阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年7月2日
第1聖日礼拝
「神の御心に従う」
使徒言行録16章9-10節
 恵みの中に守られ、きょうも愛する兄姉と共に礼拝をささげられることを心から感謝します。
今年も半年が過ぎました。これから後半になりますが、主の見えざる御手がこれからも守り続けてくださる事を信じます。
きょうも使徒言行録から、御心を探りたいと思います。
使徒パウロは、キリストを信じる者たちを激しく迫害する者でした。しかし復活の主にお会いして、悔い改めて、迫害する者から福音を伝える人となり、生涯用いられました。
パウロは、三度伝道旅行をしましたが、第二回目の旅行で、マケドニアへと導かれました。
パウロは二回目の伝道旅行も、第一回目と同じく、バルナバと共に行くつもりでした。バルナバは、マルコを連れて行きたいと思いましたが、パウロは、前回途中で引き返してしまったマルコを、連れて行きたくありませんでした。
それで、パウロとバルナバは激論を交わしたのですが、別行動をとることになりました。バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはシラスを連れて出発しました。
この旅行の途中で、テモテを同行することになりました。
旅行の初めは、シリヤ州や、キリキア州を巡って教会を励ましました。
パウロたちは、デルベ、リストラ、イコニオンへと進みました。今回は陸路の旅でしたから、前回と逆に回りました。
パウロたちは、町々の教会で信仰を励まし、「教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」(使徒16:5)とあるように、大きな祝福となりました。
パウロには、ビジョンがありました。それは、アジア州で福音を伝える事でした。
この時代、アジア州とは、ローマ帝国のアジア州で、現在のトルコの西の端のあたりを示しました。
この地域の中心はエフェソでした。
パウロたちは、フリギア、ガラテヤ地方を通って、ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしましたが、「イエスの霊」(使徒16:7)が許されませんでした。
御霊のことをわざわざ「イエスの霊」と呼んでいます。福音宣教は、主イエスが先立たれることがわかります。
それで、しかたなくミシア地方を通ってトロアスに下りました。
トロアスはエーゲ海に面した港町で、海の向こうはマケドニア(ヨーロッパ)でした。
パウロは、行こうと思っていた宣教地に行く事を遮られて、どうしたことかと思い悩んだことでしょう。
その夜、パウロはマケドニア人が救いを求める幻を見ました。
「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」(使徒16:9)と願う、幻です。
福音はまだヨーロッパには伝えられていませんでした。ヨーロッパには、「私たちを助けてください」と叫ぶ魂が大勢いたのです。
助けてくださいとは、魂の救いを求める訴えです。
人にとって、一番大切で必要なことは、イエス・キリストによる救いです。それは、いつの時代でも変わりません。
 主イエスは、全世界の罪の贖いのために、この世に来てくださいました。
人は生まれながらに自己中心という罪を持ち、そのままでは決して救われません。
人の救いは、キリストによる以外にはありません。
人の罪は混乱と悲しみをもたらします。心に闇を抱えて生きることは苦しいことなのです。
なぜ人は争うのでしょうか。なぜ人は裁き合うのでしょうか。心の中にある罪が原因です。
罪の為に真の神と断絶してしまい、人は迷いの中を彷徨うことになりました。
しかし、神は人をそのままにはされませんでした。救いの道を示されたのです。
神の独り子、イエス・キリストをこの世に送られて、世のすべての人を救うために、罪の贖いを成し遂げてくださいました。
十字架の救いです。
「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(Uコリント5:21)
主イエスは罪とは何のかかわりもない神の御子です。罪のない方が罪を背負われて十字架で死んでくださいました。そして、三日目に復活されて、今生きておられるまことの救い主です。
神の義を得るとは、罪を赦され救われたという意味です。
人はキリストの救い、福音を受け入れて救われます。
パウロたちは福音を伝え続けました。
使徒言行録は、ギリシャ人である、医師ルカが記しています。
使徒16:10に、「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアに向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」とあります。
使徒言行録には、16章以降、しばしば「わたしたち」という言葉が使われていて、ルカが忠実にパウロと行動を共にしていたことがわかります。
マケドニアに渡ったパウロたちはどうだったでしょうか。ローマの植民都市で大変栄えていたフィリピへ行き、祈り場で紫布の商人、リディアと知り合いました。彼女は注意深くパウロの福音を聞き、家族と共に洗礼を受けました。そして、彼女の家をフィリピ伝道の拠点とするようにと勧めてくれました。
神は早速、伝道の助けとなる人を与えてくださったのです。
パウロとシラスは、占いの霊に取りつかれた女奴隷を癒したことから逮捕、投獄され何度も鞭を打たれて苦しい思いをしましたが、牢獄では賛美をささげ祈りました。
大地震が起こり、獄の戸が皆開いてしまいました。牢屋番は囚人が皆逃げてしまったと思い、自害しようと思いました。パウロたちは大声で止めたのです。牢屋番と家族はその夜の内に信仰を持ち、バプテスマを受けました。キリストを救い主として受け入れたことを家族ともども喜びました。
迫害されながらも、このようにして福音は拡大していきました。
パウロは、福音宣教の為に懸命に働きました。アジア州で伝道しようと計画をしていましたが、道が開かれませんでした。聖霊が止められたのです。
パウロはどうしてなのか分かりませんでした。自分の思いとは違いましたが、トロアスまで導かれました。
そこにヨーロッパに福音を伝えるという、神様の御計画があったのです。
私たちの信仰生活の中にも、自分に計画があっても、道が閉ざされるような時があります。
理由が分からずに悩むのですが、そこには計り知れない、深い神の御思いがあるのです。
私たちは信じて、待ち望むことができます。また、失望せずに祈り続ける事が出来ます。神様はすばらしい計画をお持ちなのです。
箴言3章5節の御言葉を思い起こしたいと思います。「心を尽くして主に信頼し 自分の分別に頼るな。どのような道を歩むときにも主を知れ。主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(聖書協会共同訳)
道が閉ざされて行き暮れるような思いがあっても、主は私たちにも最善の御計画を持っておられることを信じて待ち望みましょう。
天の父は私たち一人一人の全生涯の中に、最善を行われる方であることを信じて、さらに待ち望みましょう。

今週のみことば
「心を尽くして主に信頼し
 自分の分別に頼るな。
 どのような道を歩むときにも主を知れ。
 主はあなたの道をまっすぐにしてくださる。」
 箴言3章5節



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