阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年1月1日
新年元旦礼拝
「希望・喜び・祈り」
ローマの信徒への手紙12章9-12節

 新年おめでとうございます。
新しい年を、まず礼拝よって始められて感謝します。
昨年はコロナ禍の中にあって、いろいろと大変でした。皆さんの生活の中にもさまざまな試みがあったかもしれません。どのようなことがあっても、主イエスが今日までで導いてくださいました。その愛の御手が常にあることを心にとめて、今年も信仰によって歩み続けましょう。
2023年の御言葉は、「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」(コロサイ4:2)です。
祈りによって神に近づき、生きておられる神を知る年であるようにと願います。
私たちは、主イエスを救い主として信じて心にお迎えしました。
主イエスの十字架により、罪の許しを受け、神の子とされ、永遠の命を持つ者とされました。神の子は祈りによって天の父に近づきます。
順境の時も、逆境の時も祈れることは素晴らしいことです。
神の子は、神の子の歩みを日々進めていきます。それは、神の栄光を表すという生き方です。
日常の生活の中で祈りと御言葉によって神の栄光を表します。
御言葉は、偽りのない愛で互いに愛し合うことを教えています。
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(ローマ12:9、10)と、教えています。
人には、口先だけの中身がない愛があります。「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」(Tヨハネ3:18)とあるのです。
神の愛には偽りはありません。その独り子さえ、惜しまずに全世界の贖いとされました。無償の愛です
「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によってわたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(Tヨハネ4:9)とあります。
主イエスの十字架は神の愛の表れなのです。愛によって私たちは救われ、神の子とされたのですから、私たちは真の神の愛をもって互いに愛し合うことができるのです。
神の愛に満たされていると、互いに尊敬をもって、認め合うことができます。相手を優れた者として認め、敬います。
人間関係がうまくいかずに悩む人が大勢います。人を認めようとせず、互いに否定したり、人を裁くところに良い実が実るはずがありません。互いに悔い改める必要があります。
まず、自分から人を認め、その人のために祝福を祈ると、良い実が実り始めます。尊敬をもって互いに相手を優れた者として認める、これは祈りによって実現します。
主イエスの弟子たちは、主イエスとともにありましたが、人間的なところが多くありました。
主イエスの十字架の直前でも、自分たちの中で誰が一番偉いかなどと議論するようなところがありました。
人の心の中には、自分が人よりも優れている者であると誇りたい気持ちがあります。主イエスは、この世の王や権力者のようにではなく、「いちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしは
あなたがたの中で、いわば給仕する者である」(ルカ22:26−27)と教えられました。
主イエスは仕えられるためではなく、仕えるために、僕として低い姿勢をとられて、十字架にかかり、真実の愛を示されたのです。
さらに、「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい」
(ローマ12:11)とあります。
この御言葉は神の愛を根に置くと、よく理解することができます。「愛は怠らない、愛は励み、愛は霊に燃え、愛は主に仕える」と、愛が動機になるのです。
テサロニケの教会に問題が起こりました。それは、主イエスの再臨が近いからというので、働くこともせず、自分のなすべきことも放棄してしまうような人々がいました。その秩序のない生き方は、クリスチャン以外の人々への証しとなりませんでした。
パウロは、「落ち着いて仕事をしなさい」(Uテサロニケ3:12)と、なすべきことをするように、また、「自分で得たパンを食べるように」と、強く勧めています。
愛のない的外れに陥ってしまった人たちに、戒めの言葉が送られました。
信仰生活と、実際の生活に乖離はありません。信仰が生活なのです。
主から与えられている家庭生活、仕事、学生生活そのほか、また主への信仰による奉仕が落ち着いた、勤勉なものであるなら、主は喜ばれます。それらは、自分の力だけでできるのでしょうか。「霊に燃えて」
(12:11)とあります。霊に燃えるとは、聖霊によって輝くことです。聖霊は特別な人だけに注がれるのではありません。求める者すべてに豊かに注がれます。求めるなら満たされるのです。
聖霊は、力と愛と慎みの霊です。聖霊に満たされ、輝いて熱心に主に仕え、前進できるのです。
人は、希望と喜びが心にあるなら、それが生きる力となります。
「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ローマ12:12)と、教えています。
神の子の希望は、生きておられる救い主、イエス・キリストです。
もし私たちが、光の全くない暗闇を歩くなら、心細く、どこに向かって行くのかもわかりません。どこに大きな危険があるのかもわかりません。行こうとする目的地にたどり着けるのかもわかりません。
だれか、助けてくれる人がいたら、道案内をしてくれる人がいたら、どれほど安心でしょうか。
ある時、主イエスの弟子たちは、湖を舟で渡り始めました。ところが逆風が吹き始めて舟は先に進むことができませんでした。漁師出身の弟子たちにも、激しい風は手に負えませんでした。
主イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られたので、弟子たちは恐れました。主イエスは、「わたしだ。恐れることはない。」と言われて舟に乗りこまれると、間もなく舟は目的地に到着しました。
どのような時にも主イエスは私たちのそばにおられて、救いの手を差し伸べてくださり、私たちの人生を導き続けておられるのです。
私たちの目的地は、天の国です。天の希望に生きられることはこれ以上ないほどの喜びです。
イエス・キリストという希望に満たされて、この地上でのさまざまな苦難に打ち勝つことができます。
私たちには、「たゆまず祈る」ということができます。祈りは力です。
たゆまないという言葉は、怠惰にならない、努力して続けるという意味があります。怠けず、中断せず、どのような時にも祈り続けることが教えられています。
私たちの教会に今年与えられた御言葉は、コロサイの信徒への手紙4章2節の御言葉です。
「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」。私たちとって大切で必要な御言葉が与えられました。
目を覚ましているとは、いつでも主イエス・キリストと結ばれている状態です。ぶどうの枝がまことのぶどうの木につながっているなら、多くの実を結びます。
私たちの日常に、感謝でないことは何一つありません。自分にとって、苦しいと思うことですら、すべてが神の愛の配慮になってなされていることを信じることができます。すべてを信じ、すべてを委ね、感謝する事ができます。
2023年にも素晴らしい祝福が備えられています。私たちはしっかりと主イエスにつながり、主に期待し、目を覚ましてたゆまず祈り、主にある希望と喜びによって歩ませていただきましょう。

今週のみことば
「目をさまして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」
 コロサイの信徒への手紙4章2節



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