阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年8月27日
第4聖日礼拝
「キリストに結ばれて」
コロサイの信徒への手紙2章6-7節

 8月最終の日曜日を迎えました。暑さの中にも主の恵みが注がれて、今日も臨在の中に礼拝をささげられる恵みを感謝します。
御言葉は私たちの魂の糧であり、御言葉なしに信仰はありません。
御言葉は私たちの歩む道の光となり、その歩みを照らしてくださいます。
御言葉を待ち望みましょう、
私たちは、イエスをキリストとして信じて、心にお迎えしました。
この方は全世界の救い主としてこの世に遣わされて、すべての人の罪の贖いを成し遂げられました。
十字架によってキリストを信じる者の罪は赦され、永遠の命を持つことができました。
これがキリストの福音、良いニュースです。今や、恵みの時、今こそ救いの日」(Uコリント6:2)です、だれでも信じる者は救われます。
主イエスを信じた者は、キリストに結ばれた者です。
主イエスの命によって生かされます。キリストの品性を実らせていきます。
コロサイの信徒への手紙2章6節には、キリストに結ばれて歩むこと、キリストに根を下ろして造り上げられること、信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝することが教えられています。
「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」(コロサイ2:6、7)とあります。
救い主を信じた者の歩み方が示されています。
信仰は生活です。
キリストの愛を語るヨハネは、「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」(Tヨハネ3:18)と教えています。
信仰は言葉だけではない、行い、すなわち生活であり、生活そのものが証しとなるのです。
「キリストに結ばれて歩む」歩み方とはどのような歩み方なのでしょうか。
主イエスを信じた者の内には、聖霊が宿られます。聖なる御霊です。
一つの御霊によって、キリストと一つとされました。
罪深い人間のために十字架に架り、罪の贖いをなしとげて下さったキリストと一つとされるとは、本当に大きな恵みに驚くばかりです。
「主に結び付く者は主と一つの霊となるのです」
(Uコリント6:17)とあるのです。
主イエスの思いを自分の思いとすることは大切であり、感謝なことです。
主イエスは常に、「私につながっていなさい」と語り掛けてくださいます。
キリストにつながり、結び合わされているなら、いつもキリストの新しい命と力に満たされるのです。
パウロは、コリントの信徒への手紙T 4章17節で、「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」と記しています。
これは、テモテをコリント教会に遣わした目的の一つとしていることでした。
パウロはキリストに結ばれて生かされていることを誇りとし、大きな感謝をささげていました。
御言葉はさらに、「キリストに根をおろして造り上げられ」と教えています。
主イエスが教えて下さった種まきのたとえを思い出します。
道端に蒔かれた種は、悟ることがないため悪い者が来てすぐに奪い取ってしまいます。石だらけの所に蒔かれた種は、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても迫害や艱難が起こると、すぐにつまずいてしまいます。茨の中に落ちた種は、御言葉を聞くが、世の思いや富の誘惑に負けて実らない人の事です。
良い土地に蒔かれたとは、御言葉を聞いて悟り、100倍、60倍、
30倍の実を結ぶ人の事だと教えておられます。
せっかく救いの御言葉を聞いても、根をしっかりとキリストにおろさないと、祝福はないのです。
キリストに根をおろすと、その人の内には、キリストの品性が造り上げられていきます。キリストの命が注がれるからです。
信仰によって造り上げられ、やがてキリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長します。
「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13)とあります。
キリストに根差した者は、必ず信仰によって成長し、成熟して、豊かな祝福に満ち溢れます。
主イエスに根差し、しっかりと結ばれていることをいつも確認してまいりたいと思います。
御言葉は、「教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい」と続いています。
世にはさまざまな教えがあります。むなしいだましごとの教えに惑わされることがないようにと、注意しています。
大変魅力的な教えや、耳障りの良いことを教えて人を惑わす霊があります。それは、キリストの霊ではなく、世を支配する霊です。そのようなものに虜にされる人も多いのです。
主イエスが教えられた、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイ7:13,14)という御言葉を思い起こしましょう。
世にある、魅力的に感じる教えや、楽しみに迷わされ、広い滅びに向かう道を行く人がなんと多いことでしょう」。
キリストの御霊に満たされると、だれでも、イエスはキリストであると告白します。聖霊によって言い表すことが出来るのです。
命に至る道は狭く見いだしにくいのかもしれませんが、そこにはキリストがおられて、手を差し伸べて導いて下さいます。
永遠の命を喜ぶ者とされるのです。
十字架で死なれ、三日目に復活して今生きておられる主イエスを心の中心にお迎えして、しっかりと結び付いていきましょう。
キリストに結び合わされている者は、溢れるばかりの感謝に満たされます。感謝も大きな恵みであり、信仰の証しです。
「どんなことにも感謝しなさい」(Tテサロニケ5:18)
いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝すること、これは、神が私たちに望んでおられることです。
私たちが生きていく上で、喜ばしいことばかりではないでしょう。苦しい事、思うようにならないこと、苦労、気づかい、さまざまなことの中に生きています。
しかし、私たちと共に、主イエスがおられます。私たちは主イエスと一つとされています。
そうであるなら、私たちは、主イエスはすべてを御存じであり、苦しさの中に、最善をなしてくださる事を信じることができるのです。
ゆるがない信仰によって、主にすべてをお任せして溢れるばかりに感謝します。
主イエスを待ち望みます。主イエスが生きておられるお方であることを知るのです。
日々共におられる主イエスと歩み、結ばれ、感謝と喜びに溢れて生かされることは、何と幸いなことでしょうか。
「命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。 主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう」(詩篇23:6)
主イエスに結ばれた者には、恵みと慈しみが追ってきます。
十字架による救いを感謝し、日々与えられている恵みを感謝し、溢れるばかりの感謝の日々であることを、あらためて思い、深い感謝をささげましょう。

今週のみことば
「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
 キリストに結ばれて歩みなさい。」
 コロサイの信徒への手紙2章6節



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