阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年8月21日
「備えをせよ」
エゼキエル書38章7-16節

 主の御名を賛美いたします。
インターネット越しですが久しぶりに共に礼拝をささげることができ心から嬉しく思います。
感染がやや縮小したかと思いきや、7月に入って更なる拡大を見せています。結城でも陽性者数が最大で100人を超える日もありました。結城教会内での感染者は未だありませんが、私自身の周囲では陽性者がちらほら出ています。そのような中、7月末にあるひとりの兄弟の洗礼式を行うことができました。この兄弟は抗がん剤の治療と並行して何ヶ月もかけて受洗の学びをしてきました。救われた喜びにこちらが励まされることが多く、とても順調な備えの期間でしたが、洗礼式当日の朝になって、発熱し、強い倦怠感で動けなくなったと電話がありました。いくつかの代案を出し、祈りつつとにかく主のご計画に従おうという平安に満たされました。礼拝の間、兄弟がきていないことを気にしていた方もありましたが、礼拝が終了した時、妻である姉妹に支えられ教会に到着をした姿が見えました。「どうしても教会で洗礼を受けたい」という兄弟の信仰による願いを主は聞いてくださったということが一瞬でわかりました。兄弟には強い倦怠感があるもののすでに熱は下っていたのです。主管牧師による滴礼での受洗でしたが、私たちの目の前で起きた恵みの証はその後、聖霊によって前任牧師やその他の兄姉に力強い祝福となりました。一人の祝福は教会全体を祝福しただけではなくあちらこちらへ霊的な深い喜びを感染させていったのです。これが神の愛です。(1コリント12:31b、13:13)
「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。・・・それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」

私たちは教会、この神の家で聖霊に満たされてしっかりと祝福を受け喜びに満ち溢れることが大切です。圧倒的な祝福を通して、みことばの通り「私が主であることを知る」体験をするからです。(エゼキエル38:23)「わたしは自らの偉大さと聖とを多くの国々の前に示す。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」エゼキエル書には50回以上登場するのだそうですが、これがまさにエゼキエル書のテーマであると言えます。そして今日のタイトルに関わる、これが備えるための秘訣です。

不思議なことですが、主に祝福されればされるほどサタンの試みも近づいてきます。(マタイ12:43〜45)「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」
たとえコロナから守られてこの禍を通り過ぎることができたとしても、信仰者には世に生きる間続く戦いがあります。サタンの攻撃に合うかもしれないと恐れて適当に恵みを受けるのはやめて、私たちの信仰の備えとは何かをエゼキエル書から分かち合います。

エゼキエルという名には「神が強くされる」という意味があります。祭司エゼキエルは前597年にバビロンに捕囚となり、その5年後に神から預言者としての召命を受けました。(エゼキエル1:3)カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。
エゼキエルに与えられた使命はユダヤ人が捕囚にされた理由を説明すること、エルサレムの滅亡を予告すること、捕囚の人々を神に立ち返らせ、神の回復の約束を宣言して人々に希望を与えることでした。今日分かち合っている前章ではイスラエルの霊的な再生が語られています。これは捕囚の民がエルサレムへ帰還することのみならず、終末に向けてイスラエルを超えたすべての主の民の回復を示しているものです。(エゼキエル37:24〜28)「わたしの僕ダビデは彼らの王となり、一人の牧者が彼らすべての牧者となる。彼らはわたしの裁きに従って歩み、わたしの掟を守り行う。 25彼らはわたしがわが僕ヤコブに与えた土地に住む。そこはお前たちの先祖が住んだ土地である。彼らも、その子らも、孫たちも、皆、永遠に至るまでそこに住む。そして、わが僕ダビデが永遠に彼らの支配者となる。 26わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。それは彼らとの永遠の契約となる。わたしは彼らの住居を定め、彼らを増し加える。わたしはまた、永遠に彼らの真ん中にわたしの聖所を置く。 27わたしの住まいは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 28わたしの聖所が永遠に彼らの真ん中に置かれるとき、諸国民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知るようになる。」一人の牧者は、ダビデの家系に連なった救い主イエスキリストを示しています。永遠の救いがイエスによって真実の約束となるのです。

回復される主の民には戦いがあります。捕囚の民がエルサレムに戻ることができ落ち着いたのちにも、主に敵対するこの世の強い勢力は神の都を囲み、さらに強大な軍備で攻撃をしかけてくるのです。この箇所では連合軍のリーダー、ゴグによる総攻撃であり、また現在起きているウクライナや世界中の戦争について示したものではないかという学者もいます。どのような時代においても、終末を意識せざるを得ない状況に置かれても、主の民は何をしっかりと見すえて、何を信じるべきでしょうか。ここに「私が主であることを知る」、このことがはっきりと浮かび上がってくることがわかります。

どんな時もクリスチャンは備える必要があります。
まずしっかりとイエスキリストを見上げることです。私たちの主である救い主を、それぞれ置かれた場所から見つめましょう。すると神の栄光の光によって重要なことを知ることができます。(2コリント4:6〜9)「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
7ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。 8わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、 9虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。
また、心を合わせて祈ることです。やがて来る全世界の救いの希望に照準を合わせて祈ることです。黙示録にあるように最後には主が勝利をもたらすからです。(黙示録20:7〜9)この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、 8地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。 9彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。

そして、この教会が後にささげる礼拝のため一致して備えていくということです。神からの賜物を用い、精一杯の礼拝を主にささげる決意、つまり新たな再献身という信仰の種を今のうちに植え付けましょう。(コヘレトの言葉11:6)朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか それとも両方なのか、分からないのだから。
 
ただ主の栄光が表されるときのため、振り向かずに前を見て、備えていかなければなりません。それぞれが主のために自分をささげましょう。イエスを自分の救い主と宣言し、生涯をキリストの導きに委ねた者は今、聖霊によってキリストと一つとされ、キリストの栄光にあずかるものになっているからです。このことについてイエスが確かに語った言葉を信じます。(ヨハネ17:22〜23)あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 23わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。

主の栄光にあずかりコロナを通して何度でも新たにされる阪神チャペルセンターの礼拝に備えましょう。また9月になれば一堂に会して新しい礼拝をともにささげるために、もう新たな再献身へと祈り始めても良い時が来ているのではないでしょうか。聖霊によって一致し、しっかりと結び合わされ、それぞれの場所からともに祈り、これからささげる新たな礼拝に向かって進んでいきましょう。
(1テサロニケ5:23〜24) どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。 24あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。
アーメン!

今週のみことば
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、
 栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、
 神を深く知ることができるようにし、
 心の目を開いてくださるように。」
 エフェソの信徒への手紙1章17-18節


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