阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2023年12月17日
アドベント第3聖日礼拝
「光が輝いた」
イザヤ書9章1節 

 アドベント第三週の礼拝を共にささげられる恵みを感謝します。
いよいよ来週は、クリスマス礼拝です。御子の誕生を待ち望み、お祝い致しましょう。
今日は、イザヤ書からクリスマスに向けての御言葉をいただきたいと思います。
イザヤ書は、やがてお生まれになる救い主についての預言が多くされていて、それは「メシア預言」と言われています。
今日のテキストもメシア預言の一つです。
イスラエルは、ソロモン王の息子の時代に二つの王国に分裂しました。
不信仰によって王国は北王国イスラエルと、南王国ユダの2つに分かれてしまいました。それぞれの王国が、それぞれの王をたてて歴史を刻んでいきましたが、どちらの王国も神の戒めには従わず、偶像礼拝が止むことはなく、やがてアッシリヤとバビロンによって滅ぼされることになります。北王国イスラエルはBC722年にアッシリヤによって滅ぼされました。
イザヤはBC690年くらいから活躍した預言者なので、北王国の滅亡を目撃していたと覆われます。
南王国ユダも先行きがわからないような状況の中にいました。
それは、「地を見渡せば、みよ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放、今苦悩の中にある人々は逃れるすべはない。」(イザヤ8:22)とあるような状況でした。
これらの苦悩の原因は、神に対する罪でした。神の言葉に従わず、偶像礼拝の祭壇を除くことがなかったのです。
イザヤは、そのような罪深く希望のない中に生きる人々に、光と希望を語り続けたのです。
イザヤ書8章の終わりに、「先に ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが 後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。」という御言葉が記されています。
ゼブルンの地、ナフタリの地とは、北王国をあらわします。北王国が滅ぼされてしまったように、南王国もアッシリヤが迫っていて、苦しみの中にいたのです。それでも異邦人の地と蔑まれていたガリラヤは栄光を受ける。救いがあると語りました。
その時のユダ王国の王はヒゼキヤという王でした。ヒゼキヤ王は、歴代の王より敬虔な信仰を持っていて、神の嫌われる偶像や祭壇を打ち壊しました。
この王は真の神により頼みました。
「彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。」(列王下18:6)と記されていて、ユダの王で彼のような王はなかったと記されています。
しかし、アッシリヤが攻め寄せて来て、北王国と同じように今にも滅ぼされそうになってしまいました。アッシリヤの使者が降伏を求めて来た時、ヒゼキヤは祈りました。
「わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」(列王下19:19)と祈りました。
最大の危機の時に、神の前に座し、祈ることは幸いです。
私たちも出口のないような苦しみに、心が折れそうになることがあります。その時、慌てるのではなく、失望するのではなく、明日を知っておられる真の神を信頼して祈るなら、神は神の方法で救い出して下さるのです。
イザヤはヒゼキヤを神の言葉をもって励まし続けました。
アッシリヤはどうなったのでしょうか。今にも攻め寄せてくるような勢いだったのですが、神は、「彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない。」(列王記下19:32)と約束されました。
その夜、アッシリヤ陣営に御使いが遣わされ、彼らを打たれました。
アッシリヤは神の言葉の通り、ニネベに帰りました。
ユダ王国とヒゼキヤ王は、大きな暗闇の悩みからの救いを受けたのです。
神の救いの手は、悔い改めて神を求める者の上に、いつもあることを覚えましょう。
 イザヤは、「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(イザヤ9:1)と語りました。
暗い闇の中に大いなる光が輝く、死の陰の地に住む者の上に救いの光が輝くのです。
その光はどのように輝くのでしょうか。
イザヤ9章5節に答えがあります。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。
その名は、『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君と唱えられる。」(イザヤ9:5)。
イザヤはその男の子について、権威が彼の肩にあると記しました。
この方は、真の神と同じ力を持ち、真の神の主権をお持ちなのです。
罪を赦す権威をお持ちであり、罪人を赦し、病を癒し、すべての人の罪の贖いとして十字架に架ってくださるお方なのです。
そして、その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」であると続いています。
その名とは、名前の事ではありません。神ご自身のご性質をあらわします。
神が人となられるという不思議な出来事があったのです。そして、お生まれになった方は、正しい道、救いの道として私たちすべての者を導いて下さるお方、イエス・キリストです。
この方は全能の神であり、永遠からの存在者であり、平和そのものなのです。
神から離れて滅びの中を進む人々は、主イエスの十字架により、神と和解をする事が出来ました。
また、人と人との平和をも、もたらして下さるのです。
救い主の誕生こそが救いであり、光です。
この方は世を救うために来られて、大いなる光となってくださいました。
イザヤの預言から800年後に、救い主は誕生されました。
長い長い年月が経ったのですが、確かに救いの光が照ったのです。
御子の誕生によって、新しい時代が到来しました。
それは、誰でも信じる者は救われるという、恵みの時代の到来です。
暗闇がどれほど深くても、イエス・キリストの十字架は救いの光となってくださいました。
この世にお生まれになった救い主が歩まれた道は、十字架への道でした。主イエスは神であられるのに、貧しくへりくだった生涯を送られました。
その従順さについては、ピリピの信徒への手紙に記されています。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」
クリスマスは、暗闇の中から救い出されたことを心に留めながら、救い主の従順さを思い、救いの尊さを知り、贖われて永遠の命に生かされている恵みを思い、感謝する時であることを覚えたいと思います。
今も、闇の内を歩む人々が大勢います。自分が闇の中にいる事すら分からない人々もいるのです。
今こそ、救い主を紹介する時です。暗闇から驚くべき光の中へ招かれ救われた私たちは、そのまことの光を輝かし、主イエスこそ救いであることを伝えていきましょう。

今週のみことば
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」
イザヤ書9章1節


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