阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年6月4日 
第一聖日礼拝メッセージ 
「真の神を求める心」
使徒言行録10章1-8節

 今年も早いもので6月を迎えました。関西も梅雨入りしたようで、雨の日が続いています。
恵みの雨を与えられる主をほめたたえます。
カイサリアにコルネリウスという百人隊長がいました。イタリア隊とよばれる部隊の隊長でした。
部隊によっては、他国の者も兵隊として属していたのですが、コルネリウスの部隊はローマ人だけで構成されていたのでイタリア隊と呼ばれていたのです。コルネリウスももちろんローマ人でした。
カイサリアは、地中海沿岸の町で、ペトロが滞在していたヤッファから50キロほど北にありました。
コルネリウスについては、「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」(使徒10:2)と、記録されています。
コルネリウスは、神に祈り、神を求める敬虔な信仰を持っていました。
家族や、部下にも信仰を伝えていて、部下の中にも信仰の篤い者がいたのです。
コルネリウスはまた、よく施しをする人でもありました。
コルネリウスの周囲には、貧しいユダヤ人がいました。コルネリウスはいつもこのような人々を覚えて施しに励みました。
 ローマ人でありながらも真の神を畏れ、神に従って生きることを望んでいたのです。
そのようなコルネリウスの許に天使が遣わされて、「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられている」(使徒10:4)と語り掛けました。そして、天使はヤッファに滞在しているペトロを招くようにと告げました。
そこで、コルネリウスは、召し使い二人と信仰のあつい側近の部下を、さっそくヤッファに送りました。
一方、ペトロも幻で神の教えを悟りました。ペトロは昼の12時ごろ屋上に上がって祈りました。彼は空腹を覚えて、何か食べたいと思ったのです。
天が開き、大きな布のような入れ物の四隅がつるされて下りてきました。その中には、あらゆる獣、地に這うもの、空の鳥が入っていました。そして、それらを屠って食べるようにとの声がありました。
ユダヤ人は、律法の食物規定を守りました。汚れているとされた動物は決して食べませんでした。例えば豚は汚れた動物ですので、ユダヤ人は食べませんでした。
ペトロは、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことはありません」(使徒10:14)と答えたのです。
すると、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(10:15)と、声がありました。そして、そのようなことが3度も繰り返され、入れ物は急に天に引き上げられてしまいました。
ペトロが今見た幻はいったい何だろうかと思っていた時に、コルネリウスから遣わされた人々がペトロの許に到着しました。
ペトロがなおも考え込んでいると、御霊が「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで、一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」(使徒10:20)と、告げました。
ペトロを迎えに来た人々は、コルネリウスについて、「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人です」(使徒10:22)と語り、ペトロを迎えに来たわけを話しました。
ペトロ達は、翌日カイサリアに向けて出発しました。
一方、コルネリウスは、親類や親しい友人たちを呼んで、ぺトロを待っていました。
コルネリウスは、自分だけではなく、家族や友人にもペトロの語ることを聞いてほしかったのです。
コルネリウスは、ペトロを迎えに出て、足元にひれ伏して拝みました。神として拝したのではなく、うやうやしく迎え、ペトロに対して敬意を表したのです。ローマの百人隊長がひれ伏して迎えたのです。この事からもコルネリウスの謙虚さがわかります。
ペトロは、私も一人の人間です。お立ちくださいと伝えました。
ペトロとコルネリウスは互いに、神がここにペトロを遣わされたことを確認し合いました。
神の救いの御計画は、祈りの中に進められていたのです。
ペトロは、「口を開いて」(使徒10:34)語り始めました。
口を開いてとは、重要なことを語ることを意味する言葉です。これから語ることは大切なことであることを表す言葉です。
神は、ユダヤ人も異邦人も、主イエス・キリストによって、だれでも救いを求める人を受け入れてくださる。
「主イエスこそ、すべての人の主です。」と、キリストを伝えました。
主イエスが福音を伝えながら各地を巡られ、救いと癒しの業をなさったこと、しかし、人々は主イエスを十字架に架けてしまったこと、主が三日目に甦られたことを伝えました。
さらに、主イエスは弟子たちに全世界に出て行って福音を伝えるようにと命令されました。
ペンテコステの日に聖霊に満たされた弟子たちは、福音を伝えるために用いられていきました。
ペトロは、旧約の預言者たちも約束のメシアを信じ、受け入れる人は誰でも罪の赦しを受けられ、救われると約束していることを語りました。
ペトロは、主イエスと、その救いを信じる者は、だれでも救われるという福音を語りました。
ペトロがまだ語っていると、福音を聞いている者たちの上に聖霊が降りました。異邦人であるコルネリウスの家でも、ペンテコステの日に弟子たちの上に聖霊が降ったのと同じことが起こりました。
ペトロは聖霊が降った人々が、水のバプテスマを受けることを妨げられる理由はないと言って、バプテスマを受けることを命じました。
コルネリウスと集まっていた人々は、主イエスの救いを受けました。
十字架に架けられ、死んで復活された主イエスこそ、全世界の、そして、すべての人々の救い主であることが示されたのです。
ペンテコステの日にペトロは、「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」(使徒2:39)と語りました。
イエス・キリストの十字架の贖いによる救いと、聖霊が注がれることは、ユダヤ人や、遠くにいるすべての人にも、誰にでも与えられると語りました。それがコルネリオの家で実現したのです。
ユダヤ人には、自分たちは神に選ばれた民であり、アブラハムの子孫だというプライドがありました。
律法を持たない異邦人は救われないという考えを頑なに持ち続けていました。異邦人の家を訪問したり、食事を共にすることはありませんでした。
エルサレムの教会でもペトロが異邦人の家で食事までしたと、非難する者がいました。
そこで、ペトロは幻を見て、コルネリウスの家に導かれたことや、コルネリウスの家で起きたことを説明しました。
コルネリウスが、「あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる」(使徒11:14)ペトロを招くよう示されていたこと、福音を聞いた人々の上に聖霊が降ったことを証しして、神がこのようにされたことを、どうして私が妨げられるでしょうかと弁明しました。
この言葉を聞いたエルサレム教会の人々は静まって、神を崇め賛美しました。
信じる者はだれでも救われる、恵みの時代を迎えました。
私たちも主イエスを信じる信仰により、恵みにより救われました。
これからも良く祈る者であり、聖霊の満たしを求め続け、恵みによって主イエスとその御言葉を伝えて参りましょう。
主イエスが共にあって励まし、導き続けて下さることを確信しましょう。


今週のみことば
「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもにも、
 遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神が
 招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
 使徒言行録2章39節



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