阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年5月21日
第3聖日礼拝メッセージ
「つまずかせないために」
マタイによる福音書17章24-27節
 5月第三週の主の日を迎えました。日々主の見えざる御手に導かれて、今日まで来ることができました。感謝をささげます。
主イエスとその弟子たちがカファルナウムへ来た時に、神殿税を集める人たちがペトロの所に来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」(マタイ17:24)と言いました。
カファルナウムは、ガリラヤ湖の北西にある町で、主イエスがガリラヤ伝道の本拠地とされた町でした。
ペトロの家もここにあり、ペトロのしゅうとめの熱が癒されました。
百人隊長のしもべの癒しや、4人の人に屋根から釣り下ろされて癒された人の出来事もカファルナウムでのことでした。
マタイもこの町で主の弟子として召されました。
神殿税とは、ユダヤ人たちが神殿に納めるべきと定められていた税金です。これは、取税人が徴収するローマ帝国への税金ではなく、神殿におさめる税金です。出エジプト記30章12〜16節が根拠となっています。当時のユダヤ人は貧富に関係なく、20歳以上の男子は一年に2ドラクメを神殿に納めました。2ドラクメとはギリシャの通貨の単位ですが、ユダヤのデナリと同等で、2デナリ、すなわち2日分の賃金に相当しました。
この税金は、真の神に救われ、贖われたという感謝としてささげる奉納金ですが、自由の意思でささげる献金というより、徴収されるので、神殿税と言われたのです。
外国に寄留しているユダヤ人も、神殿に詣でて神殿税を納めましたが、外国の貨幣では納められないので、両替の為に境内に両替商が店を開いていました。
いつのまにか神殿の中は、犠牲の動物を売ったり、両替をする店が並んだりして、まるで市場のような騒がしさになっていました。
主イエスはそのような状況を憂いて、そこで売り買いをしている人を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛を倒され、宮清めをなさったのです。
主イエスは、「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」(マタイ21:13)と言われました。
ペトロは、あなたたちの先生は神殿税を納めないのかと聞かれて、「納めます」と即答しました。
あなたは神殿税を納めないのかと聞かれたのではなく、あなたたちの先生は、納めないのかと聞かれたのに、主イエスに確認することなく、答えてしまいました。ペトロにとって、神殿税を納めることは普通の事で、主イエスに確認するまでもないという思いと、ここで、もし納めないなどと答えたら、不敬虔な者というラベルを張られて、面倒なことになると思ったのかもしれません。
家に入ると主イエスはペトロに、「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」(マタイ17:25)と質問されました。
ペトロは、「ほかの人々からです」(マタイ17:26)と答えました。
すると、主イエスは、「では、子供たちは納めなくてよいわけだ」(マタイ17:26)と言われました。
神殿税は、神に納めるもので、ユダヤの人々は、真の神が自分たちの王であることを信じて税を納めている、しかし、主イエスが神の子なら、子供は父に税を納める必要はないと言われたのです。
主イエスは罪のない方、神の独り子です。主イエスは贖いも罪の赦しも必要のない方ですから、神殿税は必要ない方でした。
ですから、「子供たちは、納めなくてよいわけだ」と言われているのです。
「子供」と言われたなら主イエスご自身だけのことを言われたのですが、主イエスは「子供たち」と、複数形で語られています。
それは、主イエスだけではなく、主イエスを信じた者はすでに神の子だと言われたのです。
ペトロは、主イエスが神の子、キリストであることをすでに告白しています。
「あなたはメシア、生ける神の子です。」(マタイ16:16)
私たちはどうなのでしょうか。
主イエスを救い主として信じて受け入れています。
主イエスの十字架は、「わたし」の罪のための贖いであることを信じました。主イエスは「わたし」のために十字架で代価を払い、罪を赦し、永遠の命を与えてくださり、真の神を父とお呼びし、祈り、近づくことができるようにしてくださいました。
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(ローマ8:14)。「この霊によってわたしたちは、『アッッバ、父よ』と呼ぶのです。「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」
(ローマ8:15,16)
主イエスを信じた者の魂は聖い聖霊に満たされ、聖霊は神の子であることを証ししてくださり、確信に満たしてくださいます。
 主イエスは、神の子は、神殿税は納める必要はないとお考えでしたが、「納めない」とは言われませんでした。
主イエスはペトロに、「彼らをつまずかせないようにしよう」と言われて、「湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」(マタイ17:27)と言われました。
主イエスは、「人をつまずかせない」という配慮をなさいました。
これは、愛の一つの表れです。神殿税を納めないのかと言って来た人たちなど、どうでもよいとは思われませんでした。また、人々に対しても配慮なさいました。
主イエスは、これから十字架に架られる道を歩まれます。そのような時に神殿税を支払わないと、人々は「神殿と神を侮る者」と考えて、躓くかもしれません。そのようなことがないようにとの配慮です。
全ての人に対する配慮でした。
主イエスは、「隣人を自分のように愛しなさい」(ローマ13:9)という教えを実践されたのです。
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」(ローマ13:8−10)とあります。
主イエスは、ペトロに湖に行って釣りをするように指示され、最初に釣れた魚の口に銀貨があるから、それで主イエスとペトロの神殿税を払うようにと言われて、この出来事の記事は終わっています。
神殿税は、今の金額で考えると、3、4万円位です。決して少額ではありません。とくに貧しい者にとっては大変な金額です。
ペトロは、ガリラヤ湖の漁師でしたし、今は主の弟子となっていますが、お金はなかったでしょう。
「払います」といったものの、実際にはお金はなかったのかもしれません。
主イエスはすべてを御存じです。不思議な方法で銀貨が与えられています。愛の配慮はペトロの為でもあったのです。
私たちは日々の生活の中で御言葉に導かれています。
主イエスの愛に満たされ、助けられ支えられています。
主イエスは私たち神の子がつまずくことがないように愛の配慮をしておられます。また、まだ救われていない人々の為に、わたしたちも愛をもって配慮していくことを教えてくださるのです。
日々の私たちの必要は、主イエスが御存じです。必ず満たされるのです。
主の奇蹟の中に私たちも日々生かされていることを覚えましょう。
主イエスは生きておられる神です。この方により頼み、これからも進んで行きましょう。

今週のみことば
「愛は隣人に悪を行いません。
 だから、愛は律法を全うするのです。」
 ローマの信徒への手紙13章10節


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