阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年5月15日
「あなたの信仰」
マタイによる福音書15章21-28節

 今朝も教会に集まり、礼拝をささげられることを感謝します。
主は、日々私たちを恵みに満たしてくださいます。
「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえまで」(詩編136:1)
きょうも心から主を見上げ、賛美しましょう。
主イエスは神の国を宣べ伝え、病人を癒しながら、町々村々を巡回なさいました。
主イエスは、弟子たちと共に、ユダヤ人があまり行くことのない、カナンへ行かれました。聖書にはティリスとシドンの地に行かれたと記されています。地中海沿岸の町々です。
主イエスがこの地に入られると、カナンで生まれ育った一人の女性が主イエスに、悪霊に着かれている自分の子供を癒してほしい、憐れんでほしいと叫びました。大きな声で一生懸命叫んだのです。
ところが、主イエスは一言もお答えになりませんでした。
弟子たちは主イエスに、この女の人を追い払って下さい。叫びながらついてきますのでとお願いしました。
この婦人は、主イエスと弟子たちの後ろについて来て、叫び続けていたのです。
主イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(マタイ15:24)とお答えになりました。
主は、まずイスラエルの救いの為に働かれることを話されたのです。
この婦人はカナンの人で異邦人です。
弟子たちが、主に追い払うようにお願いをしていても、婦人は気にも留めませんでした。主イエスの前にひれ伏して、「主よ、どうかお助け下さい」とお願いしました。
主イエスの後ろから叫んでいた婦人は、主イエスの前に出てひれ伏しました。
すると、主イエスは、「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」(マタイ15:26)と言われました。
婦人はこのように言われてどうしたでしょうか。あきらめたでしょうか。
「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」(マタイ15:27)と、お答えしました。
すると、主イエスは、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」。(15:28)と言われました。
娘は癒されました。
このカナンの婦人は、主イエスがメシアであることを知っていました。ですから、主に向かって「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫んだのです。
「ダビデの子」という呼びかけは、油注がれたメシアという意味で使われていました。
主イエスは、病人を癒し、盲人の目を開けてくださるお方ですが、
この婦人に対しては、一言もお答えになりませんでした。
主イエスは、失われているイスラエルのためにまず遣わされていると言われて、異邦人への働はないと示されたのです。
それでも、婦人はひれ伏して嘆願しました。主イエスに嘆願を続けました。主が、子供たちのパンを子犬にやってはいけないと言われた時に、子供たちとはイスラエルであり、子犬とは自分のことだと察しました。
イスラエルが受けるべき恵みを、子犬である自分は受けることは出来ないのだろうかと思ったのです。
それでもあきらめることはできません。娘は苦しんでいるのです。
「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」そのようにお答えしました。
自分の事を子犬と呼ばれても、怒ることはありませんでした。
「主よ、ごもっともです。」と受け入れました。
謙遜な心で主の言葉を受け入れました。
主の御許に行き、祈り求める心に必要なのは、謙遜さです。
謙遜な人は、自分の心の弱さ、醜さ、罪深さを認めて主にひれ伏します。ただひたすら神の前に憐みを求めます。
主の許に行き、ひれ伏して願う人に必要な心は信仰の心です。子犬も恵みのおこぼれはいただけると信じます。
主イエスが答えて下さらないように見えても、希望をもって、ただひたすらその御手を求め、御顔を慕い求めて信じるのです。
主イエスはこの異邦人の婦人の心に、このような信仰による謙遜さを見ておられたのです。
ですから、この婦人の信仰を称賛されました。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」(マタイ15:28)。そのように婦人に対して御言葉をかけてくださいました。あなたの信仰は偉大だという最高の称賛です。
繰り返しになりますが、この婦人は異邦人です。ユダヤ人からは神の民ではないと見下され、神の救いも恵みも与えられないと思われていたのです。
主イエスから称賛を受けた人がもう一人います。しもべを癒していただいたローマの百人隊長です。
主イエスは、百人隊長のしもべの所へ行って癒してあげようと言われました。
すると、百人隊長は、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」(マタイ8:8)と言ったのです。
主イエスはその信仰に感心されました。
「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(マタイ8:10)と言われました。しもべはその時いやされました。
百人隊長はローマの軍人で異邦人です。主イエスを信じ、主イエスに期待し、信じる者はどこの国の者であれ、どのような立場の者であっても、救われ、癒されます。
私たちは、どのような態度で主イエスに近づいているでしょうか。
長い間の祈りが聞かれないと思っているようなことはないでしょうか。あるいは、祈ったようには聞き届けられなかったと思うようなことがあるかもしれません。
主はすべてのことをご存じて、最善をなされることを信じましょう。
私たちは天地を造られた全能の神によって創造された存在です。
真の神に愛され、守られ、支えられ、恵みによって満たされています。
恵みを受け続けて、生きられるのはすばらしいことですが、いつの間にかそれに慣れてしまい、知らず知らずのうちに高慢な心を持つようであってはいけないのです。
高慢な人が主イエスに「子犬」などと言われたら、とうてい受け入れがたいと思うでしょう。
心が高ぶると、主にひれ伏す形はとれても、心はひれ伏すことはないのです。
主がご覧になるのは、私たちの信仰です。
カナンの婦人は、信仰と謙遜をもって主に粘り強く求めました。
その信仰は称賛されました。
私たちの内におられる御霊は、愛の御霊です。愛は謙遜に繋がります。
主は私たちの願いも祈りもすべてをご存じです。
もし、私たちの内に主がお喜びにならない高慢さがあるなら、悔い改め、あのカナンの婦人のように、百人隊長のように、信じて求め続けるなら、かならず最善がなされることを体験できるのです。
生きておられる救い主を崇めましょう。

今週のみことば
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
 マタイによる福音書15章28節


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