阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年8月13日
第2聖日礼拝
「なにもかも神にお任せする」
Tペトロの手紙5章6-7節
  毎日の暑さにも守られて、真の神を礼拝できる恵みを感謝します、
主イエスの十字架によって、罪を赦され神の子とされたことを喜び、感謝して、礼拝をささげましょう。
十字架で死なれ、三日目に復活されて、今生きておられる主は、いつも私たちと共に歩んでくださいます。
救い主が共におられること以上に心強いことはありません。
きょうは、ペトロの手紙の御言葉をいただいています。
この手紙は、小アジアに散らされているクリスチャンたちの群れに送られた手紙です。
手紙は、「各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」へ宛てています。
離散しているという言葉には、「種がまかれている」という意味があります。
遠い異国にいるクリスチャンたちは、福音の種として蒔かれ、芽を出し、花を咲かせ収穫の時を迎えることがわかる言葉です。
主イエスは、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、またわたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」(ヨハネ15:16)と約束されました。遣わされて、実を結び、その実がいつまでも残るのです。
この手紙の著者はペトロです。ペトロは聖霊に満たされて手紙を書き、迫害と困難の中にある、小アジアに離散しているクリスチャンたちに、救いの喜びに満ち溢れ、信仰を守り通すようにと励ましました。
「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりもはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と栄光と誉れをもたらすのです。」(Tペトロ1:6−7)と、彼らを励ましています。
ペトロは、離散しているクリスチャンに、あなたがたは「仮住まい」している者だと繰り返しています。
「いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい」(Tペトロ2:11、12)と勧めています。
異邦人や、異教徒の間で生活している人々に対する勧めは、まだキリストを信じていない人々の間で生活している私たち自身に勧められている御言葉として、受け入れることができます。
私たちも、やがてこの地上での生活を終えて、主が備えておられる故郷、天の御国へ帰る時があるということを覚えて、日々を生きたいものです。
私たちの言葉と生活が、生きておられる主イエスを証しするものだろうかと、日々思い巡らすことは大切なことです。
Tペトロの5章6節には、「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。」とあります。
主イエスの恵みは、謙遜な者の上に注がれるのです。
謙遜な人とは、主イエスを心の中心にお迎えし、その御言葉を喜び、従う者ではないでしょうか。
人は高ぶりやすく、人を裁くような心を持っています。神は、「高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」(Tペトロ5:5)という御言葉をしっかりと心に留めましょう。
そして、「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。」(Tペトロ5:7)とあります。
これは、あなたがたの心配事すべて、あなたがたの悩みのすべてを、一度きっぱりと神に委ねてしまいなさいという非常にはっきりとしたお勧めです。
人は、なかなかきっぱりと、すべてを委ねきることができないために、信じながらも、確信がないという事態が続くのです。
もし、心配事を抱え、悩みを抱えておられるなら、主イエスは今、きっぱりとそのすべてを一度委ねなさいと言われるのです。
神は、その独り子主イエスさえ、私たちに下さいました。神の愛がどれほど大きく、深いものであるか、なかなか悟ることができません。
しかし、その愛を信じることはできるのです。信じるとは、御言葉をそのまま受け入れることです。
神の子供となった今、神の愛に生かされていることを信じる、それが信仰です。
一つの問題が解決したら、また違う問題が起きて来る、悩みは尽きないような事態が続くことがあります。
そのような時にこそ、主イエスとその御言葉を思い起こす時なのです。
主イエスは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気をだしなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)
勝利の宣言をされた勝利の主が共におられて、一切の思い煩いを委ねることを待っていてくださいます。
私たちはさまざまな問題を自分の力だけで解決したいと思います。それは必ずしも悪いことではありません。責任感や、自立につながる事だからです。
しかし、救い主がおられることを忘れて、自分の力だけでもがく必要はないのです。
「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。 主は従う者を支え とこしえに動揺しないようにとり計らってくださる。」(詩篇55:23)私たちは幸いな約束をいただいています。信じて明け渡すなら、主イエスは一切合切引き受けてくださるのです。
私たちは、思い煩いから平安へと、主イエスによって変えられます。
キリストの平安が来るのです。主に委ねることのすばらしさを味わう信仰に生かされることを感謝します。
主イエスの十字架の救いはすばらしい救いです。
罪が赦され、永遠の命が与えられ、神の子としていただきました。
神の子は神に愛され、守られています。
神をアッバ、父と呼び、支えられてこの世を歩みます。この恵みを世に伝えて行きます。その喜びは、人の喜びではなく、神の子とされた救いの喜びです。
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたの信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(Tペトロ1:8−9)。
私たちは主イエスを肉の目で見ることはできません。しかし、この方を救い主として信じて心の王座にお迎えし、その結果、尊い実として、この世のものではない、喜びに満ち溢れています。
何が起ころうと、だれも奪うことのできない喜びです。喜びと共に賛美がわきあがります。
苦しい時に私たちの信仰が現れます。弱いと思うときに強くされます。
ひたすら主を仰ぎ、主の御手にすがり、主の勝利を体験できるのです。
パウロとシラスがフィリピで鞭打たれ投獄され、鎖につながれていた時に、どのようにしていたでしょうか。鞭の痛みはひどかったでしょう。心も痛んでいたでしょう。しかし、彼らにはつぶやきやうめきはありませんでした。賛美を歌っていたのです。ただ神を崇めて賛美していました。パウロたちは救われていて、その実である天の喜びに心があふれていたからです。
「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌を歌いなさい。」(ヤコブ5:13)
私たちは日曜ごとに教会に集い一つになって礼拝をささげます。しかし、日頃は、それぞれ与えられているところで生活します。また、職場で仕事をします。
そこは、神が遣わして下さったところなのです。あなたしか入ることのできない所です。私たちが苦しみや悩みの全てを委ねて、賛美と喜びに溢れるなら、すばらしい証しとなり、主イエスの栄光が満ち溢れます。


今週のみことば
「あなたがたには世で苦難がある。
 しかし、勇気を出しなさい。
 わたしは既に世に勝っている。」
 ヨハネによる福音書16章33節


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