阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年2月19日 
第2聖日
「わたしたちを悪い者から救ってください。」
マタイによる福音書6章13節

 一週間守られて、主の日に教会に集い、礼拝をささげることのできる幸いを感謝します。
主イエスは常に私たちと共におられて、豊かな恵みを注いでいてくださいます。
主の御言葉に心と耳を傾けて、主イエスの命に生かされていることを確信しましょう。
きょうは、主イエスが「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救って下さい」(マタイ6:13)と教えてくださった祈りについて、思い巡らして参りましょう。
主の祈りを祈る時には、「我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ」という祈りをささげます。
誘惑と、試みとはどう違うのだろうかと考えます。
誘惑とは、自分がしなければならない事よりも、自分のしたいことや、楽しみに心惹かれるような意味があります。
試みとは、文字通り、試される、テストされる、「試練」と考える事が出来ます。
二つの言葉は意味が違うようにも思われますが、どちらも、真の神を信じられない様にするという力があることを覚えます。
自分にとって楽しみになるようなことばかり追いかけると、いつしか神様を第一にすることが出来なくなり、神から離れるようになってしまうかもしれません。また、試練が続いて辛いと、あってはならないことですが、信仰をなくし、神様から離れてしまうことになってしまうかもしれません。
誘惑も、試練も、私たちを真の神から引き離す恐れがあるものと考えられます。
誘惑という言葉で思い出すのは、エデンの園でのサタンの誘惑です。
最初の人であるアダムとエバが誘惑に負けてしまう出来事です。
神様はアダムとエバをエデンに住まわせ、そこにある木の実はどれでも食べて良いと言われました。
しかし、園の中央にある「善悪の知識の木」からは決して食べてはならないと命令されました。
エデンの園で、人は自由に暮らしていましたが、たった一つのことだけが禁止されていたのです。
人は、禁じられた神様の深い御旨を覚えなければなりませんでした。
あなたのお言葉ですから従いますという姿勢が大切なのです。
ところが、蛇がまずエバを誘惑しました。
蛇は、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」(創世記3:1)と、語り掛けました。
蛇は、神様は人に制限を与えている、自由を与えていないとそそのかし、そのような神様の言葉に従うことはないと、働きかけました。
そして、実をたべても決して死ぬことはない。その実を食べると目が開けて神のようになると語り掛けました。
蛇のかたちをしたサタンは、あなたは神のようになると嘘をつきました。
サタンの目的は、人を神の恵みから引き離し、罪に導き、滅びに誘導することなのです。
エバが改めて善悪の知識の実を見ると、いかにもおいしそうで、心と目を引き付けました。蛇が言うようにそれを食べると神のように賢くなるという誘惑に勝てませんでした。エバは実をたべ、夫のアダムにも実を渡しました。アダムも食べたのです。
すると、自分たちが裸であることがわかって、イチジクの葉で腰を覆いました。
イチジクの葉で腰を覆っても、一時しのぎであり、不完全であることが早速わかりました。
この時から罪が入り、死が入り込んだのです。神はアダムとエバをエデンから追放されましたが、動物の毛皮で作った衣服を与えました。
彼らの裸が覆われるために動物の血が流されました。
すでにここで、キリストの十字架の贖いが予表されています。
試練を受けたことがないという人は誰もいません。私たちが主イエスを信じ、従って行こうとする生活の中に、試練や誘惑は必ずあるのです。
「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救って下さい。」(マタイ6:13)という祈りは、試練がないように、誘惑に遭わない様にということではありません。
試練の時にも、主イエスが共におられることを知る祈りです。
主が共におられることを忘れてはいけません。
有名な「あしあと」という詩があります。
マーガレット・パワーズという婦人の詩です。
「人生最後の光景が写された時、彼は砂浜の足跡を見た。そこには一人の足跡しかなかった。それは彼の人生で最もつらく悲しみに打ちひしがれていた時であった。彼はそれをひどく悩み、主イエスに尋ねた。
『主よ、かつてわたしがあなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私と共に歩んでくださると約束されたではありませんか。けれども私の人生で最も苦しかった時には、一人の足跡しかありません。
私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?私にはわかりません。』」
主イエスは答えられた。「私の大切な子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。あなたが試練や苦しみの只中にいた時、ただ一人の足跡しかない時には、私があなたを背負って歩いていたのだ。」
この詩は試練に悩む多くのキリスト者を慰め励まし続けてきました。
私たちも、大きな慰めを受ける事が出来ます。
この詩はイザヤ書の御言葉を思い出させます。
「あなたたちは生まれた時から負われ 胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:3−4)。
この世に生まれ出た時から、主イエスは私たちを負い、担って下さいました。この世に生まれた瞬間から、白髪になって老いる時も、いつも背負って、運んでくださいます。
私たちは、弱さと罪を持っている者ですから、誘惑に勝てないと思うことがあります。試みに勝てないと苦しむことがあります。そんな私たちを主イエスは愛の御手を差しだし、私があなたを背負うといっておられるのです。
主イエスは私たちの罪のため、弱さの為に十字架に架ってくださいました。私たちのすべての罪を十字架で許して下さったのです。
私たちは常に御言葉を心に蓄えて、御言葉によって勝利する事が出来ます。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Tコリント10:13)
私たちは、試練に遭うから、この御言葉を体験する事が出来るのです。試練によって、生きておられる主イエスを体験できるのです。
「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」という祈りは、試みの多いこの世を歩む私たちと共に、主イエスが共に歩んでくださるという確信の祈りです。もし、この祈りがなかったら、私たちは自分の力で霊の戦いを戦うことになります。肉の力で勝つことはできません。主イエスが共におられるので、主イエスの勝利によって私たちもすべてに圧倒的な勝利をおさめる事が出来ます。
「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」(コロサイ4:2)。今年、私たちに与えられている御言葉を思い返しながら、あらためて主イエスが私たちに祈りを教えてくださり、祈りと御言葉により、主イエスの勝利を与えてくださる事を、手を上げて喜び、賛美をささげて参りましょう。

今週のみことば
「わたしたちを誘惑に遭わせず、
 悪い者から救ってください。」
 マタイによる福音書6章13節


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