阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年2月5日
第1聖日礼拝
「必要な糧を今日与えてください。」
マタイによる福音書6章11節

主の日に教会に集い、真の神に向かって賛美をささげ、礼拝をささげることは、私たちの特権であり、恵みです。
礼拝は私たちの生活と信仰の中心です。きょうも神が私たち一人一人をみ許に引き寄せてくださる事を感謝します。
主イエスは弟子たちが祈りを教えてくださいとお願いした時に、「このように祈りなさい」とどう祈るかを教えてくださいました。
マタイによる福音書によれば、祈る時には偽善者のようにではなく、このように祈りなさいと教えられました。
祈りは天の父との会話です。まず父に呼びかけます。
「天におられるわたしたちの父よ、御名があがめられますように。」(マタイ6:9)
主の祈りでは、6つの祈りが教えられています。「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」(マタイ6:11)という祈りは4番目の祈りになります。
最初の三つは、天の父の御名が崇められる、神の国が来ますように、神の御心が行われます様にという祈りです。
私たちはまずこのように祈り、天の父の祝福の中にある者、神の子であることの喜びを覚えます。
そして、天の父に向かい、私たちの必要を祈ることができます。
主イエスは、私たちに日ごとの糧を求めるようにと教えておられます。糧とは、私たちの体を支え、命を保つための食物のことです。
当然のことですが、食物がなかったら生きることはできません。
体の命を保つために必要な祈りです。自分は食物には困っていないなどと思うのは、高慢であり、すべてを与えてくださるのは天の父であることを心に留めなければなりません。
スーパーマーケットに買い物に行って、もし食料が何もなかったら、パニックになるでしょう。
主イエスがお働きになった時代にも、人々は日々の食物の為に一生懸命働きました。
祈りながら働き、その日の食物が与えられたら、どれほどうれしく感謝をささげたことでしょうか。
さらに、「わたしたちに必要な糧」とは何かと、考える必要があります。大切な糧の為を求める祈りです。
人は神に似せて創造されました。神が人の鼻に命の息を吹き入れられた時、人は生きる者とされました。
「人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)と記されています。
人は神によって創造されたので、魂は神の与えてくださる食物によって生かされ、本当の意味で生きる者となるのです。
主イエスが公の生涯に入られる時、荒野で40日間、誘惑にあわれました。主イエスは40日間断食された後、空腹を覚えられました。当然のことです。
するとサタンは、「神の子なら、これらの石がパンになるよう命じたらどうだ」(マタイ4:3)と誘いました。
サタンの誘惑は、まずパンの誘惑でした。
主イエスは、「人はパンだけで生きるものではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)と、お答えになりました。
旧約聖書の申命記8章3節の御言葉を語られたのです。
神は、イスラエルを荒野で40年間訓練され、日ごとにマナを与えて養われました。
神は何もない荒野でマナを与え、水を与え、40年が過ぎた時、「この40年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった」(申命記8:4)と語られました。
神の憐みと導きは素晴らしいものでした。命を与え続けてくださいました。
イスラエルの荒野の訓練の目的は、神の戒め、神の御言葉を信じて従うための訓練でした。神は生きておられる神であることを信じる訓練でした。
「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6:11)という祈りは、わたしたちに必要なパンを今日も与えてくださいという祈りです。
しかし、これはただパンだけを求める祈りではありません。
パンを求める以上に、魂の糧を与えてくださいという祈りです。
神の言葉は魂の糧です。私たちは神の言葉によって生かされています。
飢え渇きをもって求めるなら、父は惜しげなく豊かに糧を与えてくださいます。
さらに私たちは、主がお語り下さった御言葉を思い起こしたいと思います。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6:35)と、約束されました。また、「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」(ヨハネ6:51)とも教えてくださいました。
主イエスご自身が生きておられるパンであり、信じる者に永遠の命を与えてくださる救い主です。
主の祈りは、私に与えてくださいという祈りではなく、「わたしたちに与えてください」という祈りです。
主イエスを信じてすべての人が祝福を受けるための祈りです。
心と体に糧を与えてくださる天の父に感謝をささげます。
主イエスは、ベタニアに住む、マルタ、マリア、ラザロの家をたびたび訪問され、この3人と親しく交わりを持たれていました。
主イエスと一行がベタニアに入られると、マルタが一行を家に迎え入れました。
マルタは主イエスを家にお迎えして、おもてなしをしようと、あれこれ忙しく働いていました。
マリアは、主イエスの足元に座って、その話に聞き入っていました。
マリアは姉のマルタを手伝わなくてはならないと思いつつも、主のお語り下さる言葉に聞き入り、立つ事が出来ませんでした。
マルタの心は穏やかではありませんでした。自分ばかりが忙しく働いているのに、マリアは手伝おうともしない。とうとう主イエスに、マリアも手伝うように言って下さいと言ってしまいました。
すると、主イエスは、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(ルカ10:41,42)と言われました。
多分マルタはこの時だけではなく、生活全般にわたり、いつもあれこれと忙しくして、心を乱していたのでしょう。
家族と生活を守るという使命感があったのでしょう。まず、自分が動いてしまうという性格でした。
そのマルタに、主イエスは語ってくださいました。名前を2回呼ぶのは大切なことを伝える時です。
マルタの奉仕は尊いものですが、主イエスはまず心を静め、御言葉に耳を傾け、最初に礼拝することの大切さを教えられたのです。
私たちもまず、御言葉を聞いてから、自分自身のなすべきことをしていくと、すべてが祝福の中に進んでいくことに気が付きます。
忙しい毎日だから、悩みが多い毎日だから、あるいは試練の中にあるからこそ、主イエスを仰ぎ、その御言葉をまず聞きたいのです。
イスラエルを荒野で40年間訓練し、守られた同じ神が、今日も私たちと共におられます。
パンを求めると同時に、それ以上に魂のパン、主イエスご自身と御言葉を待ち望みましょう。
魂と体にいつも新しい力が与えられて、私たちの生活そのものが、生きておられる方の栄光を現わす証しとなるでしょう。

今週のみことば
「神のパンは、天から降って来て、
 世に命を与えるものである。」
 ヨハネによる福音書6章33節
 


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