阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年5月7日
第1聖日礼拝
「聞く耳を持つ」
マルコによる福音書4章1-9節

 私たちの天の父を心から崇め、礼拝しましょう。
私たちを愛して、神の子としてくださったことを心から感謝して、賛美の声を上げましょう。
御言葉は、私たちに日々新しい命を与えてくださる事を感謝します。

主イエスは、たびたびたとえ話で真理を教えてくださいました。
きょう与えられている聖書の個所には、「種を蒔く人」のたとえというタイトルが、ついています。
湖のほとりに、おびただしい群衆が集まってきました。主イエスは舟に乗られて腰を下ろし、群衆は皆湖畔で教えを聞いていました。
主はいろいろとたとえでお教えになったとあります。その中で種を蒔く人のたとえもお話になりました。
主イエスは、この教えの前に、「よく聞きなさい」(マルコ4:3)と言っておられます。よく注意して聞きなさいと言われたのです。
そして、最後には「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4:9)と言われました。
主イエスが、最初と最後に良く聞きなさいと言われていることを、覚えたいと思います。
主イエスは、四つの土地に蒔かれた種についてたとえを話されました。
種を蒔く人が種まきに出てきました。蒔いているうちに、ある種は道端に落ちてしまいました。すると、鳥が来て食べてしまいました。
ほかの種は石ころだらけで土の浅い所に落ちました。土が浅いので、すぐに芽を出したのですが、日が昇ると焼けて、根を張っていなかったので、枯れてしまいました。
別の種は、茨の中に落ちました。茨が密生して押さえつけてしまったので、実を結ぶことはありませんでした。
そして、ほかの種は「良い地」に落ちて、芽生え、育って実を結び、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍にもなりました。
このように主イエスは話されて、「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4:9)と言われたのです。
当時のイスラエルの種まきは、まず種を蒔いてしまいます。それから鍬を入れて土地を耕し、石ころをのぞき、茨や雑草を抜くという方法でした。
種を蒔く人は、種を蒔き、実りを信じて苦労して土地を耕し、収穫を待ちました。
このたとえを聞いた弟子たちは、主イエスにこの話の意味をお聞きしました。
主イエスは、マルコ4章11節にあるように、神の国について種を蒔く人のたとえによって教えておられるのです。
主イエスは、種を蒔く人は、「神の言葉」を蒔くのであると言われました。そうであるなら、種が落ちる土地とは、神の言葉を聞いている人々の心であることがわかります。
道端のものとは、御言葉を聞いてもすぐにサタンが来て、蒔かれた御言葉を奪い去ってしまうのです。せっかく主イエスの御言葉を聞いても、心に留まらないのはなぜなのでしょう。鳥が来て食べてしまうように、サタンが御言葉を奪うからです。
石地に蒔かれた種も芽は出したのですが、根を張れずに枯れました。主イエスは、それは御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、迫害や困難が起こると、つまずき離れてしまう人の事と言われました。
茨の中に落ちた種は、茨にふさがれて実を結ぶ事が出来ませんでした。このような人は、「御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない」(マルコ4:18,19)と、教えられました。

せっかく神の言葉を聞いても、世の様々な欲望が心の中に入り込むなら、実が実ることはありません。
主イエスは、良い地に蒔かれたとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであると言われました。
御言葉を喜んで歓迎する人のことです。
ある者は30倍、ある者は60倍、ある者は100倍の実を結ぶと言われたように、すばらしい祝福があるのです。
よく聞きなさいと、話し始められた主イエスは、最後に「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4:9)と言われました。
主イエスから教えを受けている群衆は、主イエスから御言葉の種を蒔かれていました。
主イエスは、私たちにも多くの御言葉を蒔いていてくださいます。
私たちはどのように御言葉を聞いているのでしょうか。
道端でしょうか。石ころだらけの地でしょうか、茨の地でしょうか。
主イエスが御言葉を与えておられるのに、良く聞かず、中途半端に聞き流し、または、聞いてもすぐに忘れてしまうことはないでしょうか。
私たちに与えられる祝福は、御言葉を聞いて受け入れ、従う心に与えられます。
主イエスは、マタイによる福音書5章から始まる山上の説教で、主イエスを信じる者にとって、大切な教えをなさいました。
繰り返し読むと、私たちの信仰生活の導きがあることがよくわかります。
信仰生活を送るうえで、大切なことが教えられています。
敵を愛する事、施しをする時の事、祈りについて、神と富についての教え、また、思い悩むなという教え、求め続けるようにとの勧めも、山上の教えで示されています。
この教えの最後は、「家と土台」のたとえです。
「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」(マタイ7:24−29)
とあるように、主イエスを土台として信仰を守り、御言葉を受け入れる思慮深い者は、どのような試練があっても決して倒れないと教えられました。主イエスにより頼んで動かされないからです。御言葉を喜び信頼し、御言葉を守る人の祝福が約束されています。
また、主イエスは、主の言葉を聞くだけで悟ることもなく、従うこともない者は、試練があると倒れてしまい、しかもその倒れ方はひどいものだと言われました。
私たちにも、また、まだ主イエスを信じていない人々にも、主イエスは毎日御言葉の種を蒔き続けていてくださいます。
その種は生きている、命の種です。
「あなたがたは朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」(Tペトロ1:23)とあります。
私たちは、主イエスの十字架により、罪を贖われ、神の子として新たな命に生かされています。
世の中の物で永遠に存続するものは何一つありません。しかし、主の言葉は永遠に変わることがないのです。
この御言葉に生かされている私たちは、かならず良い地の心を聖霊によって整えられているのであり、豊かな実を結ぶ者なのです。
主イエスは、生きている種を蒔き続けておられます。
私たちにも命の種が与えられているとすれば、私たちもその種(御言葉)を蒔き続けることが出来るのです。
主イエスの御業は必ず現れ、30倍、60倍100倍の収穫を喜ぶ者となります。豊かな祝福に満ち溢れます。
 主イエスの御言葉をしっかりと聞く耳を持ち、御言葉を思い巡らし、信じてどこまでも従い続けましょう。

今週のみことば
そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
マルコによる福音書4章9節


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