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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「天の国のたとえ」
マタイによる福音書13章44-50節 |
今朝も神の前に静まり、心を開いて御顔を拝しましょう。
霊と真をもって礼拝をささげましょう。
私たちは、パンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの御言葉によって生かされています。
私たちを生かして下さる御言葉を喜びましょう。
主イエスは、たびたびたとえで真理をお教えになりました。
主イエスは、福音の初めに、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)と言われて宣教を始められました。
人が悔い改めて主イエスを救い主と信じ、罪から救われて、天の国の民となるようにと、福音を伝えられたのです。
マタイによる福音書の13章44節以下で、主イエスは天の国について、4つのたとえでお話になりました。
まず、「畑に隠されている宝」のたとえです。
当時は、本当に宝を土の中に埋めておくことがありました。大切なものを家に置いておくと、盗まれてしまう事があるからです。
ところが、埋めた人が誰にもそのことを伝えず,亡くなることもありました。また、あり得ないようですが、忘れてしまう事もありました。
その後、その畑を耕した人が隠されていた宝を見つけたというたとえです。
宝を見つけた人はどうするでしょうか。喜んで畑の今の所有者から畑を買います。持ち物をすっかり売り払って、畑を手に入れたのです。
それは、計り知れないほどの価値のある宝だったからです。
さらに、天の国は、「高価な真珠」のようなものだと、教えておられます。
昔は真珠の養殖などはされていません。天然の真珠は希少であり、高価で一般の人が手に入れる機会はありませんでした。
王侯貴族の者だけが手に入れられる高価なものでした。
ある商人が良い真珠を探していました。やっと高価な真珠を一つ見つけると、自分の持ち物を売り払って、真珠を買います。
このチャンスを逃したら、二度と手に入らない真珠を、全財産を処分して手に入れました。
畑の中の宝も、高価な真珠も人の目にすぐに見えるようなところにはありませんでした。
気が付かない人の方が多いのです。
しかし、これを見つけた人は、自分の財産すべてを処分してでも手に入れるのです。
それほどの絶大な価値があるものとはどのような宝なのでしょうか。
それは、主イエスご自身であり、主イエスが教えて下さった天の国です。主イエスの救いです。
天の国は、人が死んでから行く所ではありません。
主イエスを信じて救われた者は、今、天の国に生きています。
神のご支配のある所が天の国です。
普通、人は、この世の宝を何よりも大切だと思っています。
金銭は重要です。生活に必要ですし、また、将来に向けて蓄えようと誰しもが思います。
しかし、金銭は絶対的に人を守るものでしょうか。財産が人を救うでしょうか。
愚かな金持ちのたとえを思い出します。
ある金持ちの畑が豊作でした。この金持ちは収穫した作物が倉庫に入りきれないので、新しく倉庫を建ててそこに収穫したものや、財産をしまっておこうと考えました。
この先何年も遊んで暮らせると、喜んでいたのです。
ところが、神は「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」(ルカ12:20)と言われたのです。
自分の命も、財産もすべては神のものであることを忘れていました。
蓄えたものを、自分の喜びだけに使おうと思ったことは、空しい事でした。
人は誰もが罪を持っています。心の罪です。
また、主イエスによってしか埋めていただけない心の空白を持っています。虚しさに悩む人も多いはずです。
まことの救いを与え、天の国に生きられるように、主イエスは十字架に架り、命を捨てて下さいました。
三日目に復活されて生きておられ、私たちと共に歩んでくださいます。
私たちが人にこのような主イエスについての証しをすると、人はどのような反応を示すでしょうか。
喜んですぐに主を信じてくれるのでしょうか。残念ですが、そうでない事の方が多いのです。
なかなか主イエスを信じようとはしません。
絶大な救いの価値が分からないのです。宝が、真珠がそこに差し出されていても、その価値は分からないのです。
私たちは、主イエスの救いにあずかり、天の国の民とされました。
天の国にあるものは、神の愛、恵み、憐み、赦し、救いです。
神の愛を受けた者は、神と人を愛する者、人の為に執り成し、祈る者、主イエスを伝える者になります。
主イエスはさらに、天の国は湖で網を投げて漁をするようなものと教えておられます。いろいろな魚で網がいっぱいになると、人々は岸に網を引き揚げて、良い物は器に入れ、悪い者は投げ捨てるのだと言われました。主イエスの時がくると、良いものと悪いものが明らかになるという教えです。
神の子とされた者は、いつも主イエスにすがり、その御言葉に従います。従い続けることが、良いものなのです。
主イエスの時に、恐れることなく御前に立てることを信じ、感謝します。
主イエスは最後に、「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」(マタイ13:51)とお聞きになりました。
聞いていた弟子たちは、「分かりました」と答えました。
主は、「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」(マタイ13:52)
と言われました。
学者と言う言葉は、よく訓練された弟子という意味があります。
主イエスの言葉をいつも注意深く聞き、天の国の為にいつでも働くことのできる用意のできている者は、主イエスに「学者」と呼ばれます。
主イエスは、良く訓練された弟子は、自分の倉から、新しいものと古いものを取り出すと言われました。
一家の主人は倉から何でも自由に取り出す事が出来ます。
倉とは自分の心です。
新しいものとは、救いの日、恵みの時となり、いつでも主イエスの御言葉を聞くことができるようになったことです。主イエスの教えです。
古いものは、それ以前に与えられた旧約の教えであると考えられます。
聖書は旧約と新約聖書からなっています。どちらも神の言葉です。
主の弟子たちは自由に御言葉を心から取り出し、人に伝える事が出来ます。私たちはすでに絶大な価値のある宝や高価な真珠を見つけました。
すばらしい天の国の民なのです。
救いを喜びながらますます恵みを受け、尊い御言葉に満たされ、聖霊の喜びをもって、天の国を人々に語り続けましょう。
必ず多くの人々が、尊い宝を見出すことになるでしょう。
今週のみことば
「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
ルカによる福音書17章21節
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