阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年11月27日
「ひたすら祈りなさい」
コロサイの姿勢4章2-4節

 今日も教会に集い、礼拝をささげられる恵みと特権に感謝します。
主が甦られた日曜日を覚えて、クリスチャンは教会に集まり、礼拝をささげます。主の日の礼拝は、主イエスの十字架の死と復活を証しすることです。私たちは主の復活の証人です。
主イエスを心に受け入れた者は、数えきれない恵みに満たされています。十字架の血汐により罪許され、神の子とされて永遠の命に生かされています。これほどすばらしく幸いなことはありません。
良い羊飼いである主イエスに日々導かれ、平安と感謝と希望に満たされています。
喜びと感謝をもって祈ることができることも、本当に素晴らしいことです。
御言葉は祈りについて多くの事を教え、勧めています。
私たちが良く知っているのは、「絶えず祈りなさい」(Tテサロニケ5:17)という御言葉ではないでしょうか。
コロサイの信徒への手紙を書いたのはパウロですが、パウロはこの時、エフェソの牢獄に捕らわれていました。
パウロはコロサイの教会のために、いつも祈っていると記しました。「わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。」(コロサイ1:3)と記しています。そして、コロサイの教会にも自分たちの為に祈ってほしいと書き送りました。
「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。同時にわたしたちのためにも祈ってください。」(コロサイ4:2,3)と、記しました。
これは、あなたがたの祈りの生活に真剣でありなさい。ゆるぐことのないものでありなさい。感謝をもって油断しないで、心をこめて集中するようにとの、勧めの言葉です。クリスチャンの祈りの姿勢について教えられます。もっともっと神に近づき、祈ることが本当に大切なのです。
パウロがこの時祈ってほしいことは、「神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように」(コロサイ4:3)ということでした。
パウロは、今は牢獄にいるけれども、神が門を開いて、「キリストの秘められた計画」、すなわち、キリストの福音、救いを宣教できるように祈ってほしいと書き送りました。
キリストの秘められた計画とは、奥義であり、奥義とは今まで隠されていたことが明らかになるということです。
キリストが十字架に架り、その流された血汐により、信じる者の罪が許されて、神との和解が成立するという、救いの奥義が明らかになりました。
「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」(コロサイ1:20)とある通りです。
今は、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(Uコリント6:2)であり、キリストを信じる者はだれでも、恵みによって救われる時なのです。
私たちは、主イエスを救い主として信じ、心に受け入れることができました。キリストにより罪から解放されて神の子とされました。
天の父を「アッバ、父よ」とお呼びして近づき、祈る者とされたのです。
天の父は、私たちが祈ることを喜ばれるお方です。
なぜなら、祈りは神との会話であり、神との和解が成立していることの証しだからです。
小さな子供が、その心の中にあることをなんでも父や母に聞いてほしいと願う以上に、私たちはどのようなことも神に申し上げることができます。
いつでも、どこででも祈ることができます。神の子の特権です。
多くの人の救いのために祈ることができます。また、お互いのために執り成し合うことができます。
祈りはクリスチャンの力です。
エフェソ6章には、神の武具を身に着けるようにと勧めがなされています。真理の帯を腰に締め、正義の胸当てをつけ、平和の福音の履物をはき、信仰の盾をとり、救いの兜をかぶりなさい。さらに、霊の剣、すなわち神の言葉を取るように、そして、「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェソ6:18)と続けられています。
パウロは当時のローマの兵士の軍装を描きながら、教えています。
神の武具を身に着けているということは、いつでも信仰の戦いを戦うための用意ができている状態です。
さらに、御言葉は、神の武具を身に着けるだけではなく、御霊によって根気よく祈ることを教えていることに心に留めることが大切です。
すべての聖徒の為に根気よく執り成しなさいと、教えています。
私たちの祈りの模範は主イエスです。主は良く祈られました。
主イエスは十字架の直前、ペトロが主を否むことを予告なさいました。
ペトロにはそのような思いはありませんでした。主イエスがなぜそのように言われるのかその時には理解できませんでした。
しかし、大祭司の庭で、ペトロが主イエスの仲間だと三度指摘された時、激しく否定したのです。
このことを主イエスは予告なさり、すでにペトロのために祈られたと言われました。
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31,32)。
主はペトロの名を2度呼びかけておられます。大切なことを伝えられる時、名を繰り返されるのです。
ぺトロは、確かに主を否みました。取り返しのつかない大失敗です。しかし、主が言われた通り、もう一度主イエスによる赦しを受け、再び弟子として福音を伝えるために召されたのです。
主イエスは、私たちの為にもいつも執り成してくださいます。
「それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」(へブル7:25)
 私たちが主イエスの御心に沿わないような時、自己中心に支配されるようなことに気づくなら、祈ることができます。また、誰かに祈ってもらうこともできます。信仰の友は祈りの友です。
コロサイ4章後半にはいろいろな人の名が挙げられています。ティキコは、パウロの弟子ですが、コロサイの人々にこの手紙を届けました。コロサイの教会でこの手紙が読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるようにとの指示が出されています。この時ティキコは、オネシモを連れて行きました。かつてフィレモンの家から逃亡した奴隷であったオネシモは、忠実な愛する兄弟として紹介されています。アリスタルコ、マルコ、このマルコは以前、第二回の伝道旅行には連れて行かなかったマルコですが、今はパウロの許にいます。コロサイ教会のために労したエパフラス、ルカによる福音書、使徒言行録を記したルカもいます。デマスもいます。デマスはやがてパウロから離れてしまうようです。そして、この手紙の最初に記されているテモテがいました。
パウロは投獄されていましたが、決して一人ではありませんでした。主イエスが共におられ、同労者に励まされ、牢の中でも福音の為に手紙を記し、教会を励まし宣教の為に祈り続けました。
私たちも一人ではありません。主イエスが共におられ、祈りに導いて下さいます。聖霊によって祈ることができます。そして、多くの信仰の友が祈っていることを覚えましょう。そして、私たちも多くの人々のための救いを祈り、根気よく執り成しの祈りを続けましょう。
祈りのすばらしさをさらに知る者となり、主イエスのすばらしい御業を拝しましょう。

今週のみことば
「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」
コロサイの信徒への手紙4章2節


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