阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2022年12月25日
クリスマス礼拝
「大きな喜び」
ルカによる福音書2章8-20節

 クリスマスおめでとうございます。
喜びを持って、クリスマスの礼拝をささげましょう。
ルカによる福音書2章の初めには、救い主がベツレヘムでお生まれになった経緯が記されています。
救い主は、ユダヤのベツレヘムでお生まれになることが預言されていましたが、その母となるマリアはガリラヤのナザレに住んでいました。
ところが、当時のローマ皇帝アウグストゥスはユダヤ全土の住民に、住民登録をするように勅令をだしました。
人々は自分の本籍地に行って、登録をしなければなりませんでした。
ヨセフはダビデ王の末裔でしたから臨月のマリアと共にベツレヘムへ行って登録をしなければなりませんでした。
マリアはベツレヘムで月満ちて男の子を出産しました。宿屋にはヨセフやマリアの宿泊できる部屋はありませんでした。救い主は家畜小屋で生まれ、布でくるまれ、飼い葉桶に寝かされました。
家畜小屋は出産にはふさわしい場所ではありません。しかし、救い主はこれ以上ないほどの謙遜さの中にお生まれ下さいました。
その夜、ベツレヘム近郊の野では、羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていました。羊飼いたちにとっては、いつものことでした。ところが天使が近づいてきて、主の栄光の光が周りを照らしました。羊飼いたちは、「非常に恐れた」(ルカ2:9)とあります。当然の反応です。何が起こったのか、なぜ神の栄光の光が照り輝くのか、分りませんでした。
ユダヤには多くの羊飼いがいました。ダビデも若いころは父親の羊の番をしていました。羊飼いは、毎日羊の世話をして、羊が食べることができる草地を捜しながら誘導し、場所を変えていかなければなりません。昼も夜も羊に害を与えるような猛獣や、略奪者から守り、見張りをしなければなりません。羊飼いは羊を外敵から守り、群れの安全を守りました。
安息日を守って会堂へ行って礼拝をささげたり、律法を学ぶことはできません。また、貧しくて施しをすることもできませんでした。ですから、宗教指導者たちからは、羊飼いは罪人のように思われていました。
羊飼いたちも、自分たちはとても神様に認めていただけるような者ではないと思っていました。
そのような者に、神の栄光の光が輝いたのですから、いったい何が起こったのかわからず、驚きうろたえたのです。
天使は、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:10―12)と語りました。
天使はキリストの誕生を羊飼いたちに告げました。
天使は、「民全体に与えられる大きな喜び」を告げました。キリストの誕生は、世界の全ての人に与えられる、大きな喜びです。
世界中の人に与える大きな喜びが、救い主の誕生でした。
天使がこの良い知らせを告げると、突然天の大軍が現れ、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)と賛美しました。
天使たちは、救い主の誕生について、神様の栄光と、人々、つまり「地」の平和を歌いました。
天使たちが去って行った後、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」(ルカ2:15)と話し合い、急いで出かけました。
羊飼いたちは天使の言葉を信じ、救い主の誕生を知ることができました。そして急いでベツレヘムへ出かけ、マリアとヨセフ、飼い葉桶の幼子を探し当てました。
羊飼いたちはこの出来事を人々に知らせました。人々は不思議に思ったのです。
マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしました。
マリアはためらいながらも救い主の母となることを受け入れ、ベツレヘムで男の子を出産し、羊飼いたちの訪問を受けました。
羊飼いたちから、野で羊の群れの番をしているとき、天使によるキリスト降誕の知らせを受けたこと、天使たちの大合唱の有様などを聞きました。
マリアは、自分の身に起こったことを改めて覚えて、主の母となったことを心に留めました。
一方、「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)
これが、クリスマスの出来事です。
キリストのご降誕は、「民全体に与えられる大きな喜び」です。
この御子により、信じる者は誰でも救われる恵みの時代が到来したのです。
私たちが生きているこの時代にも、世界では戦争があり、コロナなどの感染症が広がり、絶えず苦しみと恐れが付きまといます。
個人的な生活にもさまざまな問題が起こり、苦しみと悩みが続くことがあります。
心が折れるような体験をすることもあります。孤独に悩むこともあります。将来の不安を覚える人もあるでしょう。
私たちの生きている世界には、何もかもが保証されているということはありません。いつ何があるかわかりません。人それぞれ、重荷を負いながらの生活なのです。
そのような中に、驚くべき光が輝きました。救い主の光です。
キリストのご降誕は、すべての民の大きな喜びであり、救いの約束の実現でした。
この救い主のご降誕の目的を知る時、天に栄光、地に平和の賛美の意味を知ることができます。
救い主はやがて、「すべての民の罪」を背負われ、十字架の道を進んでくださいました。
全ての民とは、私たち一人一人のことです。十字架はどこかの誰かのためではなく、私自身のためでした。私の罪の為に十字架で死んでくださったことがわかると、救いの喜びに満たされます。
キリストは、十字架の死を遂げられ、三日目に復活されました。キリストの十字架の死と復活により、すべての民は罪と死の力から解放されました。これ以上の大きな喜びはありません。
キリストのご降誕と、十字架の出来事こそ、すべての人を救う、福音、良い知らせです。
羊飼いたちは、この夜、羊の番をいつものようにしていました。
しかし、突然天使によりキリスト降誕の知らせを聞き、天使たちの賛美の有様に圧倒され、ベツレヘムへの訪問と、キリストとの出会いと礼拝、目まぐるしくその夜を過ごしました。
自分たちは人から蔑まれるような者にすぎないと思っていたのに、神は覚えていてくださった。見えざる神の御手と、愛に守られていたことを知りました。
これからは何も恐れる必要はなく、キリストの恵みと救いを信じて、どのような時も平安に生きられることを、この夜を境に知ることができました。
羊飼いたちは、ダビデの詩編を直接は知らなかったかもしれませんが、同じ思いを抱いたことでしょう。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせて下さる
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。・・・命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう」(詩篇23:1−4、6)
私たちもキリストのご降誕の意味を思い返し、それぞれがキリストにある大きな喜びを持って、これからも信仰の道を進んでいきましょう。

今週のみことば
「今日ダビデの町で、
 あなたがたのために救い主がお生まれになった。
 この方こそ主メシアである。」
 ルカによる福音書2章11節


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