阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年10月22日
第4聖日礼拝
「霊に燃えて、主に仕える」 
ローマの信徒への手紙12章11-12節

 主の御名を崇めます。
礼拝は、自分を神に喜ばれる聖なる生きた供え物としてささげることです。
きょうも天の父に向かい、礼拝をささげて参りましょう。
私たちは、真の神を礼拝し、日ごとに真理の御言葉をいただいて生かされます。
御言葉は魂の糧です。心を開き、日々神の語りかけにいつも聞き従いたいと思います。
きょうもローマの信徒への手紙の御言葉から御心を探りましょう。
ローマの信徒への手紙は、16章に分けられています。1章から11章までは教理的な教えが記されています。
ローマの信徒への手紙は信仰によって義とされるという、大切な真理が示されています。
12章からは、キリスト者の実際的な生活における教えが記されています。15章後半と16章はパウロの挨拶が記されていて、多くの人に向けて祝福が述べられています。
この手紙は、パウロがコリント近郊のケンクレアイで記したと思われますが、まだローマへは行っていません。まだ行ったことのないローマの教会に宛てて大切な神の教えを書き送りました。
キリスト者は、何を思い、どのように生きるのか、それは大切なことです。
兄弟愛をもって互いに愛し合う事、尊敬をもって相手を互いに優れた者と思う事が教えられています。私たちがこの御言葉に従うなら、平和をつくり出す者となります。
主イエスは平和の君であることを覚えたいと思います。
さらに、「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい」
(ローマ12:11)と勧めています。
信仰のない人でも、勤勉さは美徳です。すべてにおいて熱心に努力する姿勢です。勤勉と正直は、人にとって祝福の元になるのです。
さらに、勤勉さは忠実であることにもつながります。
主イエスは、ある時忠実な僕と、悪い僕のたとえをお話になりました。
主人が婚宴に招かれて留守をしました。良い僕は、主人がいつ帰って来ても良いように腰に帯を締め、ともし火をともして待ちました。
良い僕は主人が留守でも、時間通りに使用人の為に食事を与えました。主人がいてもいなくても、なすべきことを忠実にしていたのです。
主人が帰ってきた時、主人はこの僕の姿勢をみて、全財産を任せました。
悪い僕はどうだったでしょうか。主人が留守をしているのをよいことにして、他の僕を殴り始め、他の酒飲みどもと一緒に宴会をしたのです。
食べたり飲んだりして騒ぎました。
しかし、主人が突然帰って来て、この僕を見た時に、彼は厳罰を与えられました。
主イエスのこのたとえは、極端なたとえ話かもしれませんが、人の心の弱さや愚かさを表しています。
主人が見ているときは忠実そうであっても、実はそうではないという心を人は持っているのです。心にある罪によるのです。
主イエスは、「小事に忠実な者は大事にも忠実である」と、教えておられることをしっかりと心に留めたいと思います。
「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」(ルカ16:10)
どのような小さな事にも、主の僕として忠実であり続けたいと祈ります。
御言葉は「霊に燃えて、主に仕えなさい」(ローマ12:11)と続けられています。
聖霊に満たされて、聖霊に燃やされ続けなさいと励まされています。
私たちの心は聖霊によっていつも燃やされているでしょうか。
主イエスとの交わりを欠かすことがなければ、いつも心は聖霊によって満たされます。
エマオの途上で主イエスと出会い、共に旅をした弟子たちの心はどうだったでしょうか。
主イエスが十字架に架けられて、死なれて、希望を失った二人は、エルサレムからエマオへと帰って行きました。
仲間の婦人たちから、主イエスの復活の話を聞いても、暗い思いは消えませんでした。歩きながら十字架の出来事について、大きな声で話し合っていた二人に、主イエスは近づいて一緒に歩かれました。
主イエスは二人に聖書を解き明かし、救い主の十字架の救いを語り聞かせてくださいました。
この二人は主イエスであることが分かりませんでしたが、日暮れも近くなり、目指す村に近づいたので、主イエスをお引止めして一緒に家に入っていただきました。
食卓について、パンを裂く様子で主イエスであることに二人は気が付きました。
主イエスのお姿はすぐに見えなくなりましたが、二人は急いでエルサレムに引き返しました。エルサレムとエマオは10キロくらいの距離でしたので、引き返す事が出来たのです。
二人は道々、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24:32)と語り合ってエルサレムへ向かったのです。
主イエスは私たちすべての者の罪を贖うために十字架に架り、命を捨てて下さいました。3日目に復活されて、今生きておられる救い主です。
私たちと共に日々歩まれ、御言葉を語り掛けて、私たちの心を聖霊の火で燃やし続けてくださいます。
聖霊に燃やされて主イエスに仕えるなら、主イエスは受け入れて、必ず用いられます。
キリスト者はいつも主にある希望を持つ者です。
御言葉は、「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(ローマ12:12)と続けられています。
私たちは、それぞれ個人的な希望を持っています。その希望が実現するようにと祈ります。
しかし、この御言葉が教える希望とは、それだけではなく、私たちの父なる神の愛にあずかる希望なのです。
父なる神は私たちを愛して、その独り子さえお与えになった方です。
どのような苦難の時も、試練で苦しむ時にも、神の愛が注がれている希望に生きる事が出来ます。
キリスト者の大きな恵みは、祈る事が出来るということです。
父なる神に、祈りによって直結する事が出来ます。
12章12節の最後に、「たゆまず祈りなさい」とあります。
たゆまずとは、飽きたり、怠けたりしないで努力するという言葉です。
霊に燃やされ続けるには、祈りと御言葉が欠かせません。
キリスト者は神の栄光の為に生かされています。
コリントの信徒への手紙T10章31節は、「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現わすためにしなさい」と教えています。
私たちは、日曜礼拝だけが礼拝ではなく、一日一日が礼拝であり、一瞬一瞬祈りであり、神の栄光の為に生かされている自分を確認します。
天の父によって造られ、主イエスの十字架によって罪許された者は、御言葉によって生きていきます。御言葉と祈りによって魂が燃やされます。
与えられている日々を感謝し、天の父に愛されている自分を確信し、
御心を求めながら歩みましょう。私たちは神の栄光を現わす者なのです。
天の父は私たちが、父に仕えていくことを喜んで受け入れてくださいます。仕えようとするものに、聖霊による力を与えて燃やし、たゆまず祈り、仕えていく者として用い続けてくださるのです。
天の父崇めましょう。

今週のみことば
「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。」
 ローマの信徒への手紙12章11節


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