阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年12月10日
アドベント第2聖日礼拝
「あなたの救いを見た」
ルカによる福音書2章28-32節

 アドベント第二週の礼拝を共にささげられる恵みを感謝します。
ルカによる福音書には、4つの賛歌が記録されています。
一番目は、マリアに救い主の誕生を告知した天使の祝いの言葉です。
「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。」(ルカ1:28)。アベマリアという祝詞です。
二番目はマリアがバプテスマのヨハネの両親となる、ザカリアとエリサベトの家を訪問した時の賛歌です。
マリアは、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」と賛美しました。
三番目は、ヨハネの誕生の時に、父となったザカリアが賛美した賛歌です。ザカリアは聖霊に満たされて、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」(ルカ1:67−69)と救い主の誕生を預言し、また、誕生したヨハネは、主に先立って、その道を整える働きをすることを預言しました。
さらに、救い主こそあけぼのの光であり、「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和に導く」(ルカ1:79)と賛美しました。
やがて、救い主がユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。
時のローマ皇帝アウグストゥスが人口調査を命令したので、ヨセフはダビデの家系であり、その血統でしたので、いいなずけの妻マリアを撮れて登録の為にガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムへやって来ました。
この時マリアは、天使の告知の通り救い主を身ごもっており、臨月を迎えていました。
ベツレヘムは、登録をするために上ってきた人たちで混雑していました。そのために宿屋にはこの二人が泊まる余地がありませんでした。
尊い救い主がお生まれになるのに、客室に迎え入れられずに、家畜小屋で出産をして、乳飲み子は布に包まれて、飼い葉桶に寝かされました。
主イエスは神の独り子であられるのに、低くへりくだったお姿で誕生されました。
人々は、生活やさまざまなことで心が一杯で、大切な救い主がお生まれになったのに、それを知る事もありませんでした。
今もそうです。人々の心はこの世の思いで溢れそうになっていて、救い主をお迎えする余地がありません。
主イエスを信じているクリスチャンも、しっかり信仰の歩みを続けて行かないと、いつの間にか主イエスを心から締め出すようなことになってしまうのです。
クリスマスは、主のご降誕を待ち望みながら、自分の信仰を省み、悔い改める時であることを、心に留めたいと思います。
ユダヤでは、初めての男の子は主に聖別されると、モーセの律法に定められていました。聖別とは神の為に選び分かたれるということで、両親は子供を神にささげた上で、いくばくかの代価をはらって子供を贖いました。救い主の十字架の贖いを象徴しています。
マリアとヨセフは、神殿に上り、山鳩一つがい、あるいは家鳩の雛二羽をささげました。裕福な人は子羊をささげましたが、このことからも、マリアとヨセフは貧しくつつましい生活ぶりであったことがわかります。
聖書は、エルサレムにシメオンという人がいたと記しています。
「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた」(ルカ2:25)と、紹介されています。
もう相当な年齢になっていましたが、不思議なことにメシアに会うまでは決して死なないと、聖霊によって告げられていました。
シメオンは聖霊に導かれて神殿の境内に入りました。
その時、マリアとヨセフが律法の規定通りに、いけにえをささげようとして、主イエスを連れてきたのです。
シメオンはこの人々が誰であるかがすぐにわかりました。この幼子こそが待ち望んだ救い主なのです。
シメオンは、幼子を胸に抱き、神をほめたたえました。これが四つ目の賛歌です。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2:29−32)。
シメオンは二つの事を賛美で表しました。
一つは、全世界の救いの為に、御子はお生まれになったということです。ユダヤ人は、自分たちこそ神に選ばれた選民であり、モーセの律法を与えられている。自分たちの父はアブラハムだと誇っていました。
救いはユダヤ人だけのものであり、異邦人は救われないと信じていました。ところがシメオンは、救い主は異邦人を照らす啓示の光だと語ったのです。
啓示とは、隠されていたことが明らかにされることです。
天の父はすべての国民、すべての国々の神であり、すべての人々の救いを御子によって備えてくださいました。
全世界の救い主がお生まれになったのです。
さらにシメオンは二つ目の預言を語りました。
マリアに、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められています。また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(ルカ2:34−35)と語りました。
 これは、主イエスが多くの人の反抗のしるしとなることなのです。
主イエスは公の生涯に入られると、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と語られて、多くの村々、町々を巡回されました。
福音伝え、病人を癒されました。
主イエスは、人々の為に神の国を伝え続けました。
ところがユダヤ人たちは、信じることをしませんでした。ユダヤ人たちは、自分たちは正しい者であり、神の律法に従っていると考えて、それ変えることはなかったのです。
主イエスは、主を否むユダヤ人たちに憎まれ、拒絶され、十字架に架けられました。
人にとって何より大切なものは、主イエスによって差し出された永遠の救いです。その救いが示された時の、反応によって人は倒れもし、立ち上がることもできるのです。
母マリアはこれらの言葉を胸に留めておきました。
主イエスの十字架の出来事、また、ペンテコステの後に聖霊によって、これらの言葉を改めて思い返したことでしょう。
神殿にはもう一人アンナという老預言者がいました。祈りと断食をもって、日夜神に仕えている敬虔な人でした。このアンナもマリアたちに近づいてきて、神を賛美しました。
彼女も、この幼子が救い主であることを聖霊によって理解しました。
クリスマスは、神が人となられてこの世にお生まれ下さった事、全世界のまことの光として、救いとなられたことを、信じ受け入れる時なのです。
シメオンは、聖霊に導かれ続けて、長い間待ち望んだ救いを見たのです。救い主にお目にかかりました。
そして、恵みと救いの時代の到来を確信しました。
私たちは、今は肉の目で主イエスを見ることはできません。しかし、見てはいないけれども信じて、言葉に言い表せない喜びで満たされています。
まことのクリスマス、まことの救い、まことの光、それらの祝福が信じる者すべてに与えられていることを思い巡らし、感謝と賛美をささげましょう。
主イエスこそ全世界の真の救いなのです。

今週のみことば
「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」
 ルカによる福音書2章30節


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