阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年11月5日
第1聖日礼拝
「希望の神」
ローマの信徒への手紙4章21-25節

  天の父の恵みに生かされていることを感謝します。まことの神を心から礼拝します。
天の父は、私たちを愛し、その独り子をさえ、惜しむことなく与えてくださいました。
私たちは、神に知られ、愛されていることをいつも心に留めて、備えられている祝福に預かりましょう。
私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、すべての罪を赦され、神の子とされて、天に国籍を持つ者となりました。
この世にある時も、天に移されてからも、永遠の命に生かされています。
義とされ、救われた者は、信仰によって歩みます。
御言葉は信仰について、どのように教えているのでしょうか。
ローマの信徒への手紙には、アブラハムがどのような信仰によって神を待ち望んでいたかが記されています。
信仰の父と呼ばれているアブラハムは、神の召命を受けて、行き先を知らずに旅立ちました。この時アブラハムは75歳でした。神は、アブラハムにあなたは大いなる国民にし、さらにあなたを祝福の源となるように、あなたを祝福すると約束されたのです。
神は常にアブラハムを導きました。
ところが、アブラハムには子供はいませんでした。
神はアブラハムに「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(創世記15:5)と、約束されました。
「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた」(創世記15:6)と記されていて、この時はまだアブラムと名乗っていたのですが、信仰によって義と認められました。
神はアブラハムが99歳の時、あなたの子孫を増やすと言われて、アブラムからアブラハムと名乗るよう、妻のサライもサラと名乗るようにと命じられました。
100歳と、90歳の夫婦に子供が生まれるという約束は、非現実的なものと考えることができますが、アブラハムは神を信じました。
「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。」(ローマ4:17)。
アブラハムは、神は無から有を呼び出す方と信じていました。
まだ見ていないことを、見ているように信じました。
主イエスはある時実のない、いちじくの木に、「これからはお前から実を食べる者がないように」と言われました。弟子たちはこれを聞いていました。
翌日そこを通りかかると、いちじくの木が枯れていました。
主イエスは、神を信じる信仰とはどのようなものかを教えておられます。
「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものは既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコ11:22−24)と教えられました。
「すでに得られた」と信じる信仰は、神の祝福に預かるのです。
ローマの信徒への手紙8章には、「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマ8:24,25)とあります。
信仰によって祈り、忍耐して待ち望むのです。聖霊が助けてくださいます。
アブラハムは、まだ生まれる兆候もないのに、子どもが与えられ、多くの国民の父となることを信じました。神は無から有を生み出される創造主なのです。
アブラハムがやがて100歳になるころ、三人の旅人を迎えて接待しました。
アブラハムは彼らに礼を尽くしました。お客様と呼びかけ、ここを通り過ぎないで、食事を整えるので、木陰で休んで疲れをいやしてから、出発してくださいと懇願しました。「旅人をもてなす」ことをしたのです。
彼らがその通りにしたので、アブラハムはサラに上等の粉で、急いでパンを調理させ、柔らかくておいしそうな子牛を選び、僕に調理させました。
大変なごちそうです。3人の客が食事をしているとき、アブラハムはそばに立って給仕をしました。これは主人ではなく僕の役割でしたが、アブラハムは謙遜な姿勢を取りました。
彼らは、サラはどこにいるかと尋ね、われわれは来年の今頃、必ずここにまた来ます。その時にはサラには男の子が生まれていると語りました。
創世記18章13節には、「主はアブラハムに言われた」とあります。3人の内の1人は主だったのです。知らずに主をおもてなししていたのです。
サラは天幕の中でこの話を聞いていましたが、ひそかに笑いました。アブラハムも自分ももう年をとっているのに、と思ったのです。
主はアブラハムに重ねて語りました。
「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」(創世記18:13,14)と約束されたのです。
神は約束の通り、男の子を与えてくださいました。アブラハムはこの子を「イサク」と名づけました。イサクは「笑う」という意味です。
サラは、「神はわたしに笑いをお与えになった」(創世記21:5)。と神をたたえました。この時アブラハムは100歳でした。
神は約束されたら、必ず成就されるお方です。
私たちはどのような信仰をもって生きているでしょうか。
キリスト者は信仰によって日々を送ります。
主イエスを信じると、それまで分からなかったことがわかるようになります。
信仰者は、この世の寄留者、旅人であることがわかります。天に素晴らしい都が準備されていて、やがてそこへ帰って行くのです。
この世にある限りは、主イエスと共に歩み、聖霊に満たされ、見えざる御手に導かれながらこの世を旅します。
信仰による旅路です。
私たちは、どのような希望を持っているでしょうか。主イエスの御心を自分の心とし、希望とするなら、主イエスの栄光を見ることができます。まだ見ていない、実現していない主の御心を待ち望む信仰です。
私たちは、祈る時、この祈りが早く実現します様にと願います。
神には神の御計画の時があるのです。
すべてを委ねて、信じて待つなら最善の時に最善がなされるのです。
私たちの親しい人が救われるようにと祈っていますか?なかなか救われないと思うことはないでしょうか。祈ったら救われるのです。
伝道文書を配布しても、反応がないなどと思っていないでしょうか。
聖霊は私たちより先に働いておられます。救いは神の御業です。
私たちは信じてキリストをさまざまな方法で伝えるのです。
必ず主の栄光は現れます。
アブラハムだけではなく、主イエスの十字架の死と復活を信じた者は、「義と認められる」、救われるのです。
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたのです。」(ローマ4:25)
私たちの神は希望の神です。
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊によって希望に満ち溢れさせてくださるように。」(ローマ15:13)
顔を上げ、キリストを見上げて信仰の希望をもって進みましょう。

今週のみことば
「彼は希望するすべもなかったときに、
 なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と
 言われていたとおりに、 多くの民の父となりました。」
 ローマの信徒への手紙4章18節


 ページのトップへ
  
2023年の礼拝メッセージ
  
他の年の礼拝メッセージへ


トップページへ