阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年12月11日
アドベント第3週
「仕えるために来た」
マルコによる福音書10章42-45節

 今年もクリスマスが近づいてきました。今日はアドベント第三週の日曜日です。
コロナウイルス感染防止のため、今日もYouTubeでの礼拝ですが、皆様の家を家の教会として、ご家族そろって幸いな礼拝をささげましょう。
来週18日には、教会に集まり礼拝をささげます。さらにクリスマスを待ち望み、クリスマスに備えられるよう祈りましょう。
クリスマスと十字架は切り離して考えることはできません。なぜなら、御子は全世界の贖いの為に、十字架に架られるためにお生まれ下さったからです。もし、主のご降誕がなく、十字架もなかったら、救いはなく、私たちは今も罪の暗闇の中を歩まなければなりませんでした。
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ9:1)と、イザヤは預言しました。
この預言はキリストのご降誕によって成就し、まさしく御子は真の光としてこの世に来られて、信じる者を罪から解放し、永遠の救いを与えてくださいました。
主イエスは、お生まれになった時から、その全生涯を通して謙遜なお姿を貫かれました。
主の弟子のヤコブとヨハネが、主が栄光の座にお着きになったときには、自分たちを主の右と左に座らせてほしいとお願いしました。
主イエスに次ぐ地位が欲しいと願ったのです。それを聞いた他の弟子たちは怒りました。なぜなら皆心の中で同じように考えていたからです。この二人に出し抜かれてしまいました。
主イエスはヤコブとヨハネに、御自分の十字架を暗示され、この杯を飲むことができるかと、お尋ねになりました。この二人はその意味を理解できませんでしたが、「できます」と答えました。
主イエスは、ヤコブとヨハネ、また弟子たちは、たしかにその杯を飲むことになる。主の弟子として多くの苦難や迫害を受けるだろうが、主イエスの右や左に座るのは、主が決めることではないとお答えになりました。
そして弟子たち一同を集めて、主イエスがこの世に来て下さった理由をお話になりました。
主イエスはこの地上での権力や、偉さと思われるようなこととは全く違う、主イエスの弟子としての姿勢を教えてくださいました。
「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:43−45)。とお教えになりました。
この教えを聞いて、「私は別に偉くなりたいとは思わないから、この教えには当てはまらない」などと、思うのは違います。
私たちも仕事や生活において、何かしら責任を持つことがあるでしょう。そういう時に、仕える者であれと教えておられるのです。
教会でも家庭でも社会でも、あなたに任されていることが必ずあるはずです。主イエスは私たちにも謙遜な姿勢を持つことを教えてくださいました。
主イエスは神の御子として仕えられる立場のお方です。しかし、謙遜の限りを尽くされました。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6−8)。
キリストは、神であるにもかかわらず、人としてこの世に来られ、徹底的に仕える者になられたのです。
それは、私たちの救いのためでした。キリストは、十字架の死に至るまで従順に歩まれました。謙遜と従順の限りを尽くされました。
マルコ10章43節と44節には、「皆に仕える者になり」そして、「すべての人の僕になりなさい」とあります。仕える者も、僕も意味は同じです。キリストの僕として神と人に仕えることは何よりも幸いなことなのです。
主の母となったマリアのもとに天使ガブリエルが訪れ、御子の母になることを告げました。マリアはヨセフと婚約していましたが、結婚はまだでした。しかし、当時の習慣で、婚約すると生活は共にしないのですが、結婚したと見なされました。ですから、「いいなずけの妻」(口語訳ルカ2:5)などという言い回しがされていました。
実際には結婚していないマリアのもとに天使が遣わされて、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスを名付けなさい。この子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」(ルカ1:31、32)と受胎を告知しました。
マリアの戸惑いは大変なものでした。結婚していないのに子ができたらどうなるのでしょうか。また、ヨセフも困惑したのです。
しかしマリアは聖霊によって身重になったこと、生まれる子がメシアであることを信じて受け入れました。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1:38)と答えました」。自分は主のはしため、すなわち僕ですから、神の御心が成ります様にと受け入れ、御心に従いました。
これは主の前に謙遜な姿勢でした。
一方、夫となるヨセフも大変悩みました。もし、マリアの懐妊が人々に知られると、律法によって裁かれなくてはなりません。ですから、ひそかに離別しようと思っていました。
しかし、神はヨセフにも御心を示されました。夢で天使が、恐れないでマリアを受け入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によるものであり、男の子が生まれるのでイエスと名付けること、さらに、この子は自分の民を罪から救う救い主であることを教えました。
ヨセフはマリアを妻として迎えました。
ヨセフも神の御心を受け入れる謙遜な信仰を持っていました。
主イエスが教えておられる謙遜は、神の御心に従順であるという信仰の姿勢なのです。
しかし、主が模範を示され、謙遜な信仰と姿勢を持つようにと教えておられても、マリアやヨセフの信仰の姿勢を学んでも、私たちにはなかなかむずかしいところがあるのではないでしょうか 。
なぜなら、人の心の内にはプライドや利己心、虚栄心、自己中心があるからです。御言葉には、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2:3−4)とあります。
私たちが謙遜さと従順を身に着けようと思うなら、まず神との関係を思い返すことが大切です。
キリストの十字架によって神との和解が成し遂げられました。正しい関係を持つことができました。私たちがなにか良いことをしたからではありません。ただ十字架によるのです。
神との関係が正しければ、人との関係も御心に沿った関係になります。
夫婦の間も、職場の人間関係も、教会での兄弟姉妹の関係においても、主イエスが教えてくださったように、まず仕えることに大きな喜びを発見し、仕え合うという祝福をいただくことができます。
主イエスは私たちのため、全世界の贖いの為に御自分の命をささげてくださいました。
この贖いによって今私たちは永遠の命に生かされています。クリスマスを前に自分自身の信仰の姿勢を探り、改めて神と人に仕える信仰を求めて参りましょう。
主イエスの謙遜と従順に学び、クリスマスを待ち望みましょう。


今週のみことば
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
 また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために
 来たのである。」
 マルコによる福音書10章45節


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