです。キリストが約束された御言葉は、私たちに対する愛の約束です。
世界中のキリストの教会が今試練の中にあります。コロナウイルスとの戦いの中に置かれています。
目に見えない戦いであり、霊の戦いと考えることができます。
いつ終わるのかわからないような戦いです。
しかし、私たちは失望することはありません。主イエスとその御言葉は失望を教えていません。
「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ5:3,4)
苦難をも誇りとし、喜ぶことができる信仰に生かされています。
私たちも、やがてキリストの前に立つときが来るでしょう。その時キリストに、「あなたは決して失望しなかった。聖霊によって愛に満たされ、苦難をも誇りに思い、喜んだ」と語り掛けていただけるのです。
私たちは、たった一人で孤独な戦いをしているのではありません。
主イエスが共におられて、励まし、力を下さいます。
互いに愛し合い、祈り合うことができます。御言葉を分かち合うことができます。
出口が見えないような中に置かれていても、私たちは主に導かれて前進することができます。
日々聖霊に満たされ、神の愛に満たされて歩み道は、険しくとも前に進むことのできる道です。行き暮れてうなだれることなど必要ないのです。
キリストを見上げましょう。試練の中だからこそ信仰に立ち、勝利を確信しましょう。
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ4:15,16)

今週のみことば
「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、
練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことが
ありません。」
ローマの信徒への手紙5章3-5節


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