阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年2月6日
「生きた言葉によって」 
Tペトロ1章22-25節

 2月を迎えました。YouTubeでの礼拝も3回目になります。
それぞれ所は離れても、心を合わせて私たちの神を礼拝しましょう。家族そろって礼拝しましょう。
新型コロナウイルスの感染拡大はまだまだ収まりそうにありませんが、日々主の守りの中にあることを感謝します。
万一、身近な方が感染された時は、教会にもお知らせください。
もうしばらくの間忍耐して、何の心配もなくすべての集会や行事を行える時を待ちましょう。
2022年は光の子として歩むというテーマをいただいています。
主イエスの十字架の贖いによって、罪許され、神の子、光の子とされた者は御言葉によって導かれ、歩みます。
救われた者に対して、御言葉は、「愛し合う」ことを教えます。
神の子は、「真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛をいだくようになった・・・」(1:22)とあります。
真理であるキリストを信じ、受け入れて、何が変えられたのかというと、「偽りのない兄弟愛」を持つ者に変えられたのです。
人は生まれながらに自己中心という罪を持っています。どのように優しい人でも、心の奥の奥には、自己中心の罪があります。
自己中心の最大の罪は、頑なに救い主を拒絶し、信じようとしないことです。真の救いが差し出されても、疑い、拒絶し、救いのチャンスを自ら放棄する心です。
しかし、キリスト受け入れ信じると、その時人は罪から解き放たれ、人に対して愛を示す人に変えられます。
それは、偽りのない愛とあります。うわべだけの口だけの愛ではないという意味です。
罪が清められた者は清い心で愛し合います。光の子の特徴です。
ペトロは救われた者について、「神の変わることのない生きた言葉によって、新たに生まれた」者と記しました。
キリストを信じた者は、新しく生まれた者です。新生です。
たとえ洗礼を受けても、新生の体験がなければ真の神の子ではありません。
新生(新しく生まれる)という言葉(動詞)は、このペトロの手紙1に二回記されています。
「神は豊かな憐みにより、わたしたちを新たに生まれさせ・・・」(Tペトロ1:3)と、「あなたがたは朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」(Tペトロ1:23)という二か所です。
キリストの十字架によって罪許された者は、聖霊により新しく生まれた者です。
罪あるままでは、神に近づくことはできません。永遠の命を持つことはできません。天の国に入ることも、神が約束された資産を受け継ぐこともありません。
新しく生まれた者はキリストの品性を持ちます。
パウロは、エフェソの信徒へ、聖霊により「神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように」(エフェソ1:17:18)と、祈りの言葉を記しました。
新生した者は聖霊が心の内に宿られるので、心の目が開かれ、神の御心を知り、それを喜ぶ者となります。
ルカによる福音書19章に記されているザアカイはどのように変えられたでしょうか。
エリコの町の徴税人の頭であったザアカイは、財産はありましたが、罪人の扱いをされて、人々から憎まれ、決して受け入れられることはありませんでした。ある時、主イエスがエリコをお通りになることを知り、主イエスを見たいと思いました。
人々は大勢集まりましたが、ザアカイを前の方に招いて、主イエスを見ることができるようにしてくれる人などありませんでした。ザアカイは背が低かったのです。
それで、先回りしていちじく桑の木に登って主を見ることにしました。
そうすると、主イエスはザアカイの所まで来られて、上を見上げて「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19:5)と言われました。
ザアカイは喜んで主イエスをお迎えしました。人々は主イエスがザアカイの家に泊まるので、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とつぶやきました。
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に財産の半分を貧しい人に施すことと、不正にだまし取っていたら4倍にして返すことを約束しました。
これは、ザアカイの悔い改めであり、信仰の告白です。
主イエスを心に受け入れ、新しいザアカイにされました。
この後、ザアカイがどのように生きたのか聖書は記していません。しかし、必ず新生の実を結ぶ生き方であったことと思われます。
新生した者の心と目は地上に向けられるのではなく、天に向けられます。
主イエスの救いの喜びがいつも心からわき上がり、賛美が絶えません。苦難の時、危機の時にも賛美が溢れてきます。
今、コロナウイルス感染拡大が続き、あらゆる面で苦しさを覚えます。教会に集まることができないという苦しみがありますが、私たちから救いの喜び、平安、賛美をだれも奪うことはできません。
息が詰まるような時でも、心を注ぎだして祈り、平安と喜びに満たされます。主イエスに会って希望を持ち続けます。
それは、永遠の命の保証があるからです。地上にあっても、天に移されても、主イエスが共におられるのです。これ以上安心なことはありません。
嬉しい時も悲しい時も、「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。主は」大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。(詩編95:1−3)。
新しく生まれた者は、いつでもこのような賛美と感謝、喜びの声を上げて、神に近づくのです。
神の言葉は朽ちない種であり、生きている種です。この種によって新たにされ、今生かされていることを覚えて感謝します。
ペトロはイザヤ書の言葉を引用しました。
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る」(Tペトロ1:24)
野の花は、今日は美しく咲いていても、すぐに枯れて散ってしまいます。人も同じような命です。
イザヤ書には、「肉なる者は皆、草に等しい。永らえられても、すべては野の花のようなもの。」(イザヤ40:6)と記されています。
地上に永遠に続くものはありません。
「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」(Tペトロ1:25)と、宣言されています。
光の子は、永遠に変わることのない主の言葉に生かされ、御心を慕い求めて歩み続けます。命と、喜びと賛美の道です。
さらに、「これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです」と、続けられています。福音、良いニュースは、まことの救いの知らせです。人にとって最も大切なニュースです。福音は、イエス・キリストご自身です。
私たちは福音を聞き、キリストを信じ、新しく生まれた者として永遠の命に生かされています。
主イエスによるまことの救いを知らせる良いニュースは、新生した者、光の子から発信されます。救いを感謝し、賛美しながら主イエスの救いを伝えていく、これが私たちに委ねられている、最大の神の御心です。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(Tペトロ2:9)
御言葉に励まされ、イエス・キリストを告げ知らせていきましょう。

今週のみことば
「あなたがたは、朽ちる種からではなく、
 朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない
 生きた言葉によって新たに生まれたのです。」
 Tペトロの手紙1章23節



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