阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年4月24日
「新しい出発」
ヨハネによる福音書21章15-17節

 ペトロをはじめとした弟子たちは、ガリラヤ湖畔で復活された主イエスとお会いしました。ペトロ達はもともとガリラヤ湖の漁師でした。
ペトロが「漁に行く」と言うと、他の弟子たちもそれに従って湖に出ました。しかし、その夜は不漁で魚はとれませんでした。
夜明けごろ、主イエスは湖畔に立っておられたのですが、弟子たちには主イエスであることが分かりませんでした。
主は、弟子たちに食べ物があるかと聞かれ、何もないことを聞かれると、漁の指示をされました。
「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」(ヨハネ21:6)。すると、魚があまりにも多くとれて、網を引き揚げられないほどでした。
一人の弟子が、「あれは主だ」と言ったので、ペトロは上着を着て湖に飛び込みました。他の弟子が網を引いて湖畔に戻ると、そこに炭火がおこしてあり、魚が乗せてあって、パンも用意されていました。
主は、魚を何匹か持って来なさいと言われて、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(ヨハネ21:12)と招いて下さいました。
弟子たちにはもう、この方が復活された主イエスであることがわかりました。主はパンを取って弟子たちに渡され、魚も同じようにされました。主イエスとの食事の席が設けられたのです。
弟子たちは、主イエスと朝食をともにし、何と幸いなことと、喜ばしい反面、大きな声で話すこともなく静かな食事の場面でした。
復活された主イエスが弟子たちに現れたのは、すでに3回目でした。
食事が終わると、主イエスはペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」(ヨハネ21:15)と尋ねました。
ペトロは、「はい、主よ、わたしがあなた愛していることは、あなたがご存じです」(:15)と言うと、主は「わたしの小羊を飼いなさい」(:15)と言われました。主イエスは再び「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」(:16)とお聞きになり、ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。」(:16)と答えると、主は「わたしの羊の世話をしなさい」(:16)と言われました。そして、3度目に「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」(:17)とお聞きになりました。ペトロは主イエスが3度も「わたしを愛しているか」と聞かれたので悲しくなりましたが、「主よ、あなたはなにもかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」(:17)と答えました。すると、主は「わたしの羊を飼いなさい」(:17)と言われて、「はっきりいっておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れていかれる」(:18)とお話になりました。これから後のペトロの使徒として神の栄光を現わす働きをお示しになりました。
 主イエスが、ペトロに同じ質問を3度されました。ペトロは大祭司の庭で3度主イエスを知らないと言ったことを思い出したことでしょう。
とりかえしのつかない失敗でした。悲しみの心で悔やんでも取り返せないような大失態でした。
主イエスは、ペトロが主を愛していることをご存じでした。しかし、3度同じ質問をされたのは、ペトロにとって、また他の弟子たちにとって必要だったからです。
ペトロだけではなく、主イエスがゲッセマネで逮捕された時、弟子たちは皆、主を見捨てて逃げてしまいました。一人の若い弟子は、着ていた亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げ去ったとマルコの記事に記されています。(参 マルコ14:50、51)
弟子たちは、ガリラヤ湖畔で主イエスが用意してくださった朝食を、一緒にとりながらも、主の顔を正面から見られないような気持でいっぱいでした。
弟子たちは、主とペトロの会話を耳をすまして聞いていたことでしょう。ペトロは主イエスが3度も同じことを聞かれたので、悲しくなりました。それは、自分が3度主を知らないと強く否定したからです。
しかし、主イエスは、それをお責めにはなりませんでした。主がペトロに「私を愛するか」と3度も聞かれたのは、ペトロを見捨てることはなく、改めて主イエスの対する愛を確信させて、これからの福音宣教に用いられるよう、改めて召命を与えるためでした。
主イエスは十字架の直前に、ペトロに対して主を3度否定することを予告なさいました。
主は「シモン、シモン、サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31,32)と、語られました。ところがペトロは、「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」(ルカ22:33)と、答えたのです。
ペトロはこの折の会話をも思い出し、改めて自分の弱さを覚えることができました。どこまでも、どのような状況でも主イエスに従おうという気持ちはあっても、いざとなると恐ろしくて従うことができない自分、強い者ではなく弱い人間であることを覚えることができました。
主イエスはペトロや弟子たちを愛され、これからの使命をお与えになりました。
「わたしの小羊を飼いなさい。」、「わたしの羊の世話をしなさい」、「わたしの羊を飼いなさい」。
主イエスは、ペトロ達に福音を宣べ伝え、救われる者たちによって信徒の群れを建て上げ、信徒の群れを御言葉によって養うという使命を与えられたのです。
主イエスはペトロや他の弟子たちを、これから全世界に向けて福音を宣べ伝えていき、教会を建て上げて、信徒を御言葉によって養い育てるという大きな使命に改めて任命されました。
ペトロは、やがてローマで殉教しますが、そのことも主イエスは予告なさいました。
これらの事をお話になってから、あらためて、「わたしに従いなさい」と言われました。
決してお見捨てにならない主イエス、あらためて使徒として召して下さり、「わたしに従いなさい」と語ってくださった主。
ペトロや他の弟子たちは、この時新しい召命を確信し、新しい信仰の出発をすることができました。
私たちは主イエスを愛しているでしょうか。主イエスがペトロに「わたしを愛しているか」と、二度目まで問われた愛は、「アガパオー」という言葉が使われています。アガペーの愛で愛するかという質問です。ペトロは「フィレオ―」という言葉で答えています。これは、人の愛、友愛といった意味の愛です。主イエスは3度目にフィレオーで問いかけておられます。
主イエスはアガペーの愛で愛されました。ペトロは主イエスを精一杯の愛で愛しますとお答えしたのです。主が3度目にフィレオ―の愛で質問されたのは、ペトロの状態まで降りて下さったのです。あなたの精一杯を受け入れますという主の愛なのです。
私たちは、どれほど弱い信仰であっても、主イエスは決して見放さないお方であることを覚えたいと思います。
私たちも主イエスに召された者です。主イエスの羊であり、小羊である私たちは、失敗しながらも、転びながらでも、主イエスにどこまでも従い続けます。
そして、御国の福音を伝え、魂の為に祈り、魂のお世話をします。
「わたしに従いなさい」というお言葉を厳かに受け入れ、信仰の新しい出発をして、どこまでも主イエスに従い続けましょう。


今週のみことば
「全世界に出て行って、
 すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
 マルコによる福音書16章15節

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