阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年3月27日
「地の塩世の光として」
マタイによる福音書5章13-16節

 今日は教会に集まり、礼拝をささげることができました。1月23日からYouTubeでの礼拝を始めましたので、10週間ぶりに集まることができました。
本当に長い間の休会でしたが、すべてが守られ恵みによって支えられてきたことを感謝します。
蔓延防止等重点措置は解除されましたが、人の行き来が増えれば感染もまた拡大する恐れがあります。これからも注意しながら進んでいきましょう。
3月も終わりを迎えようとしています。4月は新しい歩みを始める時です。
進級、進学、就職などで環境や生活が変化する兄姉もおられると思います。新しい歩みを前にすると、喜びと共に少し不安を感じることもあります。
私たちの生活や環境が変わっても、主イエスは変わりません。いつでもどこにいても共におられる方です。主の見えざる御手がいつも導いて下さることを感謝します。主イエスを見上げながら進んでいきましょう。
さて、主イエスの教えを聞くために大群衆が集まりました。主イエスはそれをご覧になり、山へ行かれてお座りになりました。弟子たちも主イエスの近くに行き座りました。
主は、9つの幸いな人についての教えをなさり、神の国の祝福をお告げになりました。
そして、この世にある今、その祝福に生きる道を教えてくださいました。
それは、あなたがたは地の塩、世の光であるという教えです。
地とは、この世の事です。主イエスは人々に、この世で塩として、光として歩むようにと教えられたのです。
塩の役目と効果については、日常生活の中で良く知るところです。
私たちの生活でも、塩はなくてならないものです。摂り過ぎはいけないのですが、まったく塩分を取らないと体を維持することはできません。
これから夏に向かうと、脱水症状という言葉をよく聞くようになります。治療には、経口補水液が使われますが、これには、糖分と、塩分が入っています。ただの水や、糖分だけでは症状は治まりません。
適切な塩分は大切であり、必要です。塩は生命維持に必要なのです。
また、塩は味付けに使用されます。もちろん。適切に用いなければなりません。塩がないと、せっかくの料理も味気ないものになってしいます。
塩は、腐敗を防ぎます。昔から、野菜や肉、魚などすぐに腐敗してしまうような食物も塩付けにして保存します。
風邪をひいて、喉が痛い時、塩水でうがいをすることがあります。殺菌効果があるといわれています。
塩は、味付けに使い、食料の腐敗を防ぎ、人の生命維持に必要なのです。地の塩とは、世に生きながら塩の役目をすることです。
主イエスはさらに、「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)と、お教えになりました。この世の光だと言われたのです。光も人が生きる上でなくてならないものです。
神が天地を創造された時、ます初めに「光あれ」と言われました。
そして、それからすべてのものを創造されました。
主は、「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」(マタイ5:14,15)と教えてくださいました。
塩の働きは、目に見えませんが、確実な働きです。世の光は、目に見える形で、隠れることなくその光をあらわすように教えておられます。
山の上にある町は隠れることはできません。ともし火をともして升の下に置く人はいません。
燭台の上において家の中を照らすのです。

私たちは、どのようにして地の塩、世の光とされるのでしょうか。
主イエスはこれをしたら、あれをしたら、地の塩になれる、世の光になれるとは教えておられません。
「あなたがたは地の塩である、世の光である」と言われていることに心を留めましょう。もう私たちは地の塩、世の光にしていただいたことを覚えなくてはなりません。
 主イエスは世のすべての人の罪を贖うために十字架に架り、死んでくださいました。そして、三日目に甦り、今生きておられる救い主です。
この方を心に信じ、受け入れた時から、地の塩、世の光なのです。
信仰により、恵みにより救われた者は、恵みにより地の塩、世の光とされました。
塩気のない人生、光のない人生を送る人は大勢います。表面的には分かりませんが、心の内には苦しみを覚え、人生の意味が分からずに苦しむ人がいるのです。
人は何のために生まれ、生き、死んでいくのか、その答えを求める人は大勢います。
キリストと、その御言葉だけが答えなのです。そして、その答えを知っているのが、主イエスを信じて、永遠の命をいただいたキリスト者です。
人は、神の栄光を現わし、礼拝するために創造されました。神と交わり、賛美するために造られたのです。ところが、罪がこの世に入り、神と断絶し、人は神の栄光を受けられなくなってしまいました。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3:23、24)。
この御言葉にあるように、キリストの十字架の贖いにより救われ、永遠の命を得た者は、神の栄光を現わす為に生きるということを知りました。
神の栄光の為に生きることは、すなわち地の塩、世の光として生きることです。
塩は、多くの良い作用をします。人の命を支えます。ほんの少しの量で、その役割を果たします。塩が塩の味を保つなら、少量でも確実な働きをすることができます。
光は、闇の中で輝きます。その光は、キリストの光であり、救いの光です。
大嵐の中を航海する船が、灯台の明かりを目印に進めたら。これほど心強いことはありません。命を救う光です。
主イエスは、私たちを塩気のない塩にされませんでした。尊い十字架の血汐により、塩の味のキリスト者とされました。
また、光を升の下におくような者にはされません。キリストの光がおのずと輝き、暗闇の中で輝きます。
それは、十字架で贖われ、新しいキリストの命に生かされたからです。
主イエスは、「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(マタイ5:16)と言われたのです。
立派な良い行いとはどのような行いでしょうか。
御言葉に、「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。・・・あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ12:10−15)とあります。
私たちは聖霊に満たされ、御言葉を生活します。それは麗しい姿です。
互いに尊敬し合い、愛し合い、祈り合う姿は、神の栄光を現わします。
暗闇の内を歩む人々は、その生活の証しを見て、キリストを求めます。
私たちは地の塩、世の光です。
聖霊により整えられて、主イエスと共に、主の栄光を現わす地の塩、世の光として、祝福の中をさらに進んでまいりましょう。

今週のみことば
「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。」
マタイによる福音書5章13-14節


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