阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年9月4日
「信仰による救い」
マルコによる福音書5章25-34節

 今日は、久しぶりに教会に集い、一緒に礼拝をささげられて心から感謝します。
まだまだコロナウイルスの感染は終息しませんが、注意をしながら集って主を崇めましょう。もうしばらくお交わりは最小限に止めましょう。
体調の悪い時、本人、周囲に発熱などの症状がある場合はYouTubeで礼拝をささげてください。日曜日夜には配信されます。hanchape.comの動画サイトから視聴できます。
一日も早いコロナ終息を祈り続けましょう。

私たちは、パン、すなわち食料、また地上の物質だけで生きる者ではなく、神の口から出る一つ一つの御言葉で生きる者であることを教えられ、信じています。御言葉を信じる者は、固い信仰に生きることができます。御言葉なしで信仰を持つことは不可能です。
日々主と御言葉を待ち望み、力をいただきましょう。
今日は、12年間も婦人病で苦しんでいた一人の婦人が、主イエスによって癒されたという出来事を通して主を仰ぎたいと思います。
主イエスの所へ、会堂長のヤイロという人が来て、自分の幼い娘が死にそうなので、一緒に来て手を置いてほしいと、主の足元にひれ伏しました。主イエスは、ヤイロと一緒に出掛けて行かれました。ヤイロは一刻も早く家にお連れして、娘を救ってほしいと思ったに違いありません。
群衆も主イエスに押し迫りながら主に従って行きました。
ところが、12年間も病気の為に苦しんできた婦人が、群衆の中に紛れ込み、後ろから主の服に触れました。
この婦人は長年病気の為に苦しみ、このような病気の人は汚れた者として、社会から受け入れられないので、体の苦しみと精神的な孤独に苛まれ、絶望としか言えない人生を送っていました。
しかも、長年医者にかかりましたが、治るどころかひどく苦しめられ、何の役にも立たず、全財産を使い果たしてしまいました。
しかし、この婦人はすべてを失った中で、主イエスの名を聞き、希望を持ちました。
本来、人の中には出てはいけないという規定があったのですが、群衆の中に紛れて主イエスに近づきました。
それは、主の服にでも触れれば癒していただけると思ったからでした。
この婦人は、主の服にでも触れさえすれば癒され、救われるという信仰を心の中に持ちました。そして、後ろから主の服にそっと触れると、たちどころに病気の源がかわいて、癒されました。
一方、主イエスはどのように語っておられるのでしょうか。
ご自分の力が出て行ったことを感じて、群衆を見渡されました。この時、群衆は窒息するのではないかと思うくらい、主に押し迫り、集まっていたのです。
弟子たちは、このように群衆が押し迫っていますのに、それなのに、誰がわたしに触れたのかと言われるのですかと、言い続けました。
誰が触ったかなど分かりません。それは無理ですと言いたかったのです。しかし、主は周りを見回して、だれが触ったのかを知ろうとされました。
婦人は自分の身に起こった癒しを驚き、恐れおののいていました。
そして、主の前にふるえながら進み出てひれ伏し、自分の身に起こったことをすべて主にお話ししました。
主イエスは、この婦人に、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」(マルコ5:34)とお声をかけてくださいました。
 もし、主イエスが、誰が御自分の服に触ったかと探されなかったら、この婦人はそっとそこを去って行ったことでしょう。
確かに病気は癒されましたが、それは誰にも知られず、主イエスの救いも恵みも証しされませんでした。また、自分の信仰についての主のお言葉も聞くことができませんでした。
この婦人は、主イエスの前に進み出ることにより、また告白により、自分の信仰による癒しの確信と、祝福をいただいて戻ることができました。
この時から暗闇と絶望の中から救い出され、驚くべき真の光へと招き入れられました。
病の中で財産もなくし、社会からは汚れた者として受け入れられず、どう生きればよいのか分からなかった婦人は、主イエスによって救い出されました。
主イエスは、もうその病気から解放されたままでいなさい。平安に生きなさいと語り掛けてくださいました。
すばらしい愛と恵みを受けることができたのです。
ところで、ヤイロの娘はどうなったでしょうか。すでに死んでしまったという知らせがあったのですが、主は「恐れることはない。ただ信じなさい」と語ってくださいました。ヤイロの家に行かれて、娘を生かされました。ヤイロも娘も救われました。
主イエスは、どのような人にも目を留めてくださるお方です。
私たち一人一人をご覧になり、救いの手を差し伸べ、恵みを与えてくださいます。
いつの時代も、人が苦しむのは病気や孤独です。あるいは経済の問題や人間関係であるかもしれません。
社会の中で誰からも目を留められず、孤独に苦しむ人は大勢います。
あるいはいじめや無視といった、より積極的な圧迫を受けている人もいます。病気の為に苦しい思いをしている人も大勢います。
心と体の苦しみの為に、自ら命を絶ちたいと思う人もいるのです。
救い主は、心迷い弱っている人の為に、そして、すべての人が救われるためにこの世に来て下さいました。
誰でも、この方にすがり、信頼するなら救いを受けることができます。
からし種一粒ほどの信仰で良いのです。主イエスはお救い下さるという信仰を持って近づくなら、主イエスは答えてくださいます。
心弱り、迷い、苦しむ者に、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と、語り掛けてくださいます。
主イエスは、負いきれない重すぎる荷物を持って苦労している人は誰でも、私の許に来なさいと言われます。負いきれないほどの荷物だと感じて、疲れ果てている人は来なさい。休ませてあげようと招いておられます。あなたの魂に安息を与え、助け、元気づけると言われます。
主イエスと出会い、この方との交わりを持つと、人生が変わります。
希望と平安をいただき、常に主イエスが共にいて支えてくださるという安心を持ちながら生きることができるのです。
主イエスが下さる一番素晴らしいものは何でしょうか。
それは、信じる者すべてがいただける永遠の命です。
この世の命は誰でも終わる時が来ます。主を信じる者は永遠の命を生きます。主イエスは十字架で全ての人の身代わりとして死んでくださり、罪を贖って下さいました。罪が赦され解放され、永遠の命をいただくことができました。救いは行いによるのではなく、恵みにより信仰によっていただくことができます。
主を信じ受け入れた者は、その瞬間からこの世にあっても、後の世にあっても永遠の命に生きる者とされました。
天国に国籍を持つ者とされ、キリストの大使として天の国と救い主を語ることができるのです。
私たちがこの世に生かされている間に、様々に受ける苦しみや試練に打ち負かされることはありません。
主イエスが共におられて、既に救いと解決を備えていてくださるからです。
私たちは主イエスを信じて、主イエスにより頼む信仰によって進むとき、主の方法ですべてに答えが与えられます。
この婦人が新しくされて、祝福されて帰っていたように、私たちも主イエスの前から信仰と確信と喜びを持って帰ることができます。
主イエスを信じ、救いと癒しを感謝し、主イエスとそのすばらしさを賛美しつつ、信仰により進んでまいりましょう。


今週のみことば
「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。
 もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
 マルコによる福音書5章34節


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