阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年8月20日 
第3聖日礼拝
「すべてが可能です」
フィリピの信徒への手紙4章10-14節

 8月も第3週の日曜日を迎えました。
日々主の守りの中にあることを感謝します。まだまだ猛暑の日々ですが、主イエスを見上げて歩みましょう。
全能の御手に守られていることは何よりも素晴らしいことです。
今日は、フィリピの手紙の中から御言葉が与えられています。
フィリピの信徒への手紙は、パウロがローマの牢獄に捕らわれていた時に書かれて、エパフロディトという弟子に託されてフィリピの教会に送られた手紙です。
エパフロディトは、パウロを支援しているフィリピ教会から贈り物を携えてローマにいるパウロの許に遣わされました。
パウロはテモテをフィリピに送りたかったようですが、パウロの許で懸命に仕えてくれたエパフロディトが、重い病気になり、一時は非常に心配したのですが、癒されて、フィリピの信徒たちに会いたがっているので、大急ぎで送り帰すということが、フィリピ2章25節以下に記されています。
フィリピの信徒への手紙は、喜びの手紙と呼ばれています。
パウロは捕らわれの身でありながら、「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4:4)と、繰り返し教えているからです。
牢獄に捕らわれていることは、普通喜ばしい事とは考えられません。処刑の可能性も強くありました。事実パウロは殉教しています。
そのような中でどうして喜ぶ事ができるのでしょうか。
「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。」(フィリピ4:11)とあります。さらに、「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」(フィリピ4:11―12)と続けました。
パウロが置かれている境遇は牢の中です。そのような境遇に満足などできるのでしょうか。
普通はできないでしょう。一刻も早くここから出て、もっと住みやすい安全な所に移り、心配のない毎日を送りたいと思うのではないでしょうか。
パウロはあきらめていたのでしょうか。それは違います。
パウロの望みは、ただ主イエス・キリストに生かされることでした。
いつもキリストに望みをかけ、キリストの命につながれている自分を見出していたのです。
フィリピ1章21節には、「生きるとはキリストであり・・・」とあります。
パウロはキリストの命に満たされ、生かされていました。
パウロはまことの神を信じる事、従う事、つまり、キリストと共に生きる信仰によって、どのような環境の中でも喜び、力に満たされ、自由に生かされることを学びました。
それは自分の力や努力によって、得られるものではありません。キリストの命によって授けられる力なのです。
私たちも毎日、一瞬一瞬キリストの命につながっているだろうかと思い返し、祈ることは、大切なことです。
主イエスは、まことのぶどうの木です。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)と、教えてくださいました。
主イエスを救い主として信じ、心にお迎えしている者は、まことのぶどうの木である主イエスの命に満たされます。
主イエスの恵みも愛も注がれ続けます。
主イエスにつながっていなければ、命はなく、実はみのりません。
自分の不遇を嘆き、不幸だとうなだれる人はたくさんいます。
しかし、不運や失敗、苦しさを経験しながら、誰もが生きているのではないでしょうか。
苦しさを体験しない人はいません。ただその苦しさの中で、何をどのように求めていくかが大切なのです。
苦しみの中にこそ、まことの光は輝きます。まことの希望である主イエスこそ、救い主です。
苦しみの時には、主イエスが差し出して下さる救いの御手をしっかりとにぎるチャンスです。
御言葉は、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ4:13)と、教えてくださいます。
口語訳聖書では、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」と訳されています。励まされる御言葉です。
ギリシャ語の聖書では、「すべてが」、「何事でも」という言葉が最初に記されています。一番強調したい言葉が最初に記されるのです。
パウロは牢獄にいても、どこにいても、すべて、何事もできると強く伝えたかったのです。
私たちも、私たちにとっての豊かさについて考えてみることは大切です。
「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。」(フィリピ4:18)と記されています。
パウロは、フィリピ教会からのプレゼントを何度も受け取って、当面必要が満たされたと思われます。
しかし、物質はまたなくなります。いつまでもなくならないものはありません。
パウロが最も強調したかったのは、「あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです」(フィリピ4:17)ということでした。
さらに、「それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(フィリピ4:18)と続いています。
最も望んでいたのは、「あなたがたの益となる豊かな実」でした。
パウロは、自分にしてくれた贈り物は、フィリピ教会の、主イエスに対する熱心な信仰によるものと受け取っていました。
それは、香ばしい香り、神が喜んでくださるいけにえだと記したのです。「それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。」(フィリピ4:18)
旧約時代に神にささげた全焼のいけにえをあらわす言葉です。
香ばしい香りは祈りであり、献げる者の献身と従順を表します。
神に献げられた小羊は、だれでもない、イエス・キリストです。この方の十字架の犠牲により、私たちは贖われました。
主イエスはまことの献身と従順を十字架で示されたお方です。
「人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:7−8)。
神が喜んで受け入れてくださる信仰、従順、献身こそが豊かな実であると教えています。
私たちを本当に豊かな者にしてくださるのは、主イエス・キリストです。
私たちが心を主に差し出し、主イエスを受け入れるなら、祝福は聖霊によって満ち溢れます。
主イエスがくださる、この世のものではない平安、喜びに満ち溢れ、どのような境遇をも喜び、すべてに勝利していくことができます。
主イエスの十字架によって罪許され、神の子とされたクリスチャンの勝利の歩みです。
主イエスの命の中にあり、「わたしにはすべてが可能です」と宣言することができるのです。
心を開き、主イエスをお迎えし、聖霊に満たされましょう。信仰の祈りをささげましょう。御言葉の真実を知りましょう。
勝利の主があふれるばかりの祝福を注いでくださいます。

今週のみことば
「わたしを強めてくださる方のお陰で、
 わたしにはすべてが可能です。」
 フィリピの信徒への手紙4章13節


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