阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年12月4日
アドベント第2週


「わたしだ。恐れることはない。」
マルコによる福音書6章45-52節

 アドベント第二週の主の日を迎えました。急ではありますが、今日と、来週11日は、コロナウイルス感染拡大防止の為にYouTubeでの礼拝に致します。
寒くなってまいりますが、日頃の体調管理に気を付けて、第8波を乗り越えてクリスマスを迎えましょう。
今のところ、12月18日、アドベント第四週から、教会での礼拝を予定していますので、お祈りください。

主イエスは、すべての人の救いの為にこの世にお生まれ下さいました。この方は、十字架で命を捨てられ、信じる者の救いとなられたのです。
三日目に復活されて、今も生きておられる救い主は、私たちの為に祈り続けていてくださいます。
主イエスは奇跡の神です。主イエスの許に集まって来た人々に、パンと魚をお与えになりました。男の人だけでも5000人もいたのに、大麦のパン5つと魚2匹でこの人々を養われました。人々は満腹するまで食べることができました。これはガリラヤ湖の向こう岸での出来事でした
その後弟子たちは舟に乗って、向こう岸のカファルナウムへ行こうとしました。すでに暗くなっていましたが、主イエスは一緒ではありませんでした。
人々は奇跡を体験して、主イエスを王とするために連れて行こうとしたので、山へ退かれて祈っておられたのです。
ガリラヤ湖には強い風が吹き始めました。ガリラヤ湖は海抜が低く、周囲を山で囲まれていました。凪であったのに突然強い風が吹き荒れることがありました。
この時も25から30スタディオン漕ぎ出したころに激しい風になり、湖は大荒れになりました。岸から5、6キロくらい離れた距離です。
ガリラヤ湖を知り尽くしている弟子たちでしたが、舟を漕ぎ悩むことになりました。夕方舟に乗り、もう夜が明ける頃になっていたのに、まだ5キロほどしか船は進みませんでした。
その時、主イエスが湖の上を歩いて近づいてこられました。弟子たちは恐れました。湖の上を人が歩くことなどありえなかったからで、理解できませんでした。
主イエスは弟子たちに、「わたしだ。恐れることはない。」(ヨハネ6:20)と、声をかけてくださり、舟に乗りこまれたのです。
すると間もなく目的地に着くことができました。
「すると間もなく、舟は目指す地に着いた」(ヨハネ6:21)とあります。
突風の中で近づいてこられた方が主イエスだとわかった時、舟に乗り込んでくださった時、目的地に無事に到着した時、弟子たちはどれほど嬉しく安心したことでしょうか。危険から逃れることができたのです。
主イエスは奇跡さえも起こして弟子たちを救われました。
 間もなく今年もクリスマスを迎えようとしています。クリスマスは奇跡です。神が人となられてこの世に来られた。そして十字架で罪の贖いをされて、救いの御業を成し遂げられたのです。
信じる者は誰でも罪を赦され、永遠の命をいただくことができるのです。ひとえに神の愛によるのです。
人の歩みは、静かな湖をわたるような時ばかりではありません。突如として突風が吹き荒れ、沈みそうになることもあります。
試練で苦しむことがあります。
今は、コロナウイルスという、見えない敵と戦っています。
少しは落ち着いたかと思うと、また戦いを挑んできます。感染第8波に入っているようです。
また、私たちの個人的な生活にも次々と問題が起きてきます。
ちょうど湖で、逆風の為に舟を漕ぎ悩んでいるようなことがあるのではないでしょうか。
そのようなとき、主イエスは歩み寄ってくださいます。
主イエスは、私たちの人生という舟に乗ってくださるのです。心弱く、すぐにおびえ、悩み苦しむ私たちに、「わたした。恐れることはない」と御声をかけてくださいます。
主イエスと十字架は神の愛の表れです。
ローマの信徒への手紙には、「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か・・・・わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配する者も、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:35,38)と、力強い御言葉が記されています。
私たちは、何によっても引き離されることのない神の愛に生かされています。
マタイによる福音書の平行記事によると、主イエスが湖を歩いて舟に近づいてこられた時、ペトロは、「水の上を歩いてそちらに行かせてください」とお願いしました。
主イエスが「来なさい」と言われたので、舟から下りて湖の上を歩き始めました。ペトロは主イエスの方に向かったのですが、強い風に気が付いて怖くなり沈みかけてしまいました。
「主よ、助けてください」と叫ぶと、主イエスはすぐに手を伸ばして捕まえてくださいました。
そして、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」(マタイ14:31)と言われました。主イエスとペトロが舟に乗りこむと風は静まったのです。
私たちの人生の大嵐の中に、主イエスは近づいて来られます。私たちが主イエスから目をそらしておぼれかける時、主はその御手を伸べて救い上げてくださいます。
そして、「安心しなさい、わたしだ。恐れることはない」(マルコ6:50)と語りかけてくださいます。
主イエスはいつも「わたしのところへ来なさい」と招いておられます。
主イエスはすべてを治めておられる神であり、自然さえも支配されます。私たちはこの方にすべてを委ねて歩むことができるのです。
主イエスがベツレヘムでお生まれになった時、美しく整えられた立派な部屋ではお生まれになりませんでした。
母マリアは臨月を迎えていましたが、人口調査をローマ皇帝が命じたので、ヨセフと共にガリラヤのナザレから、出身地であるユダヤのベツレヘムまで来なければなりませんでした。
ベツレヘムでは宿屋に部屋はなく、家畜小屋で神の子はお生まれになりました。これ以上ないほどの謙遜です。
御子は、尊い使命をもって誕生されました。全人類を罪から贖うために十字架に架り、死ぬという使命です。そして三日目に復活され、すべての人の救いとなられました。
クリスマスと十字架は、切り離して考えることはできません。
主イエスは、私たちにも、わたしのところへ来なさいと呼びかけておられます。
主イエスは、私たちがさまざまな恐れに苦しむ時、「安心しなさい、わたしだ、恐れることはない」と語りかけて、助けてくださいます。
風に悩まされ恐怖に陥っていた弟子たちは、風が静まったとき心の中で非常に驚きました。主イエスとその御業を理解していなかったからです。5000人のパンの給食も、湖で風を沈められたことも、本当の意味を理解していませんでした。それは、主イエスがどなたなのかが、まだ分からなかったからです。
私たちには、すでに約束の御霊が内住されています。聖霊は主イエスを明らかに示して下さるのです。キリストの十字架の愛を教え、愛に満たしてくださいます。
主イエスはいつも私たちと共におられ、「わたしだ、安心しなさい。恐れる必要はない」と語りかけてくださり、実際に不思議な御手をもって救い上げてくださいます。いただいている永遠の救いを喜び、主イエスが共におられることを喜び、御子のお誕生の備えをして参りましょう。

今週のみことば
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
マルコによる福音書6章50節


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