阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年6月11日
第2聖日礼拝
「アンティオキアの教会」
使徒言行録13章1-3節

 今朝も心を合わせて真の神に礼拝をささげましょう。
礼拝は、私たちの生活と信仰の中心です。心から賛美の声をあげて、神をほめたたえましょう。
今朝も使徒言行録から御言葉が与えられています。
聖書には、アンティオキアという町の名が二か所記されています。シリアのアンティオキアと、ピシディアのアンティオキアです。
今朝は、シリアのアンティオキアの教会の恵みを分かち合いたいと思います。
ペンテコステの日に聖霊が注がれ、エルサレムに教会が建て上げられました。多くの恵みに満ち溢れていましたが、迫害も激しくなりました。
エルサレムの教会にはステファノという弟子がいました。ステファノは、7人の執事の一人でしたが、聖霊に満たされ、すばらしい業を行う人でした。
ステファノは聖霊に満たされて語るので、反対する人々は勝てませんでした。それで、ステファノが神を冒涜したと偽証して、議会に引き出しました。
ステファノは旧約聖書全体を引用しながら主イエスの十字架の死と復活を証言しましたが、彼の顔は天使の顔のように見えたのです。
ステファノの証言を聞いた人々は激しく怒り、石を投げつけて殉教させてしまいました。
石を投げつけた人々の上着を預かったのがサウロと呼ばれていたパウロでした。
ステファノは、ひざまづいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んで殉教しました。
このステファノの殉教の時からエルサレム教会に大迫害が起こり、使徒たち以外はユダヤやサマリアへと散らされて行きました。
散らされて行った人々は、福音を告げ知らせながら町々村々を巡り歩いていきました。
この人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで来たのですが、ユダヤ人以外には御言葉を語っていませんでした。
しかし、弟子の中にはキプロスやキレネ出身の人たちがいて、アンティオキアのギリシャ語を話す人々に主イエスを伝えました。
当時のアンティオキアは、ローマ、エジプトのアレキサンドリアに次ぐ大きな町で、経済的にも豊かな町でした。多くの人々が集まっている町だったのです。
福音を聞いた人々は、主イエスを信じて、信じる者の群れ、教会が建て上げられました。
異邦人による教会が出来たのです。
そのうわさがエルサレム教会に伝わり、バルナバが遣わされてきました。
バルナバは「慰めの子」と呼ばれていた人で、聖霊と信仰に満ちていました。アンティオキアの信徒たちに、固い決意をもって主イエスから離れない様にと励ましました。
それから、タルソへ行ってパウロを探し出し、アンティオキアに連れてきました。そこで、二人は一年間多くの人を教えたのです。
このアンティオキアで弟子たちが初めてクリスチャンと呼ばれるようになりました。
当初、クリスチャンという呼び方は、少し偏見の混じった呼び方でしたが、徐々に誰もがキリスト者として認めるようになりました。
アンティオキアの教会には、「バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど」がいました。
最初に記されている、バルナバと、最後のサウロ、すなわちパウロが教会の中心で用いられていましたが、ほかにも様々な奉仕者がいました。
ニゲルと呼ばれるシメオンは、主イエスの十字架を無理やり負わされた、キレネ人シモンではないかと言われています。そうだとすると、シモンは主イエスの十字架を目撃し、その後、救い主として受け入れたのでしょう。アンティオケ教会の貴重な担い手となっていました。
キレネ人のルキオという名も記されています。アンティオケ教会設立のきっかけとなった、キレネ人の一人だったのでしょう。
また、領主ヘロデ・アンティパスと一緒に育ったマナエンもいました。一緒に育ったのですからヘロデの宮殿で兄弟のように育ったのでしょう。
このように、アンティオケ教会にはさまざまな人が集まり、礼拝をしていました。
国籍や生れ育ちは関係ありませんでした。ただ主イエスが教会の中心であり、頭(かしら)なのです。アンティオキア教会は異邦人の教会です。様々な国籍や出身地の人が集まりました。ギリシャ語を話す人、ヘブル語を話す人など、言葉も様々でした。教会は御霊によって建て上げられ、御霊によって一つとされました。
教会では断食して祈りがささげられていました。すると、聖霊によって、「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事にあたらせるために」(使徒13:2)と告げられました。
教会ではさらに断食をして祈り、二人に按手して伝道に送り出しました。
パウロとバルナバは、アンティオキア教会の中心的な指導者です。
この二人を同時に宣教に送り出すにあたって、教会には不安があったかもしれません。しかし、祈りによって神の御心を確信して送り出しました。
アンティオケ教会は、よく祈る教会であり、主に仕える教会でした。
そのころエルサレム教会は、迫害の中で窮乏を極めていました。すると、援助の品を送るために、バルナバとサウロを遣わして援助の品を届けることをしました。
バルナバとサウロはこの使命を果たしてアンティオキアに帰ったのですが、この時、マルコを連れてきました。
第一回目の伝道旅行には、ヨハネと呼ばれていた、このマルコを同道しました。
アンティオケ教会から、世界に向けての宣教が始まりました。
パウロとバルナバは苦労しながら各地を巡り、主イエスとその御言葉を伝えて、教会を建て上げていきました。
宣教地に到着すると、ユダヤ人が集まる会堂に入り、伝道しました.内陸部にあるピシディア州のアンティオケでは、福音を伝えると多くの人が集まり、御言葉に耳を傾けました。
次の安息日に再び会堂で語ると、町中の人々が集まったのですが、反対するユダヤ人たちはねたみを起こして、パウロたちを口汚くののしり反対しました。
そこで、パウロとバルナバは、福音はまずユダヤ人に伝えられなくてはならないのに、ユダヤ人は拒んでしまった。「見なさい。私たちは異邦人の方に行く。」(使徒13:46)と宣言しました。
異邦人たちは喜び、賛美の声をあげました。
ユダヤ人たちは町の主だった人々を扇動してパウロとバルナバを迫害し、町から追い出してしまいました。
パウロたちは足の塵を払い落として次の町に行きました。
救われて主イエスの弟子となった者たちは、喜びと聖霊に満たされました。
宣教は迫害の連続でしたが、主イエスの守りの御手は常にあり、行く先々で救われる者が起こされ、教会が建て上げられていきました。
教会は聖霊によって建て上げられ、聖霊によって一つとされる時、御心に用いられるのです。
困難のように思えても、主イエスは教会の頭であり、導き手です。
主イエスの宣教の働きは今も、教会を通して進んでいきます。
まず聖霊に満ち溢れるように、祈りましょう。教会が一つであるように祈りましょう。宣教の為に用いられる教会であるよう祈りましょう。
主イエスの御業を拝し、期待を胸に喜び踊りましょう。

今週のみことば
「神の言葉はますます栄え、広がっていった。」
 使徒言行録12章24節


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