阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年7月9日
第2聖日礼拝
「恐れるな、語りつづけよ」
使徒言行録18章9-10節

 一週間守られて、日曜日の朝を迎え、真の神を礼拝できるすばらしい恵みを感謝します。
私たちは毎日、神の御口からでる神の言葉によって生かされています。
きょうも心を開き、御言葉を待ち望みましょう。
パウロの第二回目の伝道旅行で、福音はマケドニアへ伝えられました。
使徒パウロたちは、フィリピ、テサロニケで伝道しましたが、テサロニケでも激しい迫害を受けて、べレアへ逃れました。べレアのユダヤ人たちは、テサロニケの人々よりも素直な良い性質を持っていました。パウロの語る福音を熱心に聞いて受け入れました。そして、旧約聖書を熱心に読み、検討するような人々たちでした。
べレアでは、ユダヤ人はもとより、多くのギリシャ人の身分のある人々が救い主を信じました。
ところがテサロニケのユダヤ人たちがべレアまで押しかけて来て、群衆を扇動したので、信徒たちは危険を避けるために、パウロをアテネへ連れて行きました。
パウロは、アテネに連れて来てくれた人たちに、テサロニケに残ったシラスとテモテに、なるべく早く来るようにという伝言を頼みました。
パウロはアテネの偶像の多さに驚き、懸命に福音を伝えました。アテネの人々は、パウロがキリストの復活を語ると、信じようとはせず、ある者はあざ笑い、ある者はいずれまた聞くことにしようと言って、立ち去りました。しかし、アレオパゴスの議員や、婦人たちや、そのほか福音を信じた人々がいました。
パウロはその後、コリントへ行きました。コリントは、海路でも陸路でも交通の要所で、大変栄えていた町でした。
しかし、この町には壮麗なアポロ神殿があって、多くの人々が偶像礼拝する町で、また、不道徳で有名な町でもありました。
パウロは、コリントで、アキラとプリスキラという夫婦に出会いました。ローマに住んでいたこの夫婦は、ローマ皇帝によるすべてのユダヤ人の退去命令を受けて、コリントに来ていたのです。
この夫婦は、天幕造りを職業としていた熱心なクリスチャンでした。
パウロも同業でしたので、この夫婦の家に住み込み、一緒に仕事をしながら福音を伝えました。
アキラとプリスキラは、使徒言行録以外の他の手紙の中にも名前が記されています。パウロがシリアへ出発する時には、この二人も同行しました。
シラスとテモテが到着すると、パウロはさらに福音を伝えることに専念しました、
パウロは、ユダヤ人に、主イエスこそメシアであることを熱心に伝えましたが、しかし、彼らは信じようともせず、口汚くののしりました。
そこでパウロは、これからは異邦人伝道に邁進することを宣言しました。
パウロはユダヤ人たちを逃れて、ティティオ・ユストという人の家に入りました。この人は神を崇める人で、この人の家は、ユダヤ人の会堂の隣にありました。
ユダヤ人たちが集まる会堂の隣に移れば、また迫害があると思われるのですが、起こったことは違いました。
会堂長のクリスポは、家族でキリストを信じました。コリントの多くの人々も信じてバプテスマを受けたのです。
神のなさることは不思議で、思いもよらないことです。
このように迫害は激しかったのですが、コリントでも福音が伝えられていきました。
ある夜、主イエスはパウロに語り掛けてくださいました。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(使徒18:9,10)
パウロは使徒として召されて、福音のために働きましたが、すべてが順調に進んだわけではありません。
ある時には進もうとした道が閉ざされ、また迫害から迫害の連続でした。
そのパウロに主イエスは語りかけ、大きな希望と慰めを与えてくださいました。
そのメッセージの最初は、「恐れるな、語り続けよ、黙っているな」という語りかけでした。
パウロでさえも、心に恐れを持つことがありました。
「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。」(Uコリント1:8)と告白しています。迫害されて死の宣告を受けたような思いをしたのです。
そのような時に、自分を頼りにするのではなく、生きておられる神を頼りにして前進しました。過去も現在も将来も神に希望を置いて進みました。
苦しい時、状況が厳しくどのように進んでいくのか分からないような時にも、主イエスは、「恐れるな、私はあなたと共にいる」と、語り掛けてくださいます。
苦しみの中にあるからこそ、聞くことの出来る御言葉なのです。主イエスは私たちと共に歩んでくださるお方です。
私があなたと共にいるから、恐れることはないという約束です。その約束を信じるか信じないかで、自分に信仰があるかないかがわかります。
信仰とは、語っておられるキリストの言葉を信じることです。
恐れに負けて大失敗したのは、出エジプトをしたイスラエルの人々でした。
エジプトでパロの圧政に苦しむイスラエルは神に助けを願いました。神はそのうめきを聞かれて、イスラエルをエジプトから乳と密の流れる地、約束の地カナンへと導き出してくださいました。
エジプトからカナンまでは直線距離にして、300キロメートルくらいの距離です。
徒歩での移動は大変で、一日に10キロメートルほどしか進めなかったとしても、一か月で到着できるような距離でした。
ところが実際には、カナンに入るまでに40年間かかってしまいました。不信仰による恐れが原因でした。
カデシュ・バルネアまで来て、ヨルダン川を渡る前に、モーセは
12人の斥候をカナンに送りました。
彼らはカナンを探り、確かに乳と密の流れる良い地ではあるが、そこに住む人々は大きく、強く、自分たちは決して勝つことはないと報告しました。ヨシュアとカレブだけは信仰に立って、すでに神が与えると約束されたのだから信じてヨルダンを渡ろうと進言しましたが、聞き入れられませんでした。
約束の地を目前にして、不信仰と恐れとで祝福を逃してしまい、荒野での40年間の訓練が始まりました。
神の御言葉を信じて受け入れないことは、大変な失敗です。しかし、神は40年の後、イスラエルを約束の地へと導いて下さいました。エジプトを出た時の成人で、カナンに入ったのは、カレブとヨシュアだけでした。
私たちが主イエスを信じるとは、その御言葉を信じることです。主が共におられる事、恐れない事、そして、主イエスを語る事、そうするなら必ず御業はあらわれるのです。
この町にも、どこの町にも「私の民」、主イエスに救われるべき人々が大勢いることを忘れてはなりません。
私たちが主イエスを語るなら、すばらしい救いの御業がおこります。
なぜなら、人が救われるのは聖霊の働きであり、私たちは「伝える」
という働きをするからです。
まだまだ救われなければならない人々が大勢います。
時が良くても悪くても、主イエスこそ唯一の救い主で、永遠の命を与えてくださるお方であること、この方は私たちを愛して命を捨てて下さり、今生きていて、共におられるお方であることを伝えていこうではありませんか。

今週のみことば
「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
 たじろぐな、わたしはあなたの神。
 勢いを与えてあなたを助け
 わたしの救いの右の手であなたを支える。」
 イザヤ書41章10節


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