阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年3月19日
第3聖日礼拝
「神の御心に生きる」
エフェソの信徒への手紙5章15-20節

 天地を創造された父なる神を心からほめたたえます。
今日も礼拝によって御前に近づきましょう。
一週間守られて、主の日に礼拝をささげることのできる恵みを感謝します。
主イエス・キリストを救い主と信じて、心にお迎えした者は、罪の赦しをいただき、神の子、光の子とされました。主イエスの新しい命に新生したのです。
主イエスを信じても、その姿や顔は変わりませんが、生き方が変わります。心にある喜びが生活にあらわれてきます。
聖霊に満たされて、自分のためにではなく、まず神の栄光のために生きたいという願いが心から溢れてきます。
主イエスの名によって祈ることの幸いを知る事が出来ます。
祈りは、いつでもどこにいてもささげることができます。素晴らしいことです。いつも神の言葉をいただきながら、歩むことができます。
御言葉は、私たちに、「賢い者」として細かく気を配って歩むようにと勧めています。
「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい」(エフェソ5:15)と、あります。
「賢い者」、「愚かな者」とありますが、だれも愚かな者にはなりたくありません。聖書が教えている愚かさとは、神の御心をわきまえない、的外れな生き方をすることです。
また、賢さとは、しっかりと神の御心をわきまえ、いつも神を仰ぎ、注意深く歩む生き方を言います。
私たちは、いつも顔と心を神に向けて、御心を伺い、それに沿って注意深く歩むべきだと教えているのです。
主イエスの十字架によって贖われた者は、神との和解がなされ、神との正しい関係が回復されました。いつもそのことを覚えているなら、「賢い者」としての歩みを続ける事が出来ます。
16節には、「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです」とあります。「時をよく用いる」とは、「時を贖いなさい」という意味があります。
贖うとは、買い戻すということです。買い占めるという訳もあります。もともと自分のものであったものが人手に渡ってしまい、それを代金を支払って買い戻すことが贖いです。
主イエスは、十字架で私たちを贖って下さいました。私たちは、主イエスの十字架によって贖われ、神のもとに帰る事が出来ました。
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい。」(Tコリント6:20)とあるのです。
主イエスを信じた者であっても、生活の中でさまざまな選択を迫られます。自分が選ぼうとしていることは、本当に神の御心に沿っているかどうかを祈りながら選ぶ必要があります。時を神が喜ばれることに用いられるように贖うのです。
同じ時間に二つのことは原則としてできません。しっかりと目を覚ましていないと、いつの間にか御心とかけ離れた方向に向かうことがあるのです。
神の子は、主の栄光のための時間を贖って生きたいと日々祈ります。
聖書は、今は悪い時代だと教えています。聖書の時代も迫害や危難が続く時代でした。
今も、愛が冷たくなり、神の救いに無関心な人々が多い時代です。いつの時代も、罪に支配されて、闇をさまよう人が多いのです。
滅びに通じる広い門から入る人が多く、命に至る狭い門から入る人が少ない時代です。
私たちはこの悪の時代に、時を贖い、御心に沿った歩みをしたいと願います。
17節では、「無分別な者とならず」とあり、18節には「酒に酔いしれてはならない」と教えています。それは、身を持ち崩すもとであるとあります。お酒の上で失敗する人や、生活が破綻してしまう人は多くいます。アルコール依存症になってしまうことも恐ろしいことです。この御言葉は禁酒を命令しているのではありません。
しかし、聖霊に満たされると、酩酊するまで好んで飲酒することはありません。酒に支配されるようなことから解放されています。
聖霊に満たされると、アルコールで満たされる必要がなくなります。
酒に酔いしれて、神の栄光を現わすことはできません。
「むしろ霊に満たされる」ことを祈り求めるなら、必ず満たされます。
聖霊に満たされ続ける日々の生活こそ、大切なのです。
御言葉は、「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソ5:19)とあります。
聖霊に満たされると、心から賛美が湧き上がります。
この時代には、詩編を歌いました。いまはどのようなメロディーだったのかは分かりませんが、詩編の表題に「なになにに合わせて」とか「伴奏付き」と記してあるものがあります。
今、私たちが詩編を読むとき、それは賛美であり、祈りなのです。賛歌は文字通り神に対する賛美の歌です。また、霊的な歌も、心から湧き上がる神への賛歌です。
賛美によって語り合うとも教えています。会衆が聖霊に満たされ一つになって神を賛美する時、「語り合う」のです。賛美の中に神様の偉大さと救いの喜びを語り合うことができるのです。
聖霊は、魂を賛美に満たされます。「主に向かって心からほめ歌いなさい。」(エフェソ5:19)と教えています。
自分の心を満たすためではなく、人に聞かせるためでもなく、神へ純粋な賛美をささげるのです。
 さらに、「そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」(エフェソ5:20)と教えています。
私たちの感謝についての教えです。「いつでも」、「あらゆることについて」感謝しなさいとあります。
主イエスを信じて聖霊に満たされ続けていても、喜ばしい事ばかりではありません。
苦しいことや、打ちのめされるような出来事に悩むことも多いのです。思いがけない病気になってしまい、弱る時もあります。大きな災害に遭うこともあるでしょう。そのような時に感謝できるのだろうかと思います。
しかし、父なる神に、イエス・キリストの名により、すべてのことを感謝する信仰は、勝利です。
なぜなら、父なる神はこの苦しみを御存じであり、必ず救われ、苦しみを通して、栄光を現わして下さると信じるからです。
フィリピ伝道に召されたパウロは、占いの霊につかれた婦人の奴隷を癒したことで、利益を受けられなくなってしまった主人たちに訴えられ、何度も鞭を打たれて、獄屋に投げ込まれました。ひどい扱いです。厳重に番をされている中で、真夜中ごろパウロとシラスは賛美をして祈っていました。他の囚人たちは賛美を聞き入っていました。
突然大地震が起こって獄屋の戸が開き、獄吏は囚人が皆逃げてしまったと思いました。自殺しようとしてパウロに留められました。
救いを求める獄吏に応じて、パウロは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒16:31)と教えました。
その夜の内に獄吏も家族も主イエスを信じて、バプテスマを受けました。主イエスを信じる者になったことを家族ともども喜びました。
鞭で打たれ、投獄され、鎖につながれるなど、苦しい事この上ないのです。普通ならうめき声をあげ、嘆きの声をあげることでしょう。
しかし、賛美と祈りの声があげられていました。
救いの御業が成し遂げられました。
神はすべての中に最善を備えられておられることを信じるのです。
賛美と祈り、感謝をささげて進みましょう。
信仰によって歩み続けましょう。神の御心を求めて参りましょう。

今週のみことば
「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」
 エフェソの信徒への手紙5章16節



 ページのトップへ
  
2023年の礼拝メッセージ
  
他の年の礼拝メッセージへ


トップページへ