阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年6月5日
ペンテコステ礼拝
「聖霊を待ち望む」
使徒言行録1章4-5節

 今日は、主イエスの約束された御霊が降った、ペンテコステの礼拝です。ペンテコステ礼拝は、昨年も、一昨年も、新型コロナウイルス感染防止の為に、YouTubeでの礼拝でした。
今年はこのように教会で集まり、礼拝をささげられることを心から喜び感謝致します。
コロナのさまざまな規制が緩やかになってきました。しかし、まだまだ治まってはいません。人の行き来が頻繁になれば、感染が増える恐れもあります。聞きなれないサル痘などという病気もあるそうです。
天然痘に近い病気だそうですが、現在私たちは、天然痘の免疫はだれも持っていないと思います。このような時代だからこそ、イエス様から目を離さないで、しっかりと信仰によって歩みましょう。

主イエスは、全世界の罪の贖いとして十字架で死なれ、三日目に復活されました。弟子たちに何度も復活されたご自身を表され、昇天される前に、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」と命令されました。弟子たちは、その御言葉に従い、一つになり、祈り始めました。イエスの母マリア、また、イエスの兄弟たちも、心を合わせて熱心に祈りました。
五旬祭の日になりました。それは、ギリシャ語でペンテコステ(50)という祭りでした。過越しの祭りの安息日から数えて50日目に行われるので、ペンテコステと呼ばれていたのです。
私たちは、イースターから数えて50日というように覚えています。
主の弟子たちは、エルサレムに留まり、熱心に祈り続けました。
120名ほどの人々が祈っていたと記録されています。
五旬祭の日にも、一同は祈っていました。
その時、主の約束の聖霊が降られました。
それは、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒2:2−4)このようなことが起こりました。
この時、物音を聞いて、大勢の人が集まってきました。外国に生活の拠点を持っていた、ディアスポラと呼ばれるユダヤ人たち、また、巡礼のためにエルサレムへやって来た人々もいました。
彼らは、自分の故郷の言葉で使徒たちが祈っているのを見聞きして、本当に驚きました。
その人たちは、それぞれの国から祭りのためにエルサレムに上ってきたのです。遠い国で生まれて生活し、その国々の言葉を使う人々でした。彼らは、遠い国で生活していても、ユダヤ人として律法を守り、会堂を建て、安息日には集まっていました。
ディアスポラたちは、「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(使徒2:11)と語りました。
神の偉大な業とは、神の救いの御計画、すなわち、主イエスの十字架の贖い、主イエスを信じる者は罪赦され、救われ、永遠の命をいただけるという福音です。
信じる者は罪許され、恵みにより信仰によって義とされ、救われるという、新約の恵みの時代の教えです。
天の父は、全世界の救いのために、主イエスをこの世に遣わされました。それほどまでにこの世を愛されました。主イエスの十字架は、神の愛の表れです。
どのような人でも、どの国の人でも、主イエスを救い主として信じるなら救われる、素晴らしい恵みの時代が到来しました。
「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(エフェソ2:8)。行いによって救われるのではなく、救いは神の恵みで神の賜物です。
集まって来た人々は、その状況を理解することができませんでした。
弟子たちの様子を見て、「あの人たちは新しいぶどう酒に酔っている」(使徒2:13)と嘲る(あざける)者がいました。
神の偉大な御業が現れたのに、信じられませんでした。
その時ペトロは、他の11人の弟子たちと共に立って、大きな声で話し始めました。
ペトロは、主イエスが大祭司カイヤファの庭で裁かれている時、何食わぬ顔で、庭で焚火にあたっていました。その時三度、「あなたもあの人の仲間だ」と指摘されました。
ペトロは、主イエスを知らない、自分は仲間ではないと、激しく否定しました。恐ろしかったのです。その時鶏が鳴き、主イエスは振り返ってペトロをご覧になりました。ペトロは外に逃れて激しく泣きました。自分はなんという愚かで弱い人間なのだろうと、主イエスを否定したことを深く悲しみました。
しかし、ペンテコステの日、聖霊が降ったとき、真っ先に立ち上がり、人々に力強く主イエスとその十字架、復活、救いを、大きな声で語り始めました。聖霊に満たされると、恐れはなくなります。ただ、主イエスを語りたいという思いに満たされ、黙っていられないのです。
「神は約束されたメシア、すなわちキリストを世に下さり、救いの道を示されたのに、あなた方はこの救い主を十字架に架けてしまった。しかし、神はこの方を三日目に復活させられたのです。」
「私たちは皆、そのことの証人です。」(使徒2:32)と復活された主イエスを証ししました。このように語ると、人々は心打たれ、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」(使徒2:37)と聞きました。
すると、ペトロは、「悔い改めなさい。」と勧めました。悔い改めるとは、今までの生き方の方向転換をすることです。主イエスを救い主として信じることです。さらに、バプテスマを受ける事、主イエスにより、罪を赦していただく事を話しました。そして、そうすればだれでも聖霊を受けると伝えたのです。聖霊の約束は、ユダヤ人にも、遠くにいる者、すなわち異邦人にも、すべての者のためのものだと教えました。
ペトロは、まず悔い改めることを教えました。
救い主であるイエスを十字架に架けてしまったこと、それは本当に恐ろしい罪です。人々は、自分が滅びに向かって歩み続ける罪人であるということさえ自覚していませんでした。
ペトロの説教を聞き、主イエスを信じ救われた者は、ペンテコステの日に3千人ありました。その日キリストを信じる者の群れ、エクレシアが建て上げられ、祈り、礼拝し、教えと交わりを熱心にしていました。教会が建て上げられたのです。
ペンテコステは、キリストの教会が誕生した日です。教会は聖霊によって誕生しました。
主イエスは、聖霊が降る時、あなたがたは力を受けると言われました。
その御言葉は今も変わる事はありません。主イエスは私たちを聖霊に満たして主の証人として遣わしてくださいます。
主イエスは信じる者を聖霊に満たし、聖霊によってバプタイズされます。私たちは主イエスを救い主として信じ、信仰の告白と共に水のバプテスマを受けました。さらに聖霊に満たされる体験を持つのです。弟子たちが異言で主を賛美したように、聖霊に満たされると自然に異言で祈ります。それは、神が私たちの全身を満たされたことの証しです。
聖霊に満たされると自分の肉の力ではなく、聖霊の力により主の証人とされるのです。私たちが先に救われ、聖霊に満たされているのは、自分の為ではありません。神は私たち一人一人にご計画をお持ちです。
主イエスの救いを伝えるための御計画です。主の福音に用いて下さるのです。私たちには力はありません。しかし聖霊は力です。そして、慎みと愛の霊です。私たちの弱さは癒され、勇気と力に満たし、語るべき言葉もタイミングも与えてくださいます。また、私たちは神の教会の肢体です。
神の教会を一つにし、主の福音のために豊かに用いられる教会にして下さいます。私たちの生活の場、毎日居る所、神がそこに派遣しておられるのです。日々聖霊の満たしを求め続け、主イエスの証人であるように、これからも祈り続け、御霊に満たされ続けましょう。


今週のみことば
「エルサレムを離れず、
 前にわたしから聞いた、
 父の約束されたものを待ちなさい。」
 使徒言行録1章4節





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