阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年3月20日
「大いに喜びなさい。」
マタイによる福音書5章11-12節

 今朝の礼拝もYouTubeですが、聖霊によって一つとされて礼拝をささげましょう。
兵庫県の蔓延防止等重点措置は3月21日で解除されることになりました。私たちは、来週27日から教会でSSを再開し、聖日礼拝をささげます。本当に長い間の休会でした。3月の予定表をご覧になり、奉仕に備えて下さい。教会建物は、3月10日から工事が始まっていますので、足元や頭上に気を付けて出入りをしてくださるよう、お願いいたします。
また、蔓延防止等重点措置が解除されても、コロナウイルス感染が終息したわけではありません。十分に気を付けながら集いましょう。
マスク着用、手指の消毒をして、個人的な長い会話は自粛しましょう。
体調の悪い時、発熱の時は無理をしないでお休みし、YouTubeまたは、DVDで礼拝しましょう。DVDが必要であれば、お知らせください。

さて、この二週間、角度を変えながら、キリスト者、すなわち光の子の歩み方について御言葉をいただきました。
きょうも、主イエスが教えて下さる御言葉から学びたいと思います。
マタイ5章1節からは、山上の教えと呼ばれる大切な教えが示されています。山上の教えによって、人はどのように歩むのか知ることができます。
主イエスは、主イエスを信じるなら、その人はこの世の中で何も問題なく過ごせるとはお教えになりませんでした。この世における御利益は教えていません。
クリスチャンも様々な問題を抱え、試練にも苦しみます。
しかし、その対処と、解決を御言葉は示してくださいます。
「義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:10)
主イエスは、9種類の幸いな者についてお話になりました。
聞く者たちは、主イエスのおことばを聞き漏らすまいと、耳をそばだてたことでしょう。そして、御言葉に慰めをいただきました。
その教えの8番目までは、心の貧しい人は幸いであるといったように教えられていますが、11節には、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである」と、より具体的にお話しなさいました。
義のために迫害されるとは、主イエスを信じ、主イエスに従い、主イエスを宣教するために迫害されることです。
使徒パウロは、ローマの牢獄の中から愛弟子テモテに手紙を書きました。
「この福音のために、わたしは宣教者、使徒、教師に任命されました。そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。」(Uテモテ1:11−12)と書き送りました。
福音のために召され、そのために苦しめられ、迫害されて、投獄されても恥としないばかりか、福音を委ねてくださった方を信頼し続けるという信仰の告白をしています。パウロはもう間もなく殉教することを予感していました。信仰の戦いを戦い抜き、義の栄冠を受けるばかりとも告白しています。
私たちは、パウロやそのほかの使徒たちのような迫害は経験していません。しかし、主イエスを宣教しようとすれば、そこに戦いがあります。
宣教は聖霊の働きによってなされます。よく祈り、聖霊と共に宣べ伝える時、必ず神の救いの御業があらわされます。宣教は祈りです。
パウロは生涯主イエスの使徒として働きました。しかし、多くの労苦の連続でした。
投獄され、40に1つ足りない鞭打は5回、39回で止めるのは40回鞭打つとその人は生きていられないという、酷い刑罰でした。
そのほかにも、石打、難船、海に漂い、ありとあらゆる労苦があったことを記しています。(参照Uコリント11:23−28)。
パウロはそれらの事を嘆いたでしょうか。
そうではなく、自分の弱さの中にこそキリストの力が宿ることを確信し、
「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(Uコリント12:9)と、記しました。
パウロは天国を望みつつ、地上を生き、働いたのです。その目は天と、主イエスを見上げ続けていました。
神の御言葉は、神の子、光の子に、いつも喜んでいることを教えています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Tテサロニケ5:16−18)
どうしていつも喜ぶことができるのでしょうか。どうして絶えず祈れるのでしょうか。どうして感謝できるのでしょうか。
光の子とされた者の内にお住まいくださる聖霊が、そのように魂を造り変えて下さるからです。
聖霊は、主イエスの十字架により罪許され、神の子とされた者の内に泉のようにわき上がり、溢れ流れます。
聖なる御霊の聖さに満たされ、救いの確信を喜び、感謝に満たされ祈るのです。
私たちはこの世に生きていますから、世との戦いも、自分の罪との戦いもあります。しかし、私たちは光の子です。永遠の命に生きる者です。
主イエスにあって、世と罪に勝利しました。
世はなぜキリストを迫害し、キリスト者を迫害するのでしょうか。
日本でも豊臣秀吉の時代から明治時代までキリシタン禁止令が解けませんでした。
さまざまな理由があげられますが、キリスト者は時の支配者、権力者を崇め、礼拝することをしないことや、人の教えより、神の戒めを守るので、権力者に脅威とみなされたことが大きいのではないでしょうか。
神の子は、主イエスの十字架によって贖われたこと、永遠の命を持つ者とされたことを確信しています。
天を仰ぎ見、望みながら、この地上を歩みます。この世がすべてとは思っていません。
天に国籍を持つ者として、この世では旅人、寄留者として歩むのがキリスト者です。
この世はそうではありません。この世がすべてであり、世において良い生活をしたいと願います。この世の利益、幸福と呼ばれるもののみ求めるので、主イエスを心に受け入れることができません。
そのような価値観の人たちに宣べ伝えるのですから、宣べ伝えたために悪口を言われたり、極端な場合には変人扱いされることさえあります。
主イエスはそのようなことがあれば、幸いだと言われました。忘れてはいけない御言葉です。
そして、「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」(マタイ5:12)と続けてお語りになり、預言者たちも迫害されたのだと教えてくださいました。
キリストによる救いは、光の子がまことの光を掲げ、伝えることからおこります。それは、聖霊の御業です。
神の子が聖霊に満たされ、迫害されても退けられてもキリストを伝えるなら、必ず救いの御業が現れます。
コロナ禍の中でなかなか宣教が難しいですが、聖霊によって知恵を与えられ、キリストを伝え、救われる魂のために祈りましょう。
伝道は聖霊の御業です。私たちは聖霊と共に働きます。
まず魂のために祈り続けましょう。
喜びなさい、大いに喜びなさい。天には大きな報いがあるという、主イエスの約束を、しっかりと覚えて歩み続けましょう」。

* * * * *
今週のみことば
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」
フィリピの信徒への手紙4章4節


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