阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年1月22日
第4聖日礼拝
「御名が崇められますように」
ルカによる福音書11章1-2節

 主の日に静まって礼拝をささげることの恵みを感謝します。
一週間の間、夜も昼も見えざる御手が守ってくださり、今日まで歩むことができました。
主イエスはきのうも今日も、明日も変わらない、生きておられる神です。心から賛美をささげたいと思います。
 私たちは主イエスを信じて、十字架の贖いにより救われました。罪を赦され永遠の命に生かされています。
私たちは救われて御言葉によって養われ、祈りによって父なる神に近づく者とされました。
天の父は私たちが祈ることを喜び、耳を傾けてくださいます。
祈りの模範は、主イエスです。主イエスは良く祈られるお方でした。
その姿に弟子たちは自分たちも祈りたいと思いました。
誰かが私たちが祈る姿を見て、私も祈りたいと思ってくれたら幸いなのではないでしょうか。
主はある所で祈っておられました。すると弟子の一人が主イエスに「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」(ルカ11:1)とお願いしました。ヨハネとは、バプテスマのヨハネのことです。
弟子たちが祈りを知らなかったはずはありません。当時ユダヤ人は一日に三度祈りの時を持ちました。
しかし、主イエスが祈る姿に、自分たちの祈りと違うものを覚えたのです。
祈りは、父なる神との会話です。生きておられる神との交わりです。ですから、祈りを教えてくださいというのは、父なる神にどのように語りかければよいのか教えてくださいということになります。
主の弟子は、主が祈られる姿を見て、祈りを聞いてくださる神様に近づきたい、お交わりをしたいという思いが沸き上がったのです。
すると主イエスは、「祈るときには、こう言いなさい」と、言われました。
「父よ、御名が崇められますように。御国がきますように。」(ルカ11:2)
私たちが教えられている主の祈りの冒頭です。
私たちは、主イエスの十字架によって罪赦され、神の子とされたので、神を父とお呼びすることができるのです。
主イエスを心に受け入れる以前は、罪の中を歩み、神の恵みとは程遠い、滅びに向かう道を歩んでいました。
「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」(エフェソ5:8)という御言葉の通りに、光の子、神の子とされました。
罪の暗闇の中から、驚くべき光へと招き入れられたのです。救われて、永遠の命に生かされていることをしっかりと覚えましょう。
天地万物を創造された真の神を、「父」とお呼びできるとは、言葉で言い表せない喜びです。
主は、「父よ、御名が崇められますように」(ルカ11:1)と祈るように教えてくださいました。
御名とは、天の父ご自身のことです。崇められるとは、「聖なるものとされますように」という意味があります。
真の神が、他のどの様なものからも分離されて、崇められることを意味しています。
神様が神様として尊ばれ、礼拝されますようにという祈りです。
天の父は、人をご自分と交わりができる存在として創造されました。
ご自分のかたちに人を創造されたのです。
天の父との交わりは、祈りと礼拝、賛美です。
祈りと礼拝、また賛美によって、御名が崇められますようにと祈るのです。
詩編102編19節には、「後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』」とあります。
人は、主を賛美するために、礼拝するために造られたのです。
ですから私たちは、神を崇め礼拝し、賛美し、祈りによって神に近づきます。
これが神を聖なる方とし、崇めることであり、私たちも主イエスの十字架の血潮によって聖なる者、神の民として聖別されたことを心から喜び感謝します。
主イエスはさらに、「御国が来ますように」と祈るように教えてくださいました。
主イエスが公の生涯に入られて福音宣教を開始されたとき、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)と、声をあげられて宣教なさいました。バプテスマのヨハネも同じ言葉を語り、人々に悔い改めのバプテスマをほどこしました。
天の国とは、領土のことではなく、父なる神のご支配を意味します。
ある時、主イエスにファリサイ派の人達が、「神の国はいつ来るのか」と」(ルカ17:20)と質問しました。
主イエスは、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:20,21)とお答えになりました。
主イエスに質問したのは、いつも主に敵対するファリサイ派の人々でした。主はそのファリサイ派の人々の間にも、神の国は到来していることを教えてくださいました。
質問した人々は、目に見える国が実現して、ローマ帝国の支配から解放されるのはいつかと質問したのですが、主イエスのお答えは期待したものとは違いました。
主イエスがこの世に来てくださったことで、神の国は実現しました。
神の御支配の中にある者は神の国の民なのです。
ファリサイ派の人々にはわからなかったかもしれません。
神の国の中心には主イエスがおられます。人々を愛し、救いに招き、恵みに満たされます。
神の国にあるのは、聖霊によって与えられる義と平和と喜びです。
「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」(ローマ14:17)。
キリストによって罪赦されたものは、義とされました。罪のない者と認められたのです。平安に満たされ、喜びに満ち溢れます。
キリストの十字架によって罪を贖われたものは神の民とされました。
神との和解がなされて、心には喜びと平安が沸き上がります。これは世が与えるものではなく、聖霊による義と平安と喜びです。
この世のどのような厳しい現実をも戦い抜き、必ず勝利をおさめることを知っています。さらに人と人の間に、平和を作り出す者として用いられるのです。神との和解は、命と喜びです。
「このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます」。(ローマ14:18)
この御言葉は、神の国に生かされている人の姿を表しています。
私たちは主イエスを信じて神の子とされました。今、神の国、すなわち神の御支配の中に喜びをもって生かされています。
私たちの口と心は神を賛美し、礼拝します。
主の祈りは一人の祈りではありません。「わたしたちにも祈りを教えてください」と願う祈りであり、ルカ11章3節以下には、「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」「わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」「わたしたちを誘惑に遭わせないでください」と教えられています。
神の子とされた者が心を合わせて祈る祈りです。
主が教えてくださった祈りを、心を合わせ祈るとき、神の国は拡大していきます。
天の父の御名が崇められますように。御国が来ますようにと、
心を新たにして祈り続け、神を崇め礼拝しましょう。

今週のみことば
「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」
 ルカによる福音書11章2-3節


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