阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年4月23日
第4聖日礼拝メッセージ
「エマオの途上で」
ルカによる福音書24章13-32節

 復活された主イエスを心から賛美します。
今日も霊と真を持って礼拝をささげましょう。

主イエスが復活された日曜日、二人の弟子がエルサレムからエマオという村へ向かって歩いていました。エマオはエルサレムから11キロメートルほどにありましたので、それほど遠くはありませんでした。
弟子の一人はクレオパという名でした。
二人は主イエスの十字架の死と復活について、大きな声で話し合いながら歩いていました。
すると、主イエスが近づいてこられて、一緒に歩き始められました。
二人は目が遮られていて、この方が主イエスだとわかりませんでした。主イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と聞かれました。
二人は悲しそうにうなだれて、立ち止まり、クレオパが、「エルサレムに滞在していながら、あなただけは御存じなかったのですか」と、答えました。
二人はナザレのイエスの事だと話し始めました。
「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。・・・・ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。」(ルカ24:19−23)と話したのです。
弟子たちが何人か墓へ行きましたが、婦人たちの言ったとおりで、主イエスは見当たりませんでした、と続けました。
クレオパたちの言葉には、主イエスが十字架で死なれたこと、また、遺体が失われてしまった事で、失望感が溢れていました。
すると、主イエスは、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」(ルカ24:25―26)と言われて、旧約聖書全体から主イエスについて記されていることを、説明してくださいました。
一行はエマオに近づいてきました。主イエスはまだ先に行こうとしておられましたが、二人は「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と、無理にお引止めしました。
主イエスは二人と共に泊まるために、家に入ってくださいました。
一緒に食事の席に着いたとき、主イエスはパンをおとりになり、賛美の祈りをなさり、パンを裂いて二人に渡してくださいました。
すると二人の目が開かれ、主イエスだとわかりました。
食卓でパンを裂いて渡すのは家長の役目でした。主のこの様子で二人は主イエスと分かったのです。
そして、主イエスのお姿は見えなくなったのです。
主イエスが何と言われているかを、考えてみましょう。
クレオパたちは、主イエスの十字架の出来事やその後の事について、もうすでに終わってしまった事として話をしました。
主イエスの復活など、信じる事が出来ませんでした。
主イエスは、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」と言われました。
弟子たちは、主イエスの事を、イスラエルの国を再興してくださる方として捉えていました。約束された救い主、メシアであるとの信仰はなかったのです。主イエスが死なれた以上、すべての望みは絶たれたと思って、エマオへ向かったのです。
そのような弟子たちに、主イエスは共に歩みながら、旧約聖書全体を通して御言葉を解き明かされました。
主イエスこそ、メシアであり、世の罪の贖いを成し遂げるため、十字架の苦しみを受けて、死んで甦られ、栄光に入られると教えてくださいました。
人は頑なな心を持っています。真理を示されても信じる事が出来ない心です。世の多くの人は、主イエスが十字架の救いを成し遂げられて、信じる者はだれでも救われると聞いても、心を開きません。心の目が閉ざされて、真理が見えないのです。
人にとってなくてならない救い、永遠の命が示されているのに、心を向けようともしないのです。
主イエスは、そのような心に寄り添って下さいます。歩み寄ってくださいます。
この人は頑なで信じようとしないからと、退けようとはされません。
罪人を愛し、その心をたたき続けてくださいます。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示3:20)。とあります。
主イエスは、忍耐深く、心の戸を開けるのを待ち、叩き続けていてくださいます。心を開き、主イエスを受け入れた者は、これ以上ないほどの親しい、交わりの中に生かされることを教えてくださいました。
その交わりは、永遠の命です。
クレオパたちは、目的の村に近づいた時、主イエスが先に行かれる様子なので、無理に引き留めました。道すがらお話しくださった聖書の御言葉をさらに聞きたかったのです。
二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えたではないか」(ルカ24:32)と、語り合いました。
失望に暗い顔をしていた二人は、主イエスとその御言葉で心が燃やされ、希望へと変えられました。
御言葉には魂を救う力があります。また、悔い改めに導き、主イエスを信じる信仰を与えます。
主は十字架で死なれて、三日目に甦られ、今生きておられる方と信じる者の心は満たされ、燃やされます。クレオパたちは、主イエスがどなたであるか理解し、信じたのです。この方こそ救い主であることがわかりました。
私たちは、生きておられる主イエスを信じています。その確信は私たちの心にあります。
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ち溢れています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」(Tペトロ1:8−9)。
肉の目で主イエスを見ることはできません。しかし、この方を心に受け入れて、救われました。その結果、主イエスの命に満たされ、この世のものではない平安をいただき、魂の喜びに溢れて生かされています。
私たちは、この救い主を心の中心にお迎えしているでしょうか。
主イエスの御言葉をいただきながら永遠の命に生きられることは、何よりも素晴らしい事なのです。その恵みをしっかりと覚えましょう。
クレオパたちがエルサレムを出発した時は失望感で、死んでしまったような心しかありませんでした。しかし、主イエスが歩み寄られて、御言葉を語って教えてくださり、この方こそメシアであると信じた時、二人は新しい信仰に生き返ったのです。
もう、暗くなっていたにもかかわらず、すぐにエルサレムに引き返しました。どうしても、生きておられる主イエスにお会いしたことを、仲間たちに伝えたかったのです
11人の弟子たちも、ペトロが復活の主にお会いしたことを語っていました。二人はエマオでの出来事を話し、復活の主を証ししたのです。
私たちの希望は、死に打ち勝ち、今生きておられる主イエスです。
この方を信じる時、決して希望は失望に終わりません
失望に打ちのめされることはありません。主イエスが歩み寄られ、御言葉によって心を燃やして下さるからです。この方こそ世の救い主であることを、声を上げて伝えて行きましょう。

今週のみことば
「道で話しておられるとき、
また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか。」
ルカによる福音書24章32節



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