阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年7月31日
「いかなる時にも」
Uコリントの信徒への手紙1章8-11節

 きょうも礼拝をささげられる恵みを心から感謝します。
今年、阪神チャペルは1月23日から3月20日まで、YouTubeでの礼拝でした。
3月27日から教会での礼拝を続けてきましたが、このたびのコロナウイルス感染拡大は、今までよりも激しいものとなりました。
次々と変異株が発生して、感染力が強く、ワクチンの効果もあまり期待ができないようです。
行動制限はありませんが、感染防止の為に8月7日(日)から礼拝、SSを休止し、礼拝はYouTubeでささげましょう。
8月末までの予定です。万一延長するようなことがあれば、直ちにお知らせいたします。
まさに、試練ですが、対処についてはすでに教えられています。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Tコリント10:13)
神は耐えられないような試練はお与えにならず、試練と同時に逃れる道が備えられていることを感謝します。
コロナウイルス感染拡大も、終息することを信じて祈りましょう。
私たちは、日々この世の中を歩んでいますが、その道は穏やかな道ばかりではなく、険しい道を歩むことが多いのではないでしょうか。
個人的な生活の中に多くの問題を抱えていたり、家庭や職場でさまざまな難しい問題があるかもしれません。
歩く道は、平たんで歩きやすい道ばかりではありません。
さて、コリントの教会は、パウロの宣教によって救われた人々によって建て上げられました。コリントの町は、偶像礼拝が盛んでした。救われてからもその影響があり、礼拝の混乱、教会内での分裂など、さまざまな問題を抱える教会でした。
パウロはこの手紙をフィリピかテサロニケで紀元58年頃書きました。
コリント第二の手紙には、パウロの心情が記されています。
8節以下には、アジア州で被ったひどい苦難について記しています。
パウロは多くの苦難を受けたのですが、この苦難とは、使徒言行録
19章にある、エフェソでの騒動かと思われます。
パウロはエフェソで3年間伝道しました。エフェソにはアルテミスの壮麗な神殿があり、偶像礼拝がさかんになされていました。アルテミスは豊穣の女神とされ、人々の信仰を集めていました。
この神殿の模型を銀で造って利益を上げていた銀細工人、デメトリオという人が、騒動を起こしました。
同じ仕事をしている仲間や職人を集めて、「パウロが手で造ったものなどは神ではないと、多くの人を盛んに説き伏せている。このままでは自分たちの仕事の評判が悪くなり、利益が上がらなくなる。アルテミス神殿もないがしろにされ、女神の威光もう失われてしまう。」と、語りました。
これを聞いた人々は怒って、「エフェソのアルテミスは偉い方」と叫び出しました。
彼らはパウロの同行者である、ガイオとアリスタルコを捕らえて野外劇場になだれ込みました。パウロは劇場へ入ろうとしましたが、弟子たちはそうさせませんでした。パウロがその中へ入ればますます混乱して、パウロの命が危ういからです。
群衆はあれやこれやとわめきたてて、集会は混乱し、ほとんどの人は何のために集まったのか分かりませんでした。
やっと、町の書記官が、アルテミスの威光は変わらないし、これを否定することはできないのだから静まるようにと説得しました。デメトリオたちがだれかを訴えたいのなら、正式に法廷に訴えるようにとも伝えました。
無秩序の集会は、暴動の罪に問われる恐れがあると説得したので、やっと騒動は治まり、解散したのです。
パウロは、エフェソでの騒動だけではなく多くの苦難を受けました。リストラでは、反対するユダヤ人たちに石を投げつけられ、死んだと思われて、町の外に捨てられたこともありました。弟子たちがパウロの許に行くと、パウロは起き上がって町へ入って行きました。翌日別の町へ向かうことができました。
数えきれないほどの苦難の中で、「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」(Uコリント1:8)と告白しています。パウロは打ちひしがれてしまったと言っているのです。それは死刑宣告を受けたような思いだったとも言っています。
しかしパウロは、どのようにしてその中から抜け出すことができるのか知っていました。
「自分を頼りにすることなく死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」(Uコリント1:9)
これ以上ないほど精神的にも肉体的にも落ち込み、生きる希望を見いだせないような時に、真の神を頼ることを宣言したのです。
この神は無から有を生み出す方、命の源である方、死者を復活させてくださるお方なのです。
全能の神が味方なら、何を怖れることがあるでしょうか。
「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」(ローマ8:31)
「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(ローマ8:37)。とあります。
宣教に反対する者、迫害する者、あるいは内面的な苦悩も、真の神が味方であり、圧倒的な勝利を与えてくださると信じたのです。
パウロは、死を覚悟するほどの試練から救って下さった神は、これからも救って下さると確信していました。
神に望みを置くことができる人は幸いであり、いつも勝利をおさめることができます。希望は決して失望に終わりません。主イエスが神の右の座で私たちの為にとりなしておられるからです。
パウロはコリントの教会に祈りの要請をしました。祈りによってその働きが支えられ、多くの人に福音を伝えることができるからです。
私たちは、これらの御言葉によって信仰の確信と希望を持つことができました。
この数年のコロナ禍という試練は、一体いつ終わるのかという思いになります。毎日感染危機の中に生活しています。
しかし、失望する必要はありません。
パウロが告白しているように、私たちもその告白を自分自身の告白とすることができます。
「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」。
(Uコリント1:10)
神はその独り子を賜り、十字架に架けてくださったほどに、私たちを愛しておられます。
私たちの人生のいかなる時にも共にいてくださり、守り支えてくださいます。
わたしたちを瞳のように守り、ある時には背負い、手を差し伸べ、導き続けてくださいます。
私たちの父である真の神に、すべてを委ね、導きを感謝しつつ進んでいきましょう。
神を信じる者は、試練の中にある時にこそ、神の愛と恵みを確信することができます。「命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。」
(詩編23:6)
主の恵みと慈しみが追って来るのです。主はいかなる時も恵みと導きを与え、信仰の勝利を体験させてくださいます。
すばらしい主をほめたたえ、日々主と共に進んでいきましょう。


今週のみことば
「わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって
 輝かしい勝利を収めています。」
ローマの信徒への手紙8章37節


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