阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年5月14日
第2聖日母の日礼拝メッセージ

「主の最初のしるし」
ヨハネによる福音書2章1-11節
 5月第二週の主の日を迎えました。きょうは母の日です。
日頃のお母さんの愛とご苦労を覚えて、感謝をささげましょう。
母の日の由来については、もうよく知っておられることと思います。
アンナ・ジャービスという女性が、信仰深く、よく奉仕をされたお母さんを記念して、1908年5月、ウエストバージニア州の教会で記念礼拝をもち、白いカーネーションを講壇にささげました。
やがて全米に母の日が広がり、1914年に、5月第二週の日曜日を母の日とする法律が可決されました。
日本でも1947年に5月第二週の日曜日を母の日とするようになり、全国的に広まるようになりました。
母の日は、信仰の人であった母を記念する礼拝から始まったことを、覚えたいと思います。
さて、ガリラヤのカナで結婚式がありました。カナは、ナザレの北東14キロメートルくらいの所にあった町でした。その結婚式には、主イエスの母、マリアが主催者の側にいました。
主イエスと弟子たちも招かれて出席していました。
当時の結婚式は盛大なもので、一週間も続きました。親族、友人、それらの関係者など、本当に大勢を招いたのです。
新郎新婦側の準備は大変でした。
料理もぶどう酒も決して切らしてはいけなかったからです。もし、そのようなことがあれば、一生の恥となるような重大事になってしまうのです。
ところが、ぶどう酒が足りなくなってきました。
マリアは、主イエスに「ぶどう酒がなくなりました」(ヨハネ2:3)と言いました。
ぶどう酒がなくなったら、ふつうはぶどう酒を売っているところ、あるいは持っている人の所に行って、買うか借りるかと考えるのですが、マリアはそうではなく、主イエスにありのままを話したのです。
すると、主イエスは不思議な返事をされました。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」(ヨハネ2:4)と答えられました。
自分のお母さんに、「婦人よ」と呼びかけています。一見よそよそしいように思われますが、これは、「尊敬する女の方」という呼び方なのです。敬意をもってマリアに語り掛けられたのです。
主イエスはさらに、「わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(ヨハネ2:4)と、言葉をかけられました。
母マリアにとって今一番心にかかり、切実な問題はぶどう酒がなくなったということでした。
しかし、主イエスは、御自分が世の罪の贖いの為にこの世に来られ、十字架に命を捨てて下さる事が、最大の使命であることを示されました。
主イエスは、全世界の罪の赦しと永遠の命について、心にあることを語られたのです。
その十字架の時はまだ来ていませんと言われたのです。
しかし、主イエスは母マリアの問題についても答えてくださいました。
マリアに、「尊敬する婦人、あなたの問題についても、わたしに任せてください。お助けします。」と伝えました。
マリアはその意思をしっかりと受け止めました。それで、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(ヨハネ2:5)と召し使いたちに伝えました
主イエスは召し使いたちに「水がめに水をいっぱい入れなさい。」と、言われました。
そこには、大きな水がめが6つ置いてありました。
2〜3メトレテス入る水がめでした。1メトレテスは約40リットルですから、80リットルから120リットルの水が入る大きな水がめでした。
この水がめの水は、ユダヤ人が清めに用いるものだという説明が6節にあります。
当時のユダヤ人は、食事の前や外出先から帰った時、あるいは汚れた身をきよめるために、水で手足を洗うことが習慣でした。衛生面ではなく、宗教的な意味で必要な水がめでした。
それで、家々には大きな水がめが用意されていたのです。
召し使いたちは忠実に水がめに水を満たし、かめの縁までいっぱいにしました。
主イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」(ヨハネ2:8)と言われました。
それで、ぶどう酒を世話役のところへ持っていくと、世話役はぶどう酒に変わった水を味見しました。
このぶどう酒がどこから来たのか、召し使いたちは知っていましたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました」(ヨハネ2:10)と言いました。
ぶどう酒を味見した世話役は驚いて、「今までこんなに質の良いぶどう酒を取って置いて、いまごろ出すのですか」と言ったのです。
水は上質なぶどう酒になっていました。
世話役にぶどう酒について言われた花婿も、何も知りませんでした。世話役の言葉を不思議なことと聞いたことでしょう。
母マリアは、主イエスが言われることは何でもしてくださいと言いました。
召し使いたちは、主イエスが大きな6つのかめに水を一杯に満たすようにと言われた言葉に従いました。
当時は、水を満たすために井戸に行かなければなりません。この婚姻の家から、井戸がどのくらいの所にあったのかは分かりませんが、大きなかめに水を満たすために、何往復かしなければならなかったでしょうし、大変重たいかめを運ばなければなりません。
大変な労力を必要とする働きで、召し使いたちにとっては苦しい働きでした。しかし、主イエスの言われた通りにしたのです。召し使いたちは、ぶどう酒がどこから来たのか知っていました。主イエスの御業でした。
私たちの生活の中でも、御言葉が与えられ、なぜこのようにしなければならないのかと思うようなことがあります。
しかし、お言葉ですからと従う時に、主イエスの御業があらわされるという体験をすることができるのです。
カナの結婚式での御業は、主イエスの「最初のしるし」(ヨハネ2:11)でした。
主イエスは栄光を現わされ、弟子たちは主イエスを信じたのです。
マリアが主イエスを深く信じ、必要を訴えた所から、奇跡が起こりました。
水が最上のぶどう酒に変わったという主イエスの御業は、それだけの事ではありませんでした。
何度洗っても、水では罪を洗い清められません。古い律法の時代から、主イエスの十字架の血汐により、どのような罪も洗い清められ、赦され、救われる、恵みの時代を表す奇跡でした。
ぶどう酒は人々に喜びをもたらすものでした。
主イエスの十字架によって、私たちのどのような罪も赦され、清くされ、永遠の命に生かされるという、なくてならない一番すばらしい救いの喜びがあることを示されたのです。
主イエスこそ贖い主、メシアであることを知った弟子たちは、主イエスを信じたのです。
私たちは、すでに主イエスを信じました。毎日主イエスとどのように過ごしているでしょうか。心の中心にお迎えしているでしょうか。
この方は永遠の命に満たして下さる方であり、日常の中での細かい助けをも与えてくださると信じているでしょうか。
マリアのように、必要を主イエスに求めるなら、必ず答えてくださる、そして最もよいもの、聖霊に満たし、救いの喜びと神の愛に満たして下さるお方を、改めて心にお迎えいたしましょう。

今週のみことば
「わたしたちも光の中を歩くならば、
 わたしたちは互に交わりをもち、
 そして、御子イエスの血が、
 すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」
 Tヨハネの手紙1章7節(口語訳)


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